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2010/03/30 (Tue) 08.5月8日(木)~5月11日(日)

名前:あいこ 日付:5月8日(木) 1時59分
アイコが最も強いメタファーであることは変わりはない。いまも変わらず、アイコと、アイコの身に付けるもの、アイコの周辺にあるものが、自分にとって最も強い力を持ったメタファーである。最も強く自分を動かす契機である。アイコの表情が、アイコの声、アイコの身に付ける服、アイコの歌、アイコの音楽が、最も強いメタファーであることに変わりはない。言い換えると、アイコの表情や声や身に付けているものが、自分に何かを求めているように感じる。

名前:あいこ 日付:5月10日(土) 23時50分
07年12月
aikoの音楽以上に、聴いていて、心が無事ではなくなる音楽は、他にないです。aikoの音楽を聴くと苦しくなります。そのため、aikoの音楽を聴くのが怖くなってしまいました。覚悟がいるのです。頑張って好きな曲をリピートでなん時間も聴きまくって、その曲を聴くときに起こる胸のざわつきをなくそうとしたこともあります。少しずつではありますが、aikoの音楽とも、だんだん向き合えるようになってきました。

aikoの曲、たとえば「恋人」、「青い光」、「横顔」、「星のない世界」、「えりあし」などを聴いていると、その曲たちにいじめられるようなんです。ぼくは、ただ謝るんです。何に対してかは解らないけど…。それで、そのときにぼくが思うのは、ただ、「生きたい」ということなんです。「生きていれば、こういうものを、こういう世界を見られるかもしれないんだ」と思う。その曲たちに、「君のいま見ている世界がすべてではないんだ」と言われているような気になるのです。「まだ死にたくない」と思うんです。(ユーミンの「ひこうき雲」という曲でも、昔同じような感覚を経験しました。「死にたくない」と思うんです。)

でも、現状としては、「恋人」、「青い光」、「横顔」などの、そういう生きていく上で素晴らしい部分、世界は、自分には無縁というか…そもそも、世界そのものと繋がっているような実感が、まったくなくなってしまったんです。何を見ても、しても、実感がなくて、世界の色付きがなくて、匂いとか、世界の親密さがなくて…もう五年以上になるから、もともとの、世界の色付いている感じとか、親密さとか、思い出せないんです。

名前:あいこ 日付:5月10日(土) 23時53分
08.4月22日(火)17:59
アイコの音楽を聞いているときは、自分が何を求めているのか、世界のうちに何に価値を見出しているのかが判るような気がする。だから、アイコの音楽に「帰ってきた」ときに、「アイコの音楽を聞いていなかった間、俺は大切なものを失ったまま、無駄に生きていただけに過ぎなかったんじゃないか」とか考えてしまう。でも、大切なものを掴みながら生きていることと、それを見失ったまま生きていることとの間にはどれほどの違いがあるのだろう?それらを自分に見分けることはできるのか?どちらにあるかによって、生活の内容は左右するのか?ただ、意味もなく悲観しているだけなのか?生活の内容は、「大切なものを掴んでいる」、あるいは「見失っている」こととは別のところにあるのか?

とにかく、もう長い間、アイコ以外の音楽を聞いても、何かを強く感じることはないんです。ひとごとな感じなんですよ。かっこいいとか思うことはあるけど、自分とは無関係な感じでね、実感がなくてね、ひとごとなんだ。

名前:あいこ 日付:5月11日(日) 0時2分
下のほうでも、アイコは最も強いメタファーだ、と書いているように、アイコの音楽を聞いたり、アイコの表情なりを見つめている間が、いちばん感触を感じるんだよね。無関係じゃない。フィジカル。地に足が着いている。

まあ、昔の文章を読むと、自分は自分なりにちゃんと変わってはいるんだなあ、と思うよ。変わるのには、体力がいるんだよね。

高校のときに、「透明な液体。そこにある別の液体が入る。最初のうちは混沌としているが、それがおさまると、最初とは別の液体になっている」。というような文章を書いていたなあ。変わるってのは体力がいる。混沌とするね。

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2010/03/28 (Sun) 残念なお知らせ

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 23時32分
今日はみなさんに対してとても残念なお知らせがあります。今日、ぼくは22年間生きてきて、ずっと心の奥底で探し求めていた人に出会うことが出来ました。ぼくはきっと、生まれたときからずっとその人のことを探し求めていたのでしょう。そして、その人のことを見付けたのが、たまたま、22年間生きたのちの、今日という日だったのであります。

その子はアイコにはまったく似ていません。恐らく、奥ぶたえですらありません。きれいな二重です。薄い顔でもありません。かと言って濃い顔でもありません。正統派な顔です。はっきりとした眼をしています。真っ直ぐと伸びた眉毛に意志の強さが感じられます。髪の毛は茶色で、短いです。顔は丸い印象です。声もアルトで、はっきりしています。きびきびとした挙動をしています。健康で、仕事が出来るという印象を受けます。そして聡明そうな顔つきをしている。

その人は、アイコとはまったく別のラインに属しています。いままで、女の子を見てかわいいと思うとき、殆んどがアイコのラインに属していたのですが、それは結局、ぼくはアイコが好きで、それに替わるものを求めていたのかもしれません。

しかし、今回出会ったその子は、アイコを超えてしまったのかも知れません(アイコを目前に見たことがないからなんとも言えないが)。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 23時33分
だから、ぼくはいま、生まれてはじめて濃いというものをしたのかもしれません。なんというか、ぼくがいままで生きてきたのはその子に出会うためだった、という気さえするのです。その子に出会うことで、ぼくのいままでの人生がすべて肯定されたような気がするのです。

その子は、ぼくの家のすぐ近くの、家から歩いて五分くらいの、ぼくが普段いちばんよく利用するコンビニである、セブンイレブンの店員さんでした。少なくとも2週間前までは見たことがありませんでした。おそらく、この4月に新しく入ったのでしょう。

ぼくはもちろん、そこで酢だこさん太郎をその店員さんのところまで持っていき、それを買って、名札を見て名前も確認して、店を出たあと、外にアルバイト募集の貼り紙がしていないか、確認しました。運よく、募集の紙は貼ってありました。

まだ、この事件に動揺するばかりで、なんとも言えないのですが、ぼくはおそらくここで働くことになるだろうと思います。そしてその子と付き合うことを目標にするだろうと思います。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 23時34分
名前は「みま」と書いてありました。その子を見ると、懐かしい感じがしました。物心のついた頃に帰るような気がしました。

ぼくのいままでにしてきた努力の意味するものが、はじめて理解できたような気がします。

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2010/03/28 (Sun) 知りもしない癖に

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 13時40分
「この空を見ると、そう云う考えになる。――君、女に惚れた事があるか」
三四郎は即答が出来なかった。
「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が云った。
「恐ろしいものだ、僕も知っている」と三四郎も云った。すると与次郎が大きな声で笑い出した。静かな夜の中で大変高く聞こえる。
「知りもしない癖に。知りもしない癖に」
三四郎は憮然としていた。
「明日も好い天気だ。運動会は仕合せだ。奇麗な女が沢山来る是非見にくるがいい」

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 13時50分
「そう云う事もあるからなあ」と与次郎が云った。三四郎には只可笑しいだけである。その外には何等の意味もない。高い月を仰いで大きな声を出して笑った。金を返されないでも愉快である。与次郎は、
「笑っちゃ不可ん」と注意した。三四郎は猶可笑しくなった。
「笑わないで、よく考えてみろ。己が金を返さなければこそ、君が美禰子さんから金を借りる事が出来たんだろう」
三四郎は笑うのを已めた。
「それで?」
「それだけで沢山じゃないか。――君、あの女を愛しているんだろう」与次郎は善く知っている。三四郎はふんと云って、又高い月を見た。月の側に白い雲が出た。

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2010/03/28 (Sun) 山パンと後悔

名前:あいこ 日付:5月4日(日) 22時38分
この感情はなんなんだろう、としばらく考えていて、これは後悔というやつじゃないかと思った。ほんとうに久しぶりだな。ずっと後悔なんてしたことなかった。自分が行くべき道を見誤るようなこと。それによってひとつの可能性を永遠に失うこと。自分の失ったものの大きさを測り知ることのできないこと。

話してみると馬鹿みたいなことなんだよ。昨日、今日と山パンのバイトしたんだけど、イトーヨーカドーでかしわもちを売るんだけど、もうひとりのアルバイトの子が、顔がアイコに似てたんだよ。色が白くて、少し赤みがかっていて、ほくろがチャーミングな感じのね。肌の感じはフカッチャンを想像するといい。深津エリね。それで頬っぺたが丸く膨らんでるんだよ。それで、くちびるがつんと尖っている感じ。ひよこを想像するといい。身長も152センチくらい。体型も似ていた。後ろから見たとき、けつのにくの下がり具合もかわいかった。

名前:あいこ 日付:5月4日(日) 22時39分
昨日、今日とずっと一緒に働いていたからね。合計22時間くらい?今日もね、仕事が終わったあと、ずーっと害のない話をしていたんだけど(害のない話をしていて、楽しくなったのはほんとうに久しぶりだった)、建物を出て、その子は歩いて駅まで行く、俺は自転車で家まで帰る、というので別れちゃったんだよ。

その子もね、更衣室の前で、じゃあお疲れさんです、って別れたあとも、社員通用口のところでのろのろとしていて(あれはわざとだろうと思ったよ、不自然だった)、俺が来ると、ドアを開けてくれたりとか、まあなんというかあの独特の「ういういしい感じ」がもう、ずーっとしてたんだよ。わかるでしょ?あの「ういういしい感じ」を抜きに青春は語れない。まあとにかく、ういういしかったんだよ。

だからさ、俺が自転車を転がして、駅まで一緒に歩いてみようかぐらいのことは言えたはずなんだよ。むしろ、相手はそれを期待していたんじゃないかという気さえする。もろに内気な感じの子だったからな。籠谷さんっていう名前だったんだけどね。専門学校を3年前に出たって言ってた。たぶん俺と同い年だ。だから、たぶんあの子も、俺との時間にどきどきしながら、期待していたけれど、一緒に駅まで歩こうぐらいのことは期待していたんだけど、俺がじゃあ、俺は自転車で帰るんで、とか言っちゃったから、ああ、やっぱりこんなもんだよな、これが現実だよ、もしかしたらこの人、あたしのこと好きなんじゃないかと思ってたけど、あたしと同じように、一緒にいてどきどきしていたんじゃないかと思ってたけど、ぜんぶあたしの勘違いだったのね、なんて考えていたんじゃないか、と思ってしまうんだよ。

名前:あいこ 日付:5月4日(日) 22時58分
しかもね、自転車をこぎ始めて、しばらくして、その子が電車に乗ることになっている駅を通り過ぎたあたりで、今日は親が田舎に行っているから、夜は遅く帰ってくるということで、あゆみは今日の夕飯は一人でイトーヨーカドーあたりで食べてくればいいじゃない、とか親に言われたことを思い出したんだよ。もうおせえよ。それだったらさ、その子と別れる前に、「じゃあ俺はイトーヨーカドーでこのまま晩ごはんでも食べるよ。君もどう」くらいのことは言えたんじゃないか。その子、オッケーしたかもしんねえぞ。

だってさ、別れる直前に、ここのイトーヨーカドーってすごく大きいんだよね、大戸屋とか、ドトールとか、マックとかいろいろあるしね。なのに、俺たちは柏餅を売っているだけで、ろくにこの店のことを知らないんだよね(笑。あとで客として来てみたいよね。みたいなことを話していた矢先だったんだよ。ふたりで客として来ればよかったじゃねーか!!それでふたりで晩ごはんをそこで食べられたかもしれないじゃないか。そのときにはもうためぐちで話していてね、もちろん、めあどとかも交換するんだよ。そのあとはもう、ねえ?

ほんとに初々しかったんだよ。雰囲気がよすぎた。冗談じゃなく、はたからみれば、俺たちは恋人同士に見えたはずだ。

名前:あいこ 日付:5月4日(日) 23時25分
それで、その子はアイコに似ていたんだけど、おっぱいの大きさも同じくらいだったんだよ。

顔はね、ちびまる子ちゃんのまる子が不平を言うときに「ブーっ」って言ってくちびるを尖らせるときの、しかめっ面が入った感じの顔。俺はね、あのしかめっ面っぽい顔が大好きなの。しゃべるときも、しかめっ面で話すんだよ。けれど、別に不機嫌なわけでもないっていうね。ああいうのが大好き。ほんとうに好き。

こんな感じの顔だよ。わかる?しかめっ面。
http://www.youtube.com/watch?v=6ofQAEHLyzM&feature=related

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 0時35分
なにが歯止めになっていたかと言うと、その子がぼうしを取ったときのことなのね。

髪型が明らかになったんだけど、あっ、××さんだ、と思った。フュージョンマニアの××さんね。バケツから水をかぶった直後の髪型、もしくは稲中に出てくる井沢が整髪料をつけていないときの髪形。

そのとき、俺の中で瞬時に価値の転換が行われた。いまどきあんな髪型をしている女子を見たことがないぞ。早稲田にはあんな髪型の女子はほとんど歩いていないぞ。

帰るときに、上着を着ていたんだけど、黒の上着。ズボン黒。靴、黒。つまり全身、黒。ん?かばんの中から財布らしきものが見えた。クロコダイルちっくの、金具のついた、いかつい財布。

地味な人がね、たまに派手なものを身に付けていたりするけど、あれは見苦しいよね。全身黒って、腐女子なんじゃないの?わかんないけど。

でも、あとでよくよく考えてみたら、黒のズボンと黒の靴ってのは仕事上指定されてたんだよ。だから結果的に全身黒になっちまったんじゃないかっていう。それにしても、あのクロコダイルの金具の財布と、あの髪型は許せない。稲中の井沢が整髪料を落とすとどんな髪型になるか知ってんの?風呂上りならともかく、なんで女の子があんな髪型をするんだよお。なんであんな髪型でいて、自分に対して不満を感じないんだよ。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 0時52分
髪型ってのは、女の子にとっては特に、外見の印象に大きな影響を与えるんだよ。髪型がかわいいってだけで、その子のことをちらちら見たりして、顔が見えたと思ったらがっくりくると同時に安心したり。

女の子は髪型がいちばん大事だよ。髪型に対して無頓着なのは、問題外だよ。もちろん服装もだけどね。顔がピンとこなくても、服装と髪型で、九割がたはカバーできるもんなんだよ。俺なんか、顔がアイコっぽくなくても、髪型と服装がアイコっぽかったら、その子に惚れちゃうもん。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 0時53分
今日も山ぱん行ってきたんだよ。今日はトップ深大寺店。京王線でさ、古着のパーカにスカートにナイキのスニーカーで明るい茶のおかっぱ、って子を見たけど、視線がぐいぐいそっちに行っちゃうのね。まぶしい。光って見えるんだよ、そういう服装の子を見ると。顔なんてほとんど見てないんだよ。おくぶたえの上のまぶたの絶壁具合とかさ。古着中心の服装と、おかっぱの髪形っていう、その全体の印象だけ。

もう俺は申し訳なくなるんだよね。ああいう服装の子を見ると。ひれ伏すよ。弟子入りしたい。俺なんか絶対、視野にも入っていないんだろうなって思うんだよね。眼中にない。そういう子を見ると、自分がそこにいるというだけで申し訳なく思えてくる。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 0時58分
まあ、だから、そんなに後悔はしていないんだよ。なかなか悪くない経験だった。

名前:あいこ 日付:5月6日(火) 1時15分
でも、あれで髪型がしっかりしていて、服装がパーカにジーパンとかだったら、財布もまともだったら、わからない。あの顔には、パーカにジーパンが似合う。それに気付くべきだ。自覚しろ、自覚。それで明るい茶髪でおかっぱだったら、俺はもう雷に打たれたようになっていたかもしれない。パーカにジーパン、まともな髪型で見てみたかった。洒落にならないくらい似ていたかもしれない。

俺がアイコをアイコと認識するのは、服装とか、顔以外の要素によるところが大きいんだよ。だから、顔がほとんど似ていなくても、身長が低くてアイコっぽい服装、髪型をしていれば、どきどきしてしまう。

まあ、アイコっぽい服装が似合う人の顔ってのはけっこう限定されてるけどね。だから服装がアイコに似ていれば、結果的にアイコに割と似ている人が多いんだよね。たとえば奥ぶたえだったりね。薄い顔って言うのかな?一重か奥ぶたえで、左右の目が離れてる感じ。薄口の醤油。濃い顔はだめ。ナンプラーとかね。

たまにね、アイコっぽい服装の子を見かけて、顔を見てみるとナンプラーだったりすることがある。あれはがっくしくる。

薄口の醤油がハギワラのような格好をしていると、余計にがっくしくる。身の程を知れ、と。派手なものを身に付けなくても、かっこよくなれるんだよ、と。古着を着ろ。

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2010/03/28 (Sun) 健康状態と演奏について

名前:あいこ 日付:4月29日(火) 15時25分
あと、身体的、つまり精神的に弱っていると音楽も入ってこないね。感動がないのと、リズムだとかの気持ちよさも感じられない。つまり、音楽に感動することもないし、音楽を好きだという気持ちもなくなるし、リズムの感覚もなくなる。楽器もできなくなるんだよね。楽器でさ、いい感じのえんそーをするために必要なのはまず第一に、音楽を好きだという気持ちだと思うのね。それが動機になるんだから。恩返しみたいなもんじゃん、演奏って。その上、リズムの気持ちよさも感じられなくなると、自分でも気持ちいいリズムなんて出せなくなるよね。えんそーしてても自分も楽しくないしね。本人が楽しんでいないえんそーを、聞き手が楽しく聞けるわけがない。

だから、ほんとうに健康ってのがまずいちばん最初に位置するんだなあって思った。身体の健康ね。身体が弱ってると、なにやってもだめ。そもそもなにもやりたくならないしね。そこで自分に「これをやれ」とか、課題を与えて鞭打っても、なにもいいことはないね。信条のために生きるんじゃなくて、自分の楽しさのために生きなさいって話ですよ。

名前:あいこ 日付:4月29日(火) 15時40分
だからね、ずーと、リズムの気持ちよさも感じたことないの。体調と関わってくることだから。耳を鍛えると言うところとは別にね。ユーミンの曲をサークルでやったときの録音聴いたけど、ものすごいリズムだった。あのとき比較的健康だったんだよ。ほんとうに。平和だった。演奏にも出るんだな。

あと、2年前くらいの新歓合宿でギター弾いて、カメレオンだったかな、あれは自分のギター歴の中で間違いなく最高の演奏だったんだけど、あれさ、演奏そのものは地獄みたいな代物だったけどさ、あのとき、精神的にはものすごくおだやかだったのよ。周りの反応もあのときがいちばんよかったな。あれ庵原さんとかに見せたかった。ああいうのはいつでもできるってものじゃないからね。

つまりさ、よく精神的にヤバイときの方が、迫力のあるものが生み出されるなんて考えがちじゃない。ゴッホが耳を切った云々とか。

でも経験的に言って、精神的にヤバイと、喜びとか、何も感じないわけだから、つまり心が動いていないから、なにもいいものは生まれないね。

まあ、でも一般的にも「この時期は精神的に落ち着いているため、いい作品が多く生まれている」とか、そういう言い方をすることも多いよね。

まあ、とにかく、健康が何よりも大事というか、自分が楽しいとか、おだやかだとか、そういうのはほんとうに大事だなーと思いましたよ。それは自分のためにも、自分の音楽のためにも。苦しんで音楽やったってなにもいいものなんて生まれやしませんよ。

名前:あいこ 日付:4月29日(火) 15時47分
だからさ、狂気の演奏とか形容されるようなものでもさ、演奏している本人はおだやかだ、というのは普通にあるんだよなって。狂気のさなかにいると、かえって「狂気の演奏」なんてできないんだなって思った。狂気がなくなっておだやかになると、音楽そのものも丸くなっちゃって、鋭さとか迫力がなくなると思ってたけど、そうでもないみたいだね。

むしろ、おだやかになれば、狂気を自然に出すことができる、と言うか。狂ったような鋭い音楽をやっている人が、楽しく健康的に生きているというのはよく聞く話だからね。

だから、やはり健康が一番大事なんだよ。ほんとうに。

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2010/03/28 (Sun) アルバイトの面接

名前:あいこ 日付:4月29日(火) 15時14分
昨日は風邪を引いたのか、頭が絶望的に痛く、吐き気がして、悪寒がして、死にそうだった。6時からバイトの面接があったから、行った。そのバイトがくせもので、インターネット&コミックカフェーってやつなんだけど(ワイプとかいうところ)、自分が思っていたのと違って、6時間単位でしか働けない、と。学校週4日(すべて234限)行きながら、週三日6時間も働いたら、体力のない俺は死んでしまう。というか、時間的余裕は絶対に必要。つまり、ガッツリ系の職場なのよ。たくさん稼いで、たくさん遊ぶっていうさ。ていうか、フリーター向けのようなもので、学生には向かないだろう。I君に誘われてさ、一緒にやってみようかなんて話していたんだけど、I君はいまはもうフリーターだからいいけど、まだ単位がガッツリ残っている俺には無理って話です。それに、窓がなく、密閉された空間で、まあ言ってみれば水商売だから、健康的な職場ではないよね。俺はもっと、健康的な、陽の光が当たるような職場で働きたいというかね。俺はこう見えてもヘルシー指向なんだよ。キウリをカリカリと齧っているようなね。それで、ある程度手を動かしている方がいい。I君は「楽だからいい」と言っていたけど、俺はそうは思わないんだな。所詮アルバイトだから金が入ればそれでいい、とは考えることができない。生活の一部にするんだから、そこから何かが得られないと、自分の時間を捨てるようなものになってしまう。本屋は毎回、大きな発見と言うか、感動のようなものがあった。人間を見ているというようなね。確かに、どんな職場でも社会の一端を見ることはできる。けれども、インターネットカフェーのようなところに見られる社会ってのは、自分にとって発見だとか、感動を与えてくれるものではないんだな。どちらかというと、社会のハードな面を見せてくれる場のような気がするね。「夜」の世界だね。本屋なんかは「昼」の世界なんだけどね。働いているときくらい「昼」の世界にいたいと思うね。I君には悪いが、辞退しようと思っているんです。まあ、どのみち不合格かもしれないが。いまI君と話し合いをしている。これがもとで絶交なんてことにならないといいが。風邪を引いていて、死にそうになっている中、上のようなことを昨日、ずっと考えていたのです。すべてがネガティヴな方向に行くのです。タイミングが悪い。忙しさに呑まれて、自分の欲しいもの、やりたいことも判らない状態で、それでも立ち止まって考える時間的、身体的精神的余裕もない。常に後ろから追われている。俺は走る。けれども、俺の走っている、向かっている方向は間違っている。そういう自覚はあるのに、立ち止まることはできない。そういうことが過去にあったけど、それを再び繰り返すわけにはいかないんでね。次にこれをやったらほんとうに死ぬかもしれない。だから、この新しいバイトを始めたが最後、最終的には死んでしまう。そういうことを考えていてね。風邪引いているときだからね。タイミングが悪い。で、I君との話し合いは途中で放棄して、結局10時半くらいには眠れたと思うのね。枕はふたつに折ってね。そうすると多少は頭痛が抑えられる。それで、今日一時くらいに起きた。夢は6個くらい見たんじゃないかな。そのうちのひとつは佐野康夫と話した夢。いい人だった。友達になりたいと思った。俺が女だったら確実に惚れている。もうひとつはお母さんが死体遺棄の容疑で警察に捕まる夢。目が覚めてみると、頭痛はなくなっていたな。ここ半年くらいのあいだで、いちばん精神状態がよろしい。やはり、身体が資本なんだな。健康が第一なんだな。身体の健康がこれほど精神の健康に影響するとは。もちろん、心身一元論と言うのは頭では理解していたけれどね。けれども、ずっとそれに反抗していたからね。やはり、健康第一ですよ。俺自身が自分の身体を徹底的に追い込んでいるのに、その上周囲はそれを止めてくれるどころかもっと追い込んでくるような環境、そういうのを思い出してね。追い詰めて、俺が壊れてしまっても、周囲の人間は何も責任を取ってくれるわけじゃない。俺の身体は俺の身体であって、自分で守らないといけない。つまりは、自己管理というやつね。俺はこれが徹底的に下手なの。というか、自己管理という言葉が存在することすら知らなかったというか。健康第一ですよ、ほんとうに。

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2010/03/28 (Sun) 無題

名前:あいこ 日付:3月20日(木) 0時42分
恋が終わっても人生は続く

名前:あいこ 日付:3月22日(土) 23時14分
先日キースジャレットのカントリーという曲を聴いていて、そこからアイコの姿が浮かび上がってきた。アイコの愛するもの。

名前:あいこ 日付:3月22日(土) 23時35分
アイコが好き。じゃあノラジョーンズはどうなるんだよ?ジャクソンブラウンは?ノラジョーンズを聴いているとき、俺はアイコを見ていた。アイコの愛するもの…それは「世界」。「世界」を見ていた俺は、アイコをも見ていたのだった。「世界」に触れ、笑う俺は、アイコと共に笑っていたのだった。なぜなら、アイコも「世界」に含まれているから。俺が空の青さに笑っていたとき、アイコが近くにいるような気がした。こっち側にいるような気がした。

名前:あいこ 日付:3月24日(月) 13時43分
Q:ちんぽがからまって取れません。どうしたらいい?
A:引っ付き虫を使うとよい。

名前:あいこ 日付:3月24日(月) 16時28分
アイコは親しみやすそうな振る舞いをしている。けれども、アイコの人間性は複雑怪奇である。外面にとらわれていると何も見えてはこない。アイコは、自分の二律背反性にどこまで気が付いてるのだろう。悪い言い方をすると、裏表がありすぎる。アイコは自身の中に、互いに相矛盾する要素を多く持っている。その二律背反性をどこまで自覚して、それを音楽に活かしているのだろう。本人だって完全に把握しているわけじゃない。自分を知るということは難しい。アイコ自身、自分の才能の大きさに気が付いていない、いや、自分の才能の形を把握しきれていない。才能に振り回されているように見える。アイコ自身よりもまず先に、アイコの才能がある。才能はアイコを逃がしはしない。アイコはそれに従うしかない。それは嵐の中で生き続けるようなものだ。アイコはあまりにも遠い。人間離れしすぎている。人間というものを示している故に。親しみやすさはただの外面だ。この人は化け物だ。人間ではない。本人だって、好きで化け物に生まれたわけではない。本人だって、自分自身を遠く感じることがあるだろう。スティグマというのか、これ?俺はアイコが怖い。

名前:あいこ 日付:3月30日(日) 22時10分
さっきアイコのポスターを開ける夢を見た。くるくると開けていくと、朝青龍の顔が。アイコのアルバムのジャケットの写真と朝青龍の写真を合成したようなポスターだった。そこで目が覚めた。テレビをつけると、ちびまる子ちゃんで相撲の話をしてた。まだアイコのポスターは開けていません。

名前:あいこ 日付:4月12日(土) 0時35分
アイコのマンコのあたたかさをジーパンの上からぎんぎんに勃起した俺のチンコに感じたい。俺のぱっつんぱっつんに勃起したチンコをジーパンの上からアイコのマンコにぐりぐりと押し付けて更に勃起したい。

名前:あいこ 日付:4月12日(土) 0時36分
彼は馬鹿だね。そのかわいがってるぬいぐるみにもいつか死ぬときがくるんじゃないか、と悲しんでいるんだ。じっさい、なん十年後かに彼が死んでも、そのぬいぐるみはここに残るだろうに。誰かが燃やしてしまわないかぎり。

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2010/03/28 (Sun) クリスマスのライブ

名前:あいこ 日付:2月29日(金) 14時40分
あんまりこういう分析めいたことはやりたくないけど。
見た目:アイコ以上にかわいい人はこの世に存在しない
髪型・服装:アイコ以上にこちらの胸をばくばくさせ、目をくらくらさせる髪型、服装はない。
体型:身長も152センチ以外はあり得ないと思う。体型も幼児体型じゃないとだめ。
おっぱいの大きさ:最強。でかすぎてこちらの胸をどきどきさせるのが良い。アイコのおっぱいを見るとでかすぎて絶望的になる。神さまはなんであんなのを用意したんだ。
アイコの音楽:好き
音楽の趣味:かぶる
考え方、感じかた:近い
声:世界最強
しゃべり方:世界最強
漫画の趣味:素晴らしい
誕生日:最強

とまあこんな感じ。アイコを抱きしめながら眠りたい。アイコのシャンプーの匂いをかいだら人生変わるね。たぶんいままでの人生が無意味に思えてくるだろう。

名前:あいこ 日付:3月7日(金) 0時6分
クリスマスのライブでアイコの曲をバンドでやった。
その録音を聴いている。
そのうちの一曲は、ドラムということに限って言うならば、
俺の今まで生きてきた中で最高の演奏。下手だけどね。

あの演奏を聴いて感動した人がいたのかどうかは判らないが(たぶん誰も感動などしなかっただろう。ほとんどの人が聴いてすらいなかったと思われる)、あのときのあのドラムをいちばん聴きたかったのは、ほかでもない俺自身だったことに、いま気がついた。完全に自分の為に演奏していたんだなーってね。録音聴いていて、客の存在をまったく意識していないことに気がついた。個人的。自分と音楽だけ。自分の録音を聴いて、胸が締め付けられるのははじめてだ。あの時のドラムが、俺の目に映っている音楽だ、と言い切ってもいいような気さえする。

もし俺が客席であれを見ていたら、他人が神の前にかしずいているのを目撃したときのような、性的とも言えるような親密な信仰を目撃したときのような、生理的嫌悪にも似たものを感じるだろう。しかし、それは嫌悪に終わらない。

そして、俺にとって音楽を聴いて「感じる」ということは、そういうことなのだ。俺にとって、音楽と「性的とも言えるような親密な信仰」というものとは切っても切り離せないのだ。それを、自分の演奏によって生み出すことが出来たことを嬉しく思っている。

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2010/03/28 (Sun) 一生を

名前:あいこ 日付:2月22日(金) 3時6分
ぼくはいま、一生を棒に振ったと思っています。
何故なら、この6時間、アイコを見ていないからです。
ジャーズを聴いていました。
そこでいまアイコを見ました。
死にたくなりました。
もう手遅れだと思いました。
もう俺の人生は終わったと思いました。
でもアイコに向かっていない時間は客観的に見ると6時間というあいだなのですね。6時間のあいだアイコに向かっていないだけで、人生が台無しになるのでしょうか?たぶんならないですよね?冷静になれない。

一日とかそこらで、物事が変わるわけがないのだ。急ぎすぎている?いままでにやってこなかったことが余りにも多すぎるのだ。急ぐのが普通だろう。ここにいたくない。どこかと訊かれると答えられないが、取り敢えずここから早く抜け出さないといけないの。ここはいけないの。ここにいちゃいけないの。

さっさと山を崩せー。

病的な執拗性?

好きでやってるわけじゃない。希望は自分の考えと別のところにある。「こうなりたい」とか頭で考えるわけじゃない。希望からは逃げられない。希望、大きいみたいよ。扱いづらい。すぐ暴れやがる。

名前:あいこ 日付:2月25日(月) 0時6分
なにかを手にするにはそれに見合った代償を求められる。
それなりに時間もかかるかもしれない。
それだけのことなんだろう。

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2010/03/28 (Sun) 痛み

名前:あいこ 日付:2月15日(金) 23時36分
アイコを見なきゃさあ、いま自分の置かれてる状況は変わらないと思ってて、アイコをひたすら見ようとしてるけどさあ、これはほとんど義務なんだよね。自分を放っとくと逃げちゃうから。見ると痛いんだもの。

けどさあ、なんか最近、アイコを見ててさあ、なんだ、自分はこの人のことを好きなんじゃないか、ってアイコと一緒に笑ったりして嬉しくて泣くことがあるよ。「単純に」好きなだけなんじゃないかってね。屈折してるようでいてね、実は単純なものなのかも知れないってね。もともとポジティヴな気持ちなんじゃないかってね。

名前:あいこ 日付:2月20日(水) 1時17分
この人になら縛られてみたい。
好きになることには責任が伴う。
好きになったならば、もう自由ではない。
「こうありたい」という希望は自分を必ずしも楽な方向へはもっていかない。しかし、楽に生きたいとは思わない。人間はわがままだ。それでこそ人間だろう。

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2010/03/28 (Sun) 誰か、自分以外の

名前:あいこ 日付:2月14日(木) 23時6分
誰か、自分以外のほかのひとりの人間が、これだけ「世界」たりうるものだろうか。
ひとつの瞬間の表情、そこに世界。
別の瞬間の表情。そこに世界。
それらの瞬間が見せる世界は、共通は見受けられども、同じには見えない。
見れども見れども、自分の知らない世界をそこに見る。終わりやある?
ひとつの瞬間の表情に、世界。その世界はほかのすべての世界を圧する。別の瞬間の表情に、世界。その世界も、ほかのすべての世界を圧する。
しかし、まだその圧するところの、世界の大きさを知らないのですね。

名前:あいこ 日付:2月15日(金) 0時8分
アイコを抱きしめたら、月並みだけど身体固まりそう。ぎゅっと抱きしめることはたぶんできない。触れてる程度に抱くだろうな。それでずっと固まってそう。意味わからん。

名前:あいこ 日付:2月15日(金) 1時14分
アイコは歳をとるごとにかわいくなっていくね…

名前:あいこ 日付:2月15日(金) 2時28分
普段のアイコのようす、外面と、歌を聴いて見出されるアイコの人間との間には、けっこうな相違があるんだよね。まあそりゃ、外面と内面は違っていて当たり前だけど。俺はアイコの内面のほうばっかり見ているわけだ。俺はいま、アイコの音楽を聴いたり、インタビューを読んだり、アイコの好きな音楽を聴いたり、アイコの好きな漫画を読んだり、アイコの好きなものを見ることで、そこでアイコが感じたことを、俺も一緒にトレースしようとしたり。アイコの内面を知ろうという努力を、今の環境で可能な範囲内でやっているわけだ。けど、普段の外面なんて知らない。実際に会っていないからね。舞台裏の映像とかを見ていると、やはり、自分の思っていた人物像とだいぶ違っている。しかし、その外面と、内面は確実に繋がっているわけだ。まだ、自分の中でそれらの繋がりを見出せていない。それらの繋がりが見えるようになると、俺はアイコを血の通った人間として、生々しいものとして見ることができるようになるんだろうね。

たとえば、いま、アイコの音楽を聴いて、感じる。これは遠隔操作のようなコミュニケーションなんだ。俺とアイコは見つめ合っているわけではない。アイコの見ているものを、俺も一緒になって、見る。そして、アイコが感じたものを、俺も一緒になって感じる。同じものを見ているだけなんだ。俺はアイコ自身を見ているわけではない。アイコの好きなものを見ている。アイコの感じた感情を一緒に感じようと努めている。アイコの美しいと思ったものを、俺も美しいと感じたいと思っている。アイコの知っている世界を、俺も知りたいと思っている。アイコの眼で、世界を見たいと思っている。

たとえば、俺とアイコのあいだに、共通項はあるかもしれない。人生において、お互い、同じようなものに価値を見出しているかもしれない。けれども、俺はアイコを直接には何も見ていない。アイコの考えていること、感じているものを、ひとりで、自分なりにトレースしているだけだ。遠隔操作のコミュニケーションだ。

俺はお互いの顔を見つめあうことだけがコミュニケーションだとは思わない。孤独に為されるコミュニケーションもあるのだ。しかし、これだけでは、俺は絶対に満足はできない。このままで死んだら、生まれないほうがマシだった、と言えるだろう。

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2010/03/28 (Sun) 08.2月11日(月)~2月12日(火)

名前:あいこ 日付:2月11日(月) 0時47分
そうそう、アイコの音楽は死に接触した生の表現だって言ったけどさ、これはつまり、「喜びの表現」なのね。結局、生きてりゃいいことがあるってことを言っている、一言で言えば「生の肯定」だから。あの人は、悲しみを歌おうっていう意識はまったく持っていないと思うのね。あの人の音楽はすべて、上を向いている音楽なんだよね。正確には、上を向こうと頑張っている人の音楽、というのかな。まっすぐ前を向いているよね。俺は前向きに頑張っている人が好きだね。同時に、物事に対して懐疑的な人が好きだね。逆に、疑いを持たない人は好きになれない。

名前:あいこ 日付:2月11日(月) 23時20分
想像は常に事実よりも怖ろしいものだ。

見るのを避けていれば想像は生長する。それは事実を離れる。
ひとたび見てしまえば、想像は消えてしまう。

想像の中だけで生きていると、足が地面から離れる。夢の中のようになる。

神経症はすべて想像上の創作である。

「想像力が豊かなのはいいことだ」。

それだけか?

名前:あいこ 日付:2月12日(火) 17時5分
生の側から見た、死。死の側から見た生。このふたつが分かたれていない。

生の中にあるとき、常に死を意識している。死を怖れ、同時に死に近づこうとする。

逆に、自分が死んだとしたら、自分は永久に生を渇望するだろう。生きたいとか死にたいとか…死にたいと思った10分後に生きたいと思っている自分がいる。

そういうことを、アイコの音楽を聴いて感じることが多い。「星のない世界」という曲が、いちばんそれを強く感じさせる。アイコが普段の生活の中で、生の側から死を想像したり死の側から生を想像することが多いのだろう。そうとしか思われない(実際、インタビューのときに何度もそれに近い発言をしているわけだけれど)。

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2010/03/28 (Sun) 08.2月10日(日)~2月11日(月)

名前:あいこ 日付:2月10日(日) 18時8分
で、そんな時代の中で出来上がった、ちょっと軽い、上を向いてる曲がすごく好きなんですよね。なんかこう、暗いほう、マイナスなほうにならどんどん行き着けるけど、そうじゃなくて上を向くことにちょっと抵抗しながら作ってる感じというか。だから、どんなに上を向いても、突き抜けてないんですよ。私の曲でいうと「ボーイフレンド」みたいな突き抜け感じゃない、な感じ(笑)。

名前:あいこ 日付:2月11日(月) 0時28分
聴いても聴いてもなくならん。

名前:あいこ 日付:2月11日(月) 0時31分
なくなるまで聴いてやるよバカ。

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2010/03/28 (Sun) 08.2月9日(土)~2月10日(日)

名前:ちんこ 日付:2月9日(土) 1時24分
俺は40歳くらいでケコーンして、すぐにパートナーとの肉体的干渉が少なくなり(これは疎遠になるという意味合いに限ったことではなく、単身赴任するだとか、結婚はしているがセックスに関してはまったくしない、といった状態に置かれることを表しています)、ある時期に急に夫婦間の感情がかなり悪化するらしいです。急転直下だそうです。離婚の恐れあり。

名前:ちんこ 日付:2月9日(土) 1時25分
これね。
http://www.nurs.or.jp/~tesou/-kekkon.htm

7652.想いが動いてゆく音を、駆け抜ける時の中で聴いた。
名前:あいこ 日付:2月10日(日) 1時10分
書いたら嘘になるから書きたくないけど。「星のない世界」という曲がある。こんなに絶望的な曲はないね。ここまで死というものを強く感じられる音楽ってほかにないね。

アイコの何に感謝しているかってね、死に近接した生、或いは死に接触している生が、どのように輝くかということを教えてくれたことにあるのね。アイコの音楽に出会うまで、アイコの人間に出会うまで、「死と生は表裏一体である」という事実は、アタマで知識として漠然と理解していただけにすぎない。いまのところ、アイコ以上にこの事実を見せてくれる人は誰もいない。俺は音楽の話をしている。また、人間の話をしている。アイコを見つめるということは、生きるということを、死ぬということを見つめることだ。

そして、俺自身もいずれ、死と接触した生が輝くのを自らの身に経験することになる。

想いが動いてゆく音を、駆け抜ける時の中で聴いた。

名前:あいこ 日付:2月10日(日) 16時0分
それにしてもアイコに乳首があるとしたら、そんな残酷なことはないよなあ。

名前:あいこ 日付:2月10日(日) 16時42分
だめだ、好き

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2010/03/28 (Sun) 07.12月24日(月)~1月31日(木)

名前:ちんちん 日付:12月24日(月) 23時22分
ありふれたこと。

「感動する」って、単純にポジティヴなものなんでしょうか。「いま、あの曲を聴いたら、胸が締め付けられるだろう」と思うことはよくあります。でも、そういう時、その曲を聴くのかというと、躊躇うことが多い。怖いんですね。でも、頑張って聴く。すると、絶対に、「聴いてよかった」ってなるんです。なぜなら、自分がそれを愛していたことを知るからです。

怖いのは、リアルすぎるからかもしれない。空想とリアルの関係なのか。空想に責任は伴わない。リアルは、自分に問うてくる。空想は「目的」ではない。空想は、自分の人生に対する「手段」である。空想だけで、人は満足しない。

名前:ちんちん 日付:12月24日(月) 23時23分
うえ、11時22分。どっかで見てるの?

名前:ちんこ 日付:1月31日(木) 1時49分
知らない表情に出会えた時の、ざらついた感覚は、新しいものが怖いのと似てる。

名前:ちんこ 日付:1月31日(木) 2時4分
「ざわついた感覚」だったね。

知らないことなんて、たとえいちばん近くにいたとしても、ずっと無くなりっこないのにね。

それでも、いま、こうして限られた環境の中で知らないことを少しでもゼロに近づけていきたい、と思っているけど、新しいことを知るたびに、自分はこの人のことを何も知らなかったんだ、と思い知らされて、急に焦ると言うか、落ち着かなくなるね。急に焦るってことは、少しでも安心していたってことだよね。「おれは、ある程度は、この人のことを知っている」というふうに。でもこの「ある程度」というのは全然あてにならないのね。

それでも、知りたいと思うのね。この人のことを知りたいって思うのね。その気持ちがなくなったら、それはもう生きていないときだろうね。自分の知らない価値を少しでも早く見つけて、それを追っかけることが、常に自分にとっていちばん関心のあることだと思うから。いま、生まれてきてから、いちばん大きなものを追いかけています。これ以上の価値はこれから先、一生、新しく自分の前に現れることはないでしょう。

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2010/03/28 (Sun) 07.6月5日(火)~7月22日(日)

名前:か 日付:6月5日(火) 22時48分
遠藤賢司のライブ会場でアイコを見ました。そっくりさんかも知れないが。でも、本人より本人っぽかった。てことは本人なんじゃねえか。今は胸がむずむずする。声をかけられなかった後悔からか、それとも「その人」に恋をしてしまったからか。恋をした、としても俺は誰に恋をしたのだ。アイコ本人か?偶像やイメージではない、本人に恋をしたのか?それは凄いことだ。それともただの名前も知らないそっくりさんに恋をしたのか?このむずむずの原因がどっちなのかわからない。だからどこにもぶつけようがない。何をすればいいのかわからない。落ち着かない。

名前:か 日付:6月30日(土) 0時44分
月がきれい。裸眼でずっと見てると、ぶくぶくと膨らみだす。縮んだり膨らんだり。月ってこんなに大きかったっけ。あいこ、かわいい。大好き。無条件で好きになれたら。

名前:か 日付:7月7日(土) 0時33分
世の中には分からんことがいっぱいある。例えば、あいこはなんでこんなにかわいいんですか?だって、人間の限界、超えてるだろ。科学的に説明つかないだろ。物理的に有り得ないだろ。意味わかんねえ。うーお。意味わかんねえ。この世に存在するってのがさ。結婚じゃすまされねえ。結婚しても足りねえ。どうすればいいんだろう。取り敢えず、その視線すべてをひとつも溢さないでいたい。抱き締めて、まだ足りない。その視線が、ぼくの人生のすべてのような気がする。その視線を、ぼくが、生きる。恋とはこういうものだったろうか。異性を好きになることは、その人の、視線を生きることだったのか。自分の人生の価値を、その人の視線に見い出すことだったのか。そこに、ちっぽけな自我など、存在しない。その人の視線が、自分のすべてだ。自分のことなど問題ではない。

だいたい、好きになった人の視線以上の価値なんてものがあるだろうか?ないね。満足のいくような恋をしないで人生を終える、これ以上馬鹿げたことはないね。そんなの、産まれてきた意味が無いんだよ。

名前:か 日付:7月13日(金) 20時45分
永久のいのちが欲しいとかいう人間の欲望を、「死がなければ生も殆んど意味を持たなくなるだろう」と、否定していたけれども、あいこの写真を見ていると、この人と一緒にいられるのなら、永久に一緒にいたいと思った。例えば結婚なりしてずっと一緒に年をとっていく。しかし、いつかは必ずどちらかが先に死んでしまって、もう片方が一人残されてしまう。そんなときが必ず来るわけで。はじめて、「永久に生きたい」という人の気持ちがわかった。俺は傲慢だった。

あと、あいこは男の人と付き合ってるときに、「本当に私なんかでいいのかな」と自信が持てなくなるらしいけど、あなた以上の人がいったいどこにいるんですか。あなたが「なんか」だったら、たとえば俺なんかはどうなってしまうんですか。立派な人になりたければ、まず立派な人を見よ。

前:か 日付:7月22日(日) 1時22分
ずっと前、神泉のデニーズの前あたりでaikoを見かけたんだけど(直感的に本人だとわかった)もしかしたら違うかもしれない、本人だとしても怖くて声をかけるなんてとんでもない、ということでその時は声を掛けずじまいで、そのあと数日間、胸をいためていたのだけど、aikoはもともとデニーズが好きで、神泉のデニーズにはこの前のツアーのときは二日連続で通ったこともあるそうです。このとき以外にも、遠藤賢司のライブを見に行ったときも直感的にaikoだとわかった、人を見たのだけど、やはり両方とも本人だったのかもしれない、と言う感がますます強くなっていくようです。俺の直感は信用してもいいのかもしれない。疑いの余地なく、直感的に「aikoだ」とわかったわけ、その2回は。「違うかも、いや、本人かも」、とかじゃなくて、疑いの余地がまったくなくて、当たり前と言う感じ。次、直感が来たら絶対に声をかける。絶対不審者だけど。かんけいない。もう既に、物凄く大きな機会を失っているんだから。「次がある」なんて考えていたら、もう一生来ないことも充分にありえる。取り戻せないもの、つくり直すことのできないもの、というのは確かに、ある。失ったら、もう二度と、絶対に手に入らない。もう俺は一生を棒に振ってしまったのかもしれない。後悔しても遅い。

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