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2011/08/31 (Wed) 09.1月24日(土)~1月25日(日)

名前:aiko 日付:1月24日(土) 3時12分
さて…俺が夜、死ぬような気分で眠りにつこうとしているのには原因があるのだろうか?結局は俺自身の希望による復讐なのではないか。俺は何かを望んでいる?何を望んでいる?

名前:aiko 日付:1月24日(土) 12時43分
俺は目標を設定して自分をそれに向かわせていくということに対して抵抗を感じていたけど、その時その時の直感に基づくなんてのは結局自分を欺くことにしかならないことに気が付いた。そっちの方が自然な生き方だと思ってたんだな。目標を設定して努力することは生き方として不自然だと感じていたんだな。

名前:aiko 日付:1月24日(土) 13時27分
馬鹿みたいな響きだが、俺は「努力していないことに耐えられない」のではないか。お楽しみで何かをやるというのは自分にとって何の手応えも感じない。

名前:aiko 日付:1月24日(土) 15時11分
「トンガリくん」が面白い。
http://www.open-art.tv/special/keppek.html

名前:aiko 日付:1月24日(土) 15時17分
このアニメに影響受けてるらしい。
http://jp.youtube.com/watch?v=J6UgzNJfpfA

名前:aiko 日付:1月24日(土) 20時28分
どうやら俺がいまいちばん望んでいることは、学校を卒業することであるらしい。というのも、学校を卒業することに繋がること(試験の勉強や授業の予復習、授業の出席)をしている時が、いちばん生きているという実感が感じられ、不自然な所がなくなることからそう考えるのだ。逆にそこから逃げていると、世界に色がなくなり、死にそうになる。

名前:aiko 日付:1月24日(土) 21時5分
誰かが俺の首を絞めて殺そうとした所で、俺は抵抗するだけの気力を持っているのかな?

名前:aiko 日付:1月25日(日) 0時15分
言葉で規定する前から世界はあるし、言葉で規定しなくても世界はありつづけるのだ。それだけー。

名前:aiko 日付:1月25日(日) 1時48分
育ってゆく

名前:aiko 日付:1月25日(日) 2時0分
自分の中で人間が育ってゆく。自分の中で、彼女が人間としての実在を取り戻す。彼女が呼吸をしていること。それを感じられることで痛みも覚える。彼女が生きていること。それは不合理のことのように思える。彼女がこの五分間を生きている。そのことで俺はどれだけのものを失っているんだろう?彼女が何らかの目的性、つまり意志を持っていること。彼女が生き続けていること。自分が生きているのは彼女と同じ世界であるということ。この服には彼女の意志が反映されているということ。彼女が生きていることがしるしとして自分のすぐそばにあるということ

名前:aiko 日付:1月25日(日) 12時54分
俺が音楽家として目指しているものに、大友良英がいちばん近いような気もする。

名前:aiko 日付:1月25日(日) 14時59分
死ね!!!

名前:aiko 日付:1月25日(日) 15時1分
意味 人間 存在 関係 実体

名前:aiko 日付:1月25日(日) 15時12分
ああかっこいい この人たち生きてる 怖い だってこの人たち生きてる 生きてるのがかっこいい 俺は生きていたことなんてあったのか 生きていることがかっこいい なんで俺は生きてないの

名前:aiko 日付:1月25日(日) 15時17分
「これ」が音楽の「力」だ。以前にこの力を感じたのは十月の始めが最後だったように思う。この「音楽の力」以外に俺が求めているものは何もない。これ以外はみんな人生に無関係だ。嘘だ。ほんとうのことを感じていたい。あまりにも、嘘、自分の人生と関係のない時間を過ごしすぎた。嘘でないもの、それは限られたものの中にしかない。それを見ないで死ぬことは簡単だ。それを見ないでいることは死んでいることと同じだ。

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2011/08/31 (Wed) 09.1月21日(水)~1月22日(木)

名前:aiko 日付:1月21日(水) 1時46分
俺がずっと問題にしているのは「不在感」なのか?自分にとって必要な人間の…いま自分の置かれている環境の中で、不在感と折り合いをつけようとしているんだろうか?

名前:aiko 日付:1月21日(水) 2時0分
その「不在感」というものが漠然としているんだな。形を把握出来ていない。形を把握出来るようになれば、どこまでが不在で、どこまでが不在でないかが判るようになるんだろう。俺はまだ「不在」を感じられるような段階にはない。「足りない」と言えるような段階にはない。「足りない」と思う時には胸が痛くなっているのかもしれない。(正確には、不在性を埋めていく努力をし尽した時に初めて本当の不在を感じるのだろう。早くそこに到達したいと思っている。)

名前:aiko 日付:1月21日(水) 12時13分
当然、音楽上の新しいアプローチがまったく意味を持たないとは言わないけどさ。ノイズ音楽だとかさ、現代音楽なんてのは大体は発想が斬新っていうだけで、音楽としての内容を考えた場合、聞けないものが多いでしょ。だからといってジョンケージのやったことがまったく無意味だったってことにはならないでしょ。そういう発想を活かすことで、本当の音楽が出来ることにもなるんでしょ。

名前:aiko 日付:1月21日(水) 21時32分
かわいすぎる
http://www.musicnet.co.jp/search/search.php?ArtistID=00000003

名前:aiko 日付:1月22日(木) 0時3分
これはひどい文章だ。あまりにも漠然としていて、たぶん君には何のことだかさっぱりわからないだろうな。あるいは君は僕が自分の運命に対して必要以上に意味を与えすぎていると思うかもしれない。もちろん君にそう思わせる責任は全て僕にある。
しかし君にわかってほしいのは、僕が現在置かれている状況の中枢を君に説明しようとすればするほど、僕の文章はこんな風にバラバラになってしまうという事実だ。でも僕自身はまともだ。これまでにないくらいまともだ。

名前:aiko 日付:1月22日(木) 21時10分
no hell below us, above us only sky
imagine all the people living life in peace
http://jp.youtube.com/watch?v=ssBNmHObev0

名前:aiko 日付:1月22日(木) 23時16分
俺はずいぶん無駄に生きてきた。しかし世界は動いている。世界は待ってはくれない。しかし俺はずいぶん無駄に生きてきた。6月に学校を放り出したのは、楽器をやっている時に感じた空虚感による所が大きい。「ここは自分の場所じゃない」という。それでいて、学校に行ってることも、正しいこととは思えなかった。消耗でしかなかった。疲れて思考力もなかった。よく考えて学校へ行くのを中断したのではなかった。「間違ったことを続ける必要はない」と思っただけだった。つまり、自分が「正しい」と思えることをしていきたいと思っていた。そして、学校へ行くのをやめてから一ヶ月もたたない、七月に、無理矢理に働き始めさせられた。「間違っている」と思った。しかし、「間違っている」と感じているのに、すぐにそこを抜け出そうとはせず、「しばらくは様子を見てみよう」と思い、仕事をしばらく続けることにした。つまり、自分が「正しい」と思えることをしていきたい、という考えも、完全に信じていたわけではなかったのだ。「働くことが、いまの自分の求めていることなんじゃないか」とも、少なからず感じていたらしいのだ。

俺は慎重にならなくてはならない。たとえば、俺がもう一年以上音楽をやっていないことを指して、「おまえは慎重すぎる。もっとノリを大事にして生きていけばいいんだよ」と言ってくる人間もいるかもしれない。しかし、俺が「慎重」になっているのには必ず理由がある。結果だけをいじくりまわしても、状況はいまよりももっと酷くなるだけだろう。

実際に、俺が安定してる時というのは、「逃げる」ということが機能している時なんだ。つまり、俺のとる行動は「逃げる」か「向かう」かに分けられる時だな。「逃げている」時には痛みを伴う。「向かっている」時には、形を持ったソリッドな痛み、ソリッドな恐怖を感じ、やるべきことをやっているという充実感のようなものを感じる。自分の行動がその二つに分けられるようにするには、当然、部屋の中の物の配置などもすべて計算づくになる。環境を変化させない、ということが重要になってくる。つまり、自分が実感を感じたり、なんらかの心の変化を感じた時に、それがどの環境の変化に起因するものかを特定出来るようにしておかなくてはならない、ということだ。いっぺんにいろんなものを変化させてしまうと、その時に起こった自分の心の変化が、どの環境の変化によって起こったものかを特定することが出来なくなる。

名前:aiko 日付:1月22日(木) 23時46分
逆に安定していない時というのは、逃げても向かってもいない時だ。なんの痛みも感じられない時だ。痛みも喜びも悲しみもない。無感覚というやつだ。自分の生でも他人の生でもない。自分はただこの肉体を借りていて、自分の仕事は、毎日この肉体を動かし、学校にいったり仕事に行ったりすること。そして眠らせること。おそろしいのは、現状に対して疑問すら生まれないことだな。疑問に思うべき主体というのか、自分の意志が見えなくなっちまっているんだな。いまがまさにこの状態にある。現状を疑問に思うには余りにも人生を無駄にしすぎた…とでもいうのかな(笑)。あんまり自分の人生を離れている時間が長くなりすぎると、現状に対する疑問だとか、問題意識、つまり「これでいいのか、これでいいわけがない」というやつだね、がなくなるというか、追いやられるというか、消えてしまうんだね。そこからはもう、まあおまけみたいなもんだな。後日談だ。人生の後日談。だから、「戻ってくる」のが重要であって、そのためには「どこに戻ってくるのか」を把握していないといけないんだよ。俺はよくなんヶ月も戻って来れなくなっていて、その戻って来るための目印を見失っていることがよくある。いまもそうだ。「戻ってくるための目印」というのは、「これが俺の生だ」と感じられる瞬間をもたらすもののことだな。自分の足が地面についていると感じられるような場所のことだ。胸の温かみを感じられる場所のことだ。そして、俺がいま、というかこの何年間かずっと必要としていることは、この「戻るべき場所」、胸の温かみを感じられる場所、自分の足が地面についているのを感じられる場所、生きているという実感を感じられる場所、にとどまり続ける、ということなんだな。

生きている実感も感じられず、世界が空っぽであるという強い確信のようなものを感じながら楽器をやるというのは、あまり楽しいことではない。だから楽器をやらないの。俺は生きていたいからね。

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2011/08/31 (Wed) 09.1月19日(月)~1月21日(水)

名前:アイコ 日付:1月19日(月) 23時1分
北海道に旅行に行こうとか誘われちゃったんだけど。旅行ってしたことないんだけど。なにすんの?飯食って、その他にやることあるのか。

名前:aiko 日付:1月19日(月) 23時26分
「北海道に旅行」ってとってつけたようなリア充言葉だよな。都市伝説かと思った。なにしに行くんだよ。寿司食うんだったらその北海道に行けるだけの金で赤坂かなんかの回らない寿司でも食った方がはるかに有意義だろ。とりあえず青春をエンジョイするには「北海道に旅行」ってこと?青春ごっこ?意味分からん。旅行だったら熱海でいいよ。いや、熱海も車乗ってる時間がだるいから、地元でいいや。普通に地元の飲み屋で飲めばいいじゃねーか。俺は旅行ってものに興味を持っていないってことか?つーか家から離れたくないんだけど。つーか、なにしに行くの?ほんとに。牛の乳絞るんだったら千葉のマザー牧場で十分だろ。別に絞りたくないし。そんなアクティブでリア充な経験は要らない。親父が沖縄に単身赴任してた時は何回か、沖縄に行ったけど。そういうんだったら抵抗ないんだよな。普段から会ってるような人だったら北海道にでも旅行行くかってなっても不自然ではないかも知れないけどさ。なんでいきなり北海道なのよ。

名前:aiko 日付:1月19日(月) 23時41分
当然、これもボランティアなんじゃねえかなー、とも思ってるんだよね。ほら、内側にこもっちゃってるKくんを健康にして、助けてあげるために外に出してあげましょうってやつ。これって結局向こうの医者気取りの自己満足だから、俺が相手の望むようにならなければ、逆ギレされちゃうんだよね。「おまえのためを思ってやってるのに、おまえはその恩を返そうともせず、相変わらず自分のことしか考えないで内側にこもって云々」って罵られるんだろうね。誰もおまえに助けてくれなんて頼んでねーよ、バーカ。

名前:aiko 日付:1月20日(火) 0時5分
今の自分を、宇宙空間に投げ出されているようだと感じることはよくあるよ。前もないし後ろもない。上もないし下もない。点はあっても線はない。しかし、自分にとって重大なものはあるらしい。しかしそれはいろんなものに邪魔されて見えづらくなっている。その邪魔しているものは少なくともいまの自分にとっては邪魔なものでしかない。その結果、例えば学校へ行くのをやめたり仕事をするのをやめたりという風になってたんだけど。でも普通の人は俺を見て「学校へ行くのをやめた(けしからん)」、「仕事をするのをやめた(けしからん)」という結果しか見ないよね。その結果だけ見て、K=クズ、或いは病人ってなって、中には「人間として劣等で駄目人間のKくんを救ってあげよう(だから俺に感謝しろ)」ってなやつも出てくるんだよな。なにさまなんでしょうね?ほんとに。

名前:aiko 日付:1月20日(火) 0時28分
極度に疲れていて激しい頭痛がして、しかし寝ようとしても神経ばかりが冴えていて眠れない日が続く。そして次の日も当然疲労していて激しい頭痛がする。いつまで続くんだ?神経が冴えている癖に、何もやりたいことはない。というか、劣等感だとか、「こういうことがしたい」だとか「こうなりたい」というような希望が皆無なのだ。明日も仕事がある。金が入ったところで俺はそれをどうするんだ?明日がやってくるに越したことはない。しかしやってきてどうする?起きた時に世界が少しは虚ではなくなっていること、それだけだ。そして同じことを繰り返していく。どっちかというと死に近付いているような気がするね。

名前:aiko 日付:1月20日(火) 15時52分
電気時計を眺めている限り、少くとも世界は動きつづけていた。たいした世界ではないにしても、とにかく動きつづけてはいた。そして世界が動きつづけていることを認識している限り、僕は存在していた。たいした存在ではないにしても僕は存在していた。人が電気時計の針を通してしか自らの存在を確認できないというのは何かしら奇妙なことであるように思えた。世の中にはもっと別の確認方法があるはずなのだ。

名前:aiko 日付:1月20日(火) 23時50分
人は想像を通してしか世界を見ることはできない。「現実」というのは、「その人にとっての現実」というものでしかない。だから、自分自身の納得に従って生きていくしかないのだ。「客観的に正しい」なんていうのは在り得ない。「その人にとって正しい」というものでしかない。

俺がいま置かれているような状況は、おそらくこの事実に逆らおうとしたことに対する代償なんだろう。7月にね、「働くことが正しいのだ」とか言われて強引に働かせられたんだけど。「正しい」ってなんですか?働けば金が入るでしょう。「金を稼ぐ」という目的に対しては成功しているでしょう。しかし、「まとまった時間を取る」という目的に対しては失敗しているでしょう。働き始めた時に、俺は「これは絶対に間違っている」とずっと感じていたんだよ。それ以来、流れが狂っちまって、いまも狂ったままなんだけど。正しいか正しくないかは俺自身が決めることじゃないの?前向きに捉えるならば、この経験によって、俺はこれから、いままでよりかは自分の弱みにつけ込まれないようにすることができるようになるのかもしれない。しかし、バランスを取り戻せるようになるまでにあと半年はかかりそうだ。親切な人間に邪魔されたために1年間をまったくの苦痛のうちに過した、ということになるのだろうな。授業料というには高くつきすぎている。

だいたい、「人は想像を通してしか世界を見ることはできない」なんてのはもう2年以上前からずっと強く感じていたことだし、自分の価値観の根底にあるようなものだったんだよ。だからこそ、その価値観にまったく反するような生き方をした時に、自分の中に強い抵抗だとか、「明らかに間違っている」というような直感が強く働いたんだろうな。それでいまに至るわけだ。「自分の生」から離れているような恐怖を強く感じていた時期があったけど、ここ何ヶ月かは「自分の生」という言葉すらずっと頭の中から消えていた。つまり、それを口にしていたときは、少なからず「自分の生」を生きているときにどのように感じるものか、というのを思い出すことができたのだろう。

「自分の生」ってなんだ?もう何も見えない。「自分の生」を感じることもない。いま自分が生きているのも「自分の生」ではないという危機感を感じることも、もう久しく、ない。言うまでもないことだけど、「自分の生」なんてのは、自分の想像の中のものでしかないんだ。俺にとってはそれが何よりも大事なものだったんだ。

名前:aiko 日付:1月21日(水) 0時51分
おもしろい
http://home.intercity.or.jp/users/ytera/ueno/telphone.html

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2011/08/31 (Wed) 09.1月16日(金)~1月19日(月)

名前:aiko 日付:1月16日(金) 1時36分
もう死ぬことしか自分に出来ることはないし、それ以外に復讐の方法はないと思うんですよね。

名前:愛子 日付:1月16日(金) 17時56分
子どもがたくさんいるまえで信号無視をすると視線が痛い気がするね。小さい頃はまだ価値観が細分化されていないから、信号無視=悪者というような一般化をするでしょ。子どもたちの目には、信号無視をする俺は、いつかビデオで見せられた、悪の化身・信号無視魔人(信号無視をすることで世界征服を企んでいる)なんだろうな。交通法規仮面にやっつけられる。

名前:愛子 日付:1月17日(土) 2時9分
if you don't know, now you know.

名前:愛子 日付:1月17日(土) 17時57分
マクドナルドは俺にとって親密さを感じられる場所である。そこにいくと、そこで食事をしている人達が愛しく感じられる。

名前:aiko 日付:1月17日(土) 18時59分
うえのはるきのほめぱげ
哲哉の部屋ほどではない。
http://home.intercity.or.jp/users/ytera/ueno/index.html

名前:aiko 日付:1月17日(土) 20時47分
競馬の小沢桃子ちゃん
さんまのからくり
競馬学校の合否の通知を開けるのが怖くて泣き出す
合格と知ってまた声を上げて泣き出す
三浦春馬に会う
泣き出す
テレビに出ている人を見て、「この人が好きだ」と思ったことはいままでに殆んど一度もなかった
蛇足:知らないものに対する希望?好きだということ。頭ででっちあげた「希望」ではなしに。
http://jp.youtube.com/watch?v=fja5Yt0LwG0

名前:aiko 日付:1月17日(土) 22時5分
青い光はアルバムの最後の曲のように思える。いや、何が始まりで何が終わりなのかはわからない。このアルバムの中には始まりも終わりもないように思う。ずっと続いて行くものだと思う。このアルバムを、この曲を聴いて思うことは、「死にたい」ということであり、「生きたい」ということである。

名前:aiko 日付:1月17日(土) 23時41分
エネルギーというか…精気というのか…生とか死とかがなくなるような…霊というのか?そういうのを「生」というのか?俺が楽器をやったところでこういうエネルギーのようなものがどれだけ出るというのか。楽器をやることに限らない。俺は生きていないだろう。そういうことを考えると絶望的になる。俺は artist はおろか人間にもなってはいないだろう。

名前:愛子 日付:1月18日(日) 20時34分
助けて

名前:アイコ 日付:1月19日(月) 0時0分
感覚が最も大事だと思うんだよね。そして感覚は健康によって左右される。というのも、世界がどうあるのかが重要なのではなく、世界がどう見えるのかが重要だと思うからなんだよね。みんな自分に見えてる世界を「世界」と思い込んでいるだけなんだから。その見え方は、感覚によって左右する。更に、感覚は健康状態によって左右する。「健康状態」は「かたち」とも言い替えられる。感覚は、かたちによって左右される。つまり、正座をすれば気持ちもかしこまる。木の上に登れば緊張する。畳の上に横臥していれば精神は弛緩する。

「感覚」というものが最も大事なものだと、心の底から思う。

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2011/08/29 (Mon) 09.1月14日(水)~1月15日(木)

名前:愛子 日付:1月14日(水) 18時45分
俺が見たいと言っていたもの、それは「人間」なんてシンプルなものじゃない。言葉に規定することのできないものだからこそ、それを「自分なりの言葉」で規定することができるようになるまで(つまり納得できるまで)、それをはっきりとこの目で見ていたいと思っていたんじゃないか。

名前:愛子 日付:1月14日(水) 18時51分
マイルスデイビスだとかジミヘンドリックスだとかビートルズだとかビルエバンスだとかジャコパストリアスだとか、誰でもいいんだけど、みんな偉い人たちなのかも知れないが、俺にとってはなんの意味も持たない。ゼロだよ。偽音楽としてなら聴けるね。あれが音楽だというのなら、俺は音楽になんかまったく興味を持っていないよ。

名前:aiko 日付:1月14日(水) 18時56分
だから前から言ってるんだよ。俺は音楽なんかに興味を持っていなくて、人間の中のあるひとつの価値にしか興味を持っていないんだって。

名前:aiko 日付:1月14日(水) 23時46分
素晴らしい
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001EUGOOG/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=

名前:aiko 日付:1月15日(木) 3時4分
俺だけの問題じゃない。俺にそれをしてくれるように望んでいる、俺が名前も顔も知らない無数の人々がいる、ということなんだ。彼らは俺にそれをしてくれるなという。それが聞こえなくなるようじゃだめだよ。自分の意志で生きてるんじゃない。すべての人間の意志は自分の一人の意志なんだよ。でもそこで自分をでっち上げた「意志」に従わせると、自分だけじゃなく、自分の知らない人たちにまでそれは影響を与える。「名前も顔も知らない、彼らが俺に望んでいるところのもの」を、俺はずっと生きるように努めていた。七月に働き始めたのは、彼らの望んでいることではなかった。それはわかりきっていたんだけど。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 3時8分
単純に言えば、「それによって誰一人として得をしない」ということだよ。誰のプラスにもならない、ということ。それによって本来なら有り得た、出会いもなくなったんだろうね。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 3時45分
金が入るようになって食べ物とか買っても何も味がしないんだよね。スタジオも入れるけど演奏したいとか上手くなりたいみたいなものも皆無だしね。本とか買っても、たいして欲しくないというか、結局無駄なものが増えてくだけなんだよね。なんで俺に働けとか言ってくる人間がいるんだろう。俺は働きたいのか?なんで他人がそんなことを知ってる?俺の顔と名前しか知らないくせに。必要というのはでっち上げられるんだよ。住むなら港区です、車はBMW、時計はロレックス。そういう風に情報を流しておけば、みんな「自分はそれが欲しいんだ」と錯覚する。そうやって、必要というものはでっち上げられるんだよ。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 3時51分
冷静になれれば、自分が死んではいけない理由をいくつか挙げていくことができる。冷静になれればね。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 10時32分
それぞれに生きてる人生が違うんだから、どんな音楽も理解できるなんてそんな馬鹿なことはないんだよ。そりゃあ努力次第である程度までは楽しむことはできるけど、音楽を聴くっていうのはそういうことじゃないでしょ。代替可能な楽しさしか音楽からは享受してない人が多いような気がするね。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 17時24分
いちばん聴くのが怖いのはこの2曲かも知れません。たったいま、この2曲をもう1年以上も聴いていないことに気がつきました。俺がこの1年以上もの間にしてきたことは結局、全部この2曲から逃げるためのごまかしでしかなかったんじゃないか。俺は自分が逃げているところのものへ向かっていこうと努めていた。しかし、俺はただこの2曲からずっと逃げていただけに過ぎないんじゃないか。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 17時35分
この一年はまったく無意味だった。「人生」とかなんとかいって結局ずっと生から自分から遠ざかっていただけじゃないか。生なんてどこにもなかった。この一年間の俺を指して、「おまえはこの一年間、少しでも生きていた」なんていう奴がいたら顔の原型がなくなるまで殴ってやる。

名前:aiko 日付:1月15日(木) 17時43分
しかし、生を知ったとして俺に何が出来ると言うのだ。生を前にして何ができるというんだ。結局自分のいままで生きてきたことの愚かさについて悔やむことしかできないじゃないか。

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2011/08/27 (Sat) 09.1月13日(火)~1月14日(水)

名前:愛子 日付:1月13日(火) 0時45分
何にも繋がれていない状況に置かれれば、「自発的」にならざるを得ない。「自発的」というのは、自分の意志が判り易く姿を現すということだ。混乱しているからそういう状況を必要としていたわけだ。途中で親切な人間に引きずり出されていまにいたるわけだけど。「自分が何を必要としているのかが判らない」から「自分は何も必要としていない」というふうに変わりました。いまは「暫定的」に生きてるだけね。生きる理由というか動機というか希望があまりにも感じられない状況が続いてるけど、まあ死ぬ理由もないというわけだ。半年以上前には生きててやりたいことがあったわけで、だから死ぬわけがないんだけど。なんでそれがなくなるように仕向けられなければならなかったのか、って考えてるの。

名前:愛子 日付:1月13日(火) 0時47分
世界はごちゃごちゃごちゃごちゃしていていらないものが向こうからどんどんやってくる。もう疲れたよ。疲れた。

名前:愛子 日付:1月13日(火) 1時12分
そう、俺がこのなんヶ月もの間、見ることが出来ないでいるもの、それはこの世のものとは思えないような、日々の生活の中で絶対に見ることの出来ない、いや、俺がそれをはじめて見た時、それはいまからもう二年近く前になるのか、日常のレベルとは違う、別のラインにもうひとつの世界ともいうべきものがあるのだと知った。それは「人間」ともいうべき、「人間」の奥深くにあるもの…

だとするならば、俺が失ったと言ってるものは、けっきょく「人間」というものではないか!!俺がいちばんこの世において求めているものは「人間」ってやつなんじゃないか!!いつだったか「俺が求めているものはけっきょく人間以外に何もないのだ」と感じたことがあったじゃないか!!

名前:aiko 日付:1月13日(火) 12時20分
この人のことが好き
いや、好きというのではないか
http://m-pe.tv/u/page.php?uid=morankorin&id=2

名前:愛子 日付:1月13日(火) 17時12分
ああ空が美しい
自分の意識がこの空の中に
意識はこの胸のうちにあるのではない
意識は遠くこの空
意識は世界のうちに

名前:aiko 日付:1月13日(火) 20時18分
この人かわいい
http://people.zozo.jp/eri/

名前:aiko 日付:1月13日(火) 20時20分
こっちか。
http://people.zozo.jp/eri/diary

名前:aiko 日付:1月13日(火) 22時40分
“わかるかい、写真よ。人間の生があって、それがぼくを惹きつけるだけなんだ。人生さ。わかるかい?” 
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4622043890/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=

名前:愛子 日付:1月14日(水) 0時45分
自分がaikoから離れて過ごしている時には、自分がaikoから「離れて」いるのを感じる。そして「自分はどんどん離れていっている」というふわふわとした落ち着かない恐怖を感じる。離れている時には、自分が離れていることを自覚している。離れれば離れるほど、その自覚は強くなるのだろう。aikoから「離れる」というのは、結局そういうことなのだ。

名前:愛子 日付:1月14日(水) 0時55分
そして、aikoから離れているにも関わらず、その「離れている」という自覚がなくなるのを怖れている。「離れている」という自覚があるということは、その自分の離れているところのものについてなんらかの執着を感じているはずだ。それは自分にとって意味のあるものだったと記憶している。aikoから離れているにも関わらず、「離れている」という自覚をなくした人生というものは、自分にとって意味のない人生のように思われる。

名前:aikoから 日付:1月14日(水) 13時7分
それが間違っていると感じるから、それを取らないのだ。何故それに対して説明を求めてくるのか。世の中には説明のつかないことが、説明をしようとしてはいけないことがあるということを知らないのか。

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2011/08/27 (Sat) 09.1月9日(金)~1月12日(月)

名前:aiko 日付:1月9日(金) 21時33分
いま早稲田松竹でテオアンゲロプロスやってるんだよな。見に行こうかどうか考えてるんだけど。もう終わっちゃうし、ビデオ貸し出しやってないし。これを逃すと16000円クライするdvdボックスを買わないと見られん。字幕は池澤夏樹。行くか。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005GRI9/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=

名前:aiko 日付:1月9日(金) 21時46分
ていうか今日で終わりじゃねーか。なんだよ、俺たちフィギュアスケーターって。
http://www.h4.dion.ne.jp/~wsdsck/contents/program.html

名前:aiko 日付:1月9日(金) 23時41分
これに出ている佐藤未来というおかっぱの子役に一目惚れした。
http://miha.at.webry.info/200801/article_26.html

名前:aiko 日付:1月10日(土) 0時1分
プロフィール
http://www.moon-the-child.com/profile/cat03/000028.html

名前:愛子 日付:1月10日(土) 1時18分
この女の子とやりたいわ。もう二発くらい抜いたったわ。

名前:愛子 日付:1月10日(土) 2時3分
特に海水浴場での髪の濡れたシーンが素晴らしすぎる。どのシーンも素晴らしいのだけど。短パンで上腿部を丸出しにして座った状態(体育座りとエム字開脚の中間)で西瓜を食っているシーンも素晴らしい。マンコから10センチくらいの露出された上腿部から想像されるマンコが素晴らしい。その肌色…!その肌色のほんの五センチ横はこの子のオマンコなのだ。マンコは決して見ることが出来ない。しかし、マンコからほんの五センチ離れたところの肌色を見ることは出来るのだ。不条理ではないか。マンコのほんの五センチ横なぞ、それはもうマンコも同然ではないか。俺はこのマンコの横五センチの肌の匂いをかぎたい。この肌触りを頬に感じたい。しかしだ…この部分の肌触りを頬に感じている間は、同時にこの子のマンコの匂いも鼻に、俺の口の中に入ってくるはずなのだ。この子の短パンの上から、あの短パンの股間のしわの上から、俺の顔をこの子のマンコにぐりぐりと押し付けてすーはーすーはー深呼吸しまくりたい。そして味わいたい。あーおいしいよ。ああいい匂いだ。

名前:愛子 日付:1月10日(土) 3時31分
「学がある」と自称している人間で、例えばここに机がある。この机を指して「これはなんだ」と俺に訊いてきて俺は「これは木だ」と答えて怒り出す奴がいる。言葉は現実に「対応」するものではない。そういう奴が美術の教師になったとしよう。生徒が太陽を黒く描いた。その教師は怒り出す、「太陽は赤いに決まってるでしょ!」
そういう人間は、話し合えばお互いのことを理解しあえるとも信じている。言葉に表せないものは何もないと思っている。だから相手に「自分のことを話す」ように要求してくる。言葉に詰まると罵る。
言葉より先に世界がある。言葉は嫌い。自称、「学のある」人…

言葉を生きるのならば、これから先の一年間は一行か二行の文章で書き表すことが出来るでしょう。いや、これから先、一生を数行で書き表せるかもしれない。生命は自分の行き場所を知っている。生命が生きるのを委せるのみ。

名前:aiko 日付:1月11日(日) 0時31分
愛ぽっどくらしっくを買った。動画を見れるのが素晴らしい。これでいつでもどこでも、たとえば電車の中でも、外を歩きながらでもアイコのPVなんかを見ることができるわけだ。パソコンをやっている時、本を読んでいるときにも手元にPVを流して置けるわけだ。まったく未知の領域だ。こんな世界があるとは。こんな現実があろうとは。たったの27000円を出すだけでこれだけの世界が待っていようとは。

名前:aiko 日付:1月11日(日) 0時37分
当然エロ動画も見れるから、寝るときにふとんの中で動画オナニーもできるわけだ。また、寝起きの動画オナニーもふとんの中でできるわけだ。そして二度寝。

名前:aiko 日付:1月12日(月) 15時41分
喜びなんて一夜の夢のようなもの。しかし、生きている間はずっと夢を見ているだけなのだともいえるんじゃないか。夢は終わる。長くは続かないものであっても、夢は素晴らしい。夢は悲しい。
http://jp.youtube.com/watch?v=pI9O_GJ8J0Q&NR=1

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2011/08/16 (Tue) 09.1月5日(月)~1月9日(金)

名前:aiko 日付:1月5日(月) 0時57分
明日から仕事なんだけど。死ぬわけではないと判っていても、それでもやっぱりおそろしい。もう3ヶ月も働いていないんだからな。死ぬわけではないと判っていても、明日仕事が終わったあとの世界が想像できない。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 1時5分
「仕事が終わったあとも、自分が生きているのか確信が持てない」だな。そういうふうに感じる。死ぬことはありえないんだけど。たぶん。「死ぬとしたら、その要因はなんなんだ」と訊かれても、逆に「生きていられるとしたら、その要因はなんなんだろう?」って訊き返してしまうだろうね。死ぬことがありえないのなら、生きていることもありえない。

そういうふうに感じるってだけだよ。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 1時9分
結局、「仕事に行っただけで死ぬわけがない」というのは、「経験的に」そうだと信じているだけだろう。「仕事に行ったが、死ななかった」という記憶があるからそういうふうに考えることが出来る。おそろしい。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 23時36分
死にたい。これは「生きたい」という意味ではなく、純粋にそう思うのです。死ぬくらいならすべてを放り投げればいいのだけど、周りの人に申し訳ないとか思ってしまい、死ぬしか他にないと思ってしまうのです。自分の生きている世界に自分の助けになるものが何もない、という感が強くなるとそう考えます。人間の形をしたものがみんなおそろしいのです。自分には「愛」があるにしても、その愛は自分の人生を不自然にねじ伏せてしまうものでしかないと感じられる時に上のように考えてしまうのです。自分の中にある、「自分の人生を不自然にねじ伏せているもの」というのが「愛」であるのか、まだ確信は持てないのですけど。しかし、それはぼくの人生をここ2年くらいの間に大きく歪めてしまっているのは事実です。いま俺がここで死ねば俺は自分の愛によって死んだということになるのだろうか…などと自己陶酔のような想像も生まれます。実際には自己陶酔などしていなくて、「愛のために死ぬ」なんて甘ったるいものはないのです。いま現在のぼくは何に対しても愛なんて感じないんですから。しかし、自分の人生が狂ったり、いまぼくが何に対しても愛を感じない、毎日寝る時に死ぬことしか考えていないのも(というよりも、寝る時に、明日あたりが限界なんじゃないか、もう無理なんじゃないか、と毎日のように感じているんですよねえ。)、そもそも自分には何かに対する愛というか、希望のようなものがあって、そのために起こっていることなんじゃないかとか考えるんですけど。もとをたどってみれば、自分の中の愛のようなものによって自分の人生が不自然になって、いまは何に対しても愛を感じることがないという。生き延びることは難しいですよね。一日を生き延びることはこうも難しいのか。寝る時にいつも思うんですけど。「明日あたりもう駄目かも」それでまた一日生きて、また寝る時に同じことを考える。人間の写っている写真を見てもおそろしいだけ。「生きることは難しい」なんて言説は至るところで耳にするけれど、彼らは「自分の望み通りに生きるのは難しい」と言っているように聞こえるんですけど。「その日一日を生きること」は彼らにとって容易いことのようにぼくには映る。正直に言って、ぼくは「一日を生き延びるのは難しい」と感じます。まあぼくも自分の内にある希望というものが生きているからこのように感じているわけで、彼らと同じなんですけどね。

名前:愛子 日付:1月6日(火) 0時4分
「希望がある限り、生きることは難しい」ということに集約されるんでしょうが。それはすべての人間において同じだ。「苦痛の大小は希望の大小に比例する」なんてね。ぼくはね、いま頭が痛くて血管がこめかみを脈打っているんだ。正月でね、兄貴二人と親父が帰って来て五人家族全員が揃って、普段と違う環境になっちまったもんだから、その三人が帰って、また母さんと二人暮らしに戻った途端、体調を崩して風邪をひいちまったわけだ。それで今日初仕事。それでいま死にかけているというか、自分の吐く息が酒臭いわけよ。酒なんか飲んでないのに。疲れがある一線を超えると自分の息が酒臭くなるのは経験的に知っている。これは相当にまずいなと感じさせるものではあるんだよ。だって酒飲んでないのに息が酒臭いって、明らかに自分の体が異常事態になっているというのが判るでしょ。そういう「ここまでの警告のサインを出すほど、自分の体はやばいことになっているのか」という、精神的なダメージも大きい。まあ頭がのぼせていて(風呂に長く入っていたような感じ)、目がぐらぐらして、吐く息が酒臭くて、頭が痛くて、両側のこめかみを血管が脈打っているのがありありと感じられて(全身において、血管の脈動が激しい)、心臓はばくばく言っていて息苦しい。寒気がしてぞくぞくして、くしゃみが出る。目を開いているのがやっとなので、一応十時くらいに床に就くことは出来たのだけど(念願の十時)、ここ最近寝るのがずっと三時とか四時だったので、疲れているとはいえなかなか眠れない。そして疲れているために考えることは死にたいだとかネガチブなことばかり。相変わらず心臓はばくばく言っていて息は酒臭い。「自分は弱っているんだ」と自覚することも自分にはダメージである。現実の問題として、今週の木曜と土曜にはそれぞれレポートの提出をしなければならない。そして何故か両方ともまだ手をつけていない。つまり、
・今週レポート2本提出
・まだどちらにも手をつけていない
・風邪を引いて死にそうになっている
・今日からバイトが始まり、これから先何日間かは研修で仕事を覚えたり新しい環境に慣れていかなければならない
というような状況なのです。こんなに早くレポートの提出期限がやって来るのは想定外であり、風邪を引くというのもまったく予想していなかったのですよ。風邪を引いていて死にそうになっている時に慣れない物事が重なるのは、大変なんだよ。

名前:愛子 日付:1月6日(火) 0時39分
新しい仕事の店長は菅沼孝三みたいな顔をしてるんだけど。特に今週の土曜のレポートは書評とかいうやつでね、まあ1600字くらいなんだけど、まだその自分で選んだその課題図書を読んでいないんだ。200ページくらいの本なんだけど。「どんな本を選んで来てもいい」と言っていたので本多勝一の「はるかなる東洋医学へ」っていう本を選んだんだな。ずっと前にブックオフで買ってまだ読んでなかったやつ。東洋医学ならまあ自分にも読めるだろって思ったんだけど。まあでも普段から本なんて読まないし、常に本を読んでるなんていうタイプじゃないし、読むにしても村上春樹の小説か、買ってまだ読んでいない数百冊の漫画を読むくらいしかしていないから。学術的な本なんて読んでないんだよ。新書も読まない、文学も読まない。それらは自分のいまの選択肢の中に入っていないんだよ。「ゲーテとの対話」を二ヶ月前に読んだくらいか?あれだって芸術論だから俺にとっては読書って感じではないし。まあだからその本多勝一の本を読んで、四部構成くらいに分けて(書評の書きかたというものがあるらしい。まず作者が何故それを書こうとしたのかという、その本を書いた目的、次に本全体の構成の説明、次に自分のその本に関する意見、あとは忘れた)書かなければならない。手をつけてみないことにはどれくらい骨が折れるのかはわからん。だからヤバイんじゃないかと感じているのだよ。明日もバイトの研修である。まあ二時から五時だから時間的拘束という意味ではたいしたことではないんだろうけど…体調さえしっかりしていれば、だな。この世でいちばん大事なものを知っているか?それは「健康」だよ。よく「自分には生きている価値はない」とかそういう言辞があるだろ。「社会に貢献していないから自分には生きている価値がない」とか、仕事もしていないでずっと家にいる人が考えたりもするようだけど、しかしその「社会」ってなんだ?一人の人間が生きていて、健康に生きていて、健康に生きようと欲していて、そのことが例えばその人の親だとか家族にとって少しでも意味のあることであるならば、それだけで十分「社会」に貢献しているではないか。一人一人が生きていること、出来ることならばその一人一人が自分の希望に向かっていくこと、それこそが社会に対する貢献ではないか。よし、少し眠くなってきた。健康があれば、世界はたぶん良くなる。少しづつではあっても。健康第一。おやすみなさい。

名前:aiko 日付:1月6日(火) 23時2分
俺がいろんな女をかわいいと思おうが、常に重力として存在するものがある。胸の痛みを感じて生きていたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=lLNd1jQikNw

名前:愛子 日付:1月6日(火) 23時30分
しかし、存在はしていても、その重力に気付かないで数週間を過ごすということもしょっちゅうだ。特に環境がいろいろ変わるとそっちの方に気を取られるからね。

名前:愛子 日付:1月7日(水) 14時27分
何がレッドツェッペリンだ。何がジミヘンドリックスだ。それらが如何に「音楽的にレベルが高い」と言っても、それらは俺にとってはなんの縁もないんだ。「質」の話をされるとうんざりする。

名前:aiko 日付:1月8日(木) 1時26分
木崎りのがアイコに似ていると言っている人がいるようだけど、奥二重でもなく蒙古ひだもなく目も離れていない女をアイコに似ていると言い張るのなら、きんとんの入っていないおせち料理をおせち料理と言い張るようなものだ。
http://www.japanesethumbs.com/japanese-av-girls/rino-kisaki/3/

名前:aiko 日付:1月8日(木) 2時40分
アクサク・マブール。これは凄まじい。
http://jp.youtube.com/watch?v=zpJrlAC7VNU&eurl=http://loosecube.blog94.fc2.com/

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時11分
戻って来るためには逃げる必要がある。それがいくら「大切」なものであるとしても、自分が関わるものをそれひとつに限定してしまえば世界に色はなくなる。だから逃げる。逃げたいと思うのは自分の意志であり、また逃げ飽きて戻ってくるのも自分の意志である。何かを「大切」なものだと判断するのはあくまで判断であり、真ではない。

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時22分
逃げてもいない、向かってもいないというのが問題なのだ。「逃げる」ということは、間接的に自分の向かうべき方向を知ることを伴う。比較が生まれるのだ。

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時27分
そして「自分」というものは「自分」と事物との関係性の認識の記憶の集合から想像されるものに過ぎない。「自分」というものは常に「他者」が照射するものである。

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2011/08/16 (Tue) 09.1月2日(金)~1月5日(月)

名前:aiko 日付:1月2日(金) 1時46分
榎本くるみ。この人好きなんだけど。顔もかわいい。
http://jp.youtube.com/watch?v=OMAIVUM-cPY

名前:aiko 日付:1月3日(土) 1時1分
むかし買った愛ぽっどなの4GBの値段が31200円。いま買おかとおもってる愛ぽっどくらしっく120GBが27000円。むかしは高かってんなあ。バイトもしてないのによくも31200円も投資できたもんだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Anus_2.jpg

名前:aiko 日付:1月3日(土) 3時38分
高校時代の後輩のウェブログを久し振りに覗いてみたの。この人はギターをやっていて地道に音楽活動(笑)をして、プロ(笑)を目指している若者なんだけど、「精確なドラム」なんて言葉が出てくるのね。俺は個人的には、ドラムを見る時には「楽器をどう叩いたらどのような音が出るか」というのをどれだけ知っているか、リズムが気持ちいいか(拍の捉え方)、音楽をどれだけ知っているか、そのドラムが単体で「音楽」としてどれだけ力を持っているか、それくらいのことしか見ないの。だいたい、俺が好きになるドラムの演奏はこれらのどれかが、或いはすべてが卓越した演奏なんだよね。「精確さ」なんて意識したことがなかった(少なくとも、俺は「精確さ」によって感動したことはない)。でも不思議なことに、ある種の人々は、ドラムを誉める時に「精確である」とか、それしか言わないんだよね。「存在感のあるベース」(笑)というのも似たようなものだな。ある種の人々はベースを誉める時にそれしか言わない。しかしプロを目指す(笑)のはいいんだけど、それ以前に音楽を知りもしないのにステージに立つのは問題だよね。音楽を知らないのにプロになりたいと思うのも変な話だ。俺がサッカー選手になりたいと言ってるようなもんだ。俺はサッカーなんてまったく興味ないし尊敬なんてしていないんだ。

名前:aiko 日付:1月3日(土) 4時3分
そして俺はサッカーをまったく知らない(笑)。ルールさえ知らない。「音楽が判らない、だから音楽を知りたい」というような意識も彼らからは感じられないからね。音楽をやっている人の中には、自分にとっての音楽の価値が判らないままに音楽をやっている人がいるけど、彼らにとって音楽の価値みたいなものはもう完結しているように思えるね。だからもう音楽を「判ってる」と思ってるんだろうし、音楽が「判らない」と思ったことも、音楽を知りたいと思ったことも一度もないように思えるんだけどね。「音楽」を判ろうと努力している暇があったら「プロでも目指す」っていうくらいなもんだろ。彼らにとって「音楽」は自明なものなんだろ。自明なものに関わっているのは時間の無駄だもんな(笑)。そんなことをしている暇があったらライブやストリート(笑)なんかの「地道な音楽活動」をやるよって話なんでしょ。下らねえ。「音楽をやりたい」と思って音楽をやっている人を見ても俺はこんな風には思わないからね。誰かが平気で自分の人生を無駄にしているのを見ると空しくなるってだけなんだけど。もっと自分の生き方というか自分にとって本当に大事なものについて考えるべきだ。間違った方向に努力するくらいだったら何もしない方がましだ。ああいうドリーマーは一回あらゆる「努力」を中断してもっと中立的に物事を見るように努めるべきだ。

名前:aiko 日付:1月3日(土) 14時10分
自分が不幸な時は愛する人にも不幸であって欲しいわ。

名前:aiko 日付:1月3日(土) 22時56分
おれはそうは思わない。

名前:aiko 日付:1月4日(日) 1時23分
文章を書く技術と文章の内容は、切り離して考えることはできない。
現代の科学で、心と身体を切り離して考えることができないように、
文章作成技術と、文章の内容は、互いに絡み合っている。

名前:aiko 日付:1月4日(日) 17時31分
チャラって結構かわいい…と思ったら42歳かよ。若いな。

名前:aiko 日付:1月4日(日) 17時35分
因みにチャラはプリンスをリスペクトしており、「第2のプリンス」と呼ばれる岡村靖幸のアルバムにも参加している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/CHARA

名前:aiko 日付:1月4日(日) 23時39分
この人すげーかわいい
http://jp.youtube.com/watch?v=d_vLZYDHWAM&feature=related

名前:aiko 日付:1月4日(日) 23時54分
こっちの方がいいな。特に1分40秒から2分20秒あたりが圧巻。おつゆがいっぱい出ます。
http://jp.youtube.com/watch?v=wiy4Qg0Y2HU&feature=channel_page

名前:aiko 日付:1月5日(月) 0時4分
この人も超かわいい。同じ人か?
http://jp.youtube.com/watch?v=nUXVYngSaiQ&feature=channel_page

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