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2011/11/26 (Sat) 09.4月9日(木)~4月11日(土)

名前:あいこ 日付:4月9日(木) 21時53分
音楽の価値って、愛がどれだけ深いかに関わっているのだと思う。俺は初めて、やっと音楽が愛せそうになってきたというその時に邪魔されて、もう音楽を愛せなくなりました。邪魔されていなかったらどのように音楽を愛していたかを考えてしまう。俺が音楽をやっても、俺の知っているような音楽は出来ないだろう。それならやる意味はない。俺に音楽に対する愛はない。人間、世界に対する愛、渇望はない。

名前:あいこ 日付:4月9日(木) 22時7分
とりあえずあいつを殺せばいいんですか?殺しても俺は何も変わらないな。俺が死ねばいいのか。もう死んでいるようなものだし。希望だって、希望。なんかあったっけな。

名前:あいこ 日付:4月9日(木) 22時26分
虚しいことはしていたくない。それだけー。豊かだと感じられることだけをしていなければならない。

名前:あいこ 日付:4月9日(木) 22時35分
虚しさを感じられることは大切なことだ。虚しさを感じられるということは、豊かに感じられるものが存在していることの証明でもある。虚しさを感じれば感じるほど、豊かさの呼んでいる声がはっきりと聞こえるようになる。つまり、自分にとって重要な事柄と、そうでない事柄とがはっきりと分かれるのだ。虚しさを感じるということは、自分の欲望が機能しているということだ。

名前:あいこ 日付:4月9日(木) 22時51分
逆にいえば、何をしても虚しさを感じられない状況…健康な人間なら、ありえない(笑)。

名前:あいこ 日付:4月10日(金) 2時12分
死にたくない。死にたくない

名前:あいこ 日付:4月10日(金) 23時51分
中学のとき、この本をよく読んでいたのだけど、値段が強気だな。懐かしいと思って、押入れ探しても見つからなかったから安く買えたらと思ったんだけど。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4810832570/sr=1-3/qid=1239374827/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1239374827&sr=1-3&seller=

名前:あいこ 日付:4月11日(土) 1時58分
アイコを見ていない時間はすっかすかなの。今日は1分くらいしかアイコを見ていません。1分しか生きていません。明日は早く起きます。すかすかは嫌です。アイコと一緒に死にたいです。目をつぶるその時までアイコがいて欲しいし、目を開けたその時にアイコがいて欲しい。すかすかは嫌です。今日はなんの意味もない日でした。意味のある日は、アイコをたくさん見た日です。起きている間ずっとアイコを見続けられるのが理想です。俺は自分の置かれている状況を自覚しないといけない。アイコを見ていないなんてふざけてるでしょ。明日は。今日はもう終わりだ。明日のことを考えるんだ。明日は絶対に、「今日は充分にアイコを見た」という思いで一日を終えることが出来るようにしなければならない。すかすかは嫌だ。明日はアイコと共に死ぬ。アイコを見ていれば絶対に後悔することはない。義務として、休みの日は最低10時間アイコを見続ける。学校のある日は最低3時間。それが、「自分がその日を生きた」と感じられることを保証するものである。生きろ!

名前:あいこ 日付:4月11日(土) 21時37分
ぼくはいまここにいる。「どこにもいない」とは感じない。ぼくはいま「ここ」にいる。ここがどんな場所なのかはまだ分からない。嫌になればここからは出ていくだろう。出ていった先は、そこよりはましなのだろう、出ていくからには。

名前:あいこ 日付:4月11日(土) 22時20分
「何かをする」ということにはまったく興味がない。人間が、結果的に何をしたかは、「結果的に」何かをしたというに過ぎず、全体に含まれた部分が表に現れたに過ぎず、氷山の一角に過ぎないわけだ。俺には、その「全体」さえ信用できるものとして、生きていてくれさえすればいい。個人の、「全体」、生命の流れというべきか、が殺されずに機能しさえしていれば、「結果的に」いろんなことをしたことになり続けるであろうし、それらはすべて「正しい」ものとして信じることが出来るわけだ。

しかし、圧倒的に多くの人間にはこういうことは理解できないようだ。多くの人間が、「何をするべきか」のみにこだわっている。そして形に見える「何か」に取り組んでいる人間が「努力している人間」として評価される。形に見えることをしていない人間は、「何もしていない」というレッテルを貼られ、「何かをしろ」と急き立てられる。

「目的」なんていうのは便宜的に頭で、つまり言葉で作り上げたものに過ぎない。つまり、もともと存在しない。

名前:あいこ 日付:4月11日(土) 22時28分
「自分のいましていることが自分で信用できない」というのは、おそろしいものだよ。俺は自分のしていることを自分で信用できること、それを第一に考えていると思うけど、そうして生きていると、周りの人間に邪魔されてしまうんだね。俺の生き方が、周りの人間から見て気に食わないことがあるんだろう。しかしこれは俺の人生であって、俺が俺の納得するやり方で生きていて、俺が痛い目に遭おうがそれは俺の責任であって、他人にはまったく関係がない「はず」なんだよ。これは普通の人間には理解できないんだろうがね。

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2011/11/21 (Mon) 09.4月7日(火)~4月8日(水)

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 10時38分
俺の考えるジャズ的なものというのは、裏切ることというか、逆を行くというか、常に(一瞬たりとも)いま自分のいる場所を見ていない、常に違う場所を見ている、常に心は違うところにある、という、常に次の瞬間にどこに行くのか分からない、そういうのがジャズ的なものだと思っているんだけど、佐野康夫の演奏はそういう演奏だね。

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 18時6分
「何がしたい?」「何を望んでる?」と聞かれたら、「死にたい」って答える。それしか言葉が出てこないんだよね。

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 20時57分
来た…!来た…!この、何も、見えない感じ…!恐怖が…呼んでいる…!欲望が…呼んでいる!

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 23時56分
今日の一枚:Jazz Composers Orchestra / Michael Mantler

素晴らしい音楽だ。セシル・テイラーのピアノが凄まじい。
http://www.amazon.co.jp/Communications-Jazz-Composers-Orchestra-America/dp/B00000321H/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=music&qid=1239115093&sr=1-4

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 11時53分
この世界においては、俺の他には一人の人間しかいない。去年の七月からずっと、そうは感じていなかったけどね。俺はずっと、あらゆるものに囲まれていた。すべてゴミのようなものだった。ある人間に「これを好きになれ」とか、観念を注入されてから、何も好きになれなくなった。

少しずつ、「自分の意志で生きている」という実感のようなものを取り戻しつつあるのかも知れないな。ほぼ一年間、ずっとそれを失っていたということになるな。

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 17時30分
どうあがいたって死ぬ時には生まれた時と同じままというわけにはいかないんだからな。

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 18時41分
努力っていったってさ、自分にまったく関係のないこと(つまり好きではないこと)に、無理やり深くコミットしようとしたって、擦り減るだけで何もいいことなんてないからね。俺は一年間ずっとそういう生活してきたんだけど。まだ抜け出してない。もう人生手遅れなんだろうけどね。誰かにそうはっきり言ってもらった方が楽な気がするね。「おまえの人生はもう手遅れだ」ってね。事実を直視しない欺瞞ばかりにあまりにも長いこと付き合わされ過ぎたからね。なんで「死ね」って言ってくれないのだろう?俺は「死ね」って言って欲しいんだよ。わけのわからない理屈を付けて「生きろ」って言われるんじゃなくてね。俺に対して生きて欲しいと思ってるやつなんて一人もいないんだから。そりゃそうだろ。誰だってそうだよ。自分に生きていてくれることを望んでる人間なんて世界に一人か二人いればいい方だろ。「生きろ」とか軽々しく言ってるやつは言葉に振り回されてるだけだろ。それが「死ね」っていう意味を持っているのにも気付かずにね。「死ね」って言われれば本当にすっきりするんだよ。でも「生きろ」って言わなきゃいけない、他人のために何かをしなきゃいけない、という使命感(笑)を持った人が多くいるわけだよ。一人で自分のことだけを考えて生きてろって言いたいけど。人に対して何かを与えられると思えるほど自分の人生に満足してるやつがいるわけ?人と自分は同じ人生を生きてるとか思うなんて、それ以上人の価値を貶めるようなことはないね。「俺はこれが好きなのだ、だからおまえもこれを好きにならなければいけない」だなんて、友愛的なものから最もかけ離れたものではないか。他人に興味を持っている振りをして、その実は他人に興味なんてまったく持っていない、あらかじめその他人の価値を貶めた上で自分のその「素晴らしい」価値観を植え付けることしか考えていないのだ。それが「他人のためにつくす」ことなんだろう。こういう欺瞞にはもうこれ以上付き合いたくないんだ。

ここにこう書いていることも、殆んどの人間には理解出来ないんだろうな。下手をすると、こういうことを言っている俺のことを「悩んでいて助けを求めている可哀想な人間」という風に見なして、「正しい」方向に導こうとしてくれようとするやつも出てくるのかも知れない。

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 18時52分
俺は別に特別に悩んでもいない(人並程度だ)。俺は単純に攻撃され、ダメージを受けただけだ。

みんないろいろ考えるところがあって生きているのだろうけど、俺は俺以外の人間がどのように生きようが死のうがまったく知ったことではない。死ねば死んだで、結局そいつは一人で生きて一人で死んだ。俺だって一人で生きているわけで、一人で死んでいくだろう。みんな同じだよ。各々の問題と向き合いながら生きてる。結局、人と人が、各々の向かい合っている問題と、お互いにどれだけ理解しあえるのかなんて、俺には興味ないね。理解しようとしたって無駄だからね。別なんだから。だから尊重するのは当然だと思うんだけどね。当たり前過ぎることだよな。だから素晴らしいんじゃないの?「違う」ってことを認めないのは愛とは最もかけ離れたものだよね(笑)。

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 21時0分
俺は「感動」って言葉が好きじゃないんだけど。それは、それがポジティブな意味合いでしか使われていないからなのかな。もちろん、俺だって音楽だってなんだっていいけど、何かを見て、何か感じることはあるよ。けど、それは多くの場合、ポジティブな意味合いだけではないんだよね。俺はよく泣くけどさ、悲しいから泣いてるの。その悲しさの中に嬉しさもなくはないんだろうけどさ。「切ない」っていう言葉で表現されるもののことを言っているんだと思う、俺は。この「切ない」って感覚がなくなったら、もう生きている意味はないと思う。俺がこの人生に求めているものはそこにあるから。

名前:あいこ 日付:4月8日(水) 22時41分
「感動」じゃなくて、「感覚」が大事だと思うね。感覚すること。飯がうまいとか。この子かわいい、とか。楽しい、とか。それらが符牒になるわけ。次に繋がっていくんだね。そういう中に生きている実感のようなものも生まれる。

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2011/11/16 (Wed) 09.4月5日(日)~4月7日(火)

名前:あいこ 日付:4月5日(日) 15時12分
夢は叶うとか、願いが強ければ叶うとかいうけれど、これは事実というか、当たり前のことだと思うね。それを「単純に求めている」のであればね。つまり、クソがしたくなれば、遅かれ早かれクソをすることになるだろ。それと同じ。そこに変な理屈だとか理想みたいなものが入り込んで来たら駄目だけど。願うっていうのは理屈は関係ない、身体に関係することであって、とてもシンプルなものだからね。要は「痛み」だよ。ウンコをしたくなって、我慢していると身体がおかしくなってくるだろ。その身体がおかしくなってくることが、「願うこと」なんだな。

名前:あいこ 日付:4月5日(日) 23時6分
自分の行動に自信が持てない。自分が「意味がある」と信じられることをしていたい。意味のあることなんてないのだから。「意味がある」と「信じられる」ことがあるだけだ。「これは意味があるんだ」と信じられるようなことをしていたい。自分はどこにもいないようだ。「ここにいるんだ」という確証が欲しい。いま、俺はどん底にもいないらしい。「どん底にいる」と感じられれば、上を向くことが出来るもの。いまいる場所は底ですらないらしい。そうか、これが「無重力」という奴だったっけな?

名前:あいこ 日付:4月6日(月) 1時4分
俺はまさにそう、何を見ても心を動かされない、この状況を求めていたのだ。なんでだったっけな?何も見えない。何も見えないこの状況を何故求めていたんだろう。かつて興味を持っていたもの、すべてに関心が持てなくなっている(たった二週間前だぜ?これを欲しいと思ってたの。あれを聴いて背筋が凍っていたの。世界の匂いを感じていたの。音楽を聴いては毎日のように大泣きしてたの。何かに憧れていたの。食べ物に興味が持てていたの。自分を取り囲んでいる空気が外の世界に通じていると感じられたの。)。まったく馬鹿げたことのようにしか感じられないような気がするけど…?この状況において何か価値のあるものが見えると思っていたみたいだったけど…ああ、まさに、「価値のあるものがあるのかどうか、この目で確かめたい」、そういうことだったのかな。自分が救いを求めるようになるところまで、自分を追い詰めてみたかったのかな。そこで「何に救いを求めるのか」?その、自分の救いを求めたところのものが、自分にとって大切なものであるはずだ。そういう仮定があったはずだな。

しかし、そういう、ある種ドラスティックな、「学校さえ行けば」「アルバイトさえすれば」「音楽さえすれば」というような、目的論的な姿勢を持つことに限界を見出していたんじゃなかったっけな?「学校に行かない限り救われない」「働かない限り救われない」とか、そういう自分の「希望」とやらを「これだ」と決めつけることに。本当に、「働いていない」そのことに原因があるのか?「学校に行っていない」そのことに原因があるのか?そのような、頭で考えた部分が肥大していることに、耐えられなくなっていた部分はあった。

うん、ここには何もない。頭で作った部分が支配的になっていて、瞬間瞬間にある「事実」の集積が経験されることなしに、ないがしろにされている。どろどろとは固定化された観念だ。観念は時間性とは関わらないから、先がない。

名前:あいこ 日付:4月6日(月) 1時15分
人間は比較を通してしかものを見ることが出来ないものだね。ろくでもない世界に足を踏み入れでもしなければ、自分のいた世界の素晴らしさすら理解できない。

名前:あいこ 日付:4月6日(月) 1時32分
俺なんか、飯を食ってる時に、それがうまいというだけで泣いてしまうことが度々あるのだけど(マクドナルドで何回泣いたことか)、これも、飯を食ってもまったく味がしない、というのが「普通」になっていたから。だから味がするってだけで泣くほど嬉しいんだろうね。人が歩いている姿を見るだけで涙が流れたり(笑)、俺はそんなに酷い人生を生きて来たっけなあ(笑)?この前、西友で中華弁当買った時に、レジのおばちゃんが箸を袋に入れてくれてるのを見た時に涙が流れたり(笑)。なんか、おばちゃんにありがとうっていいたくなったわ。

名前:あいこ 日付:4月6日(月) 1時50分
3月14日(土)18:27
また、「人間」というものを求めていたのも事実であろうと思う。(人間が生きているものとして感じられること。)その「人間」が感じられる状況が「あるがまま」と関係しているのではないかと思われだしたから、再び通院することを考えたのだ。音楽を聴いている時や、ふとした瞬間に「人間」が感じられること、これに優る美しさはない、というのは度々感じてきたことだった。このリアリティは、aikoの音楽を聴いた時に「見た」ものとも、ある部分で繋がっているのではないか?aikoの音楽を聴いた時に、そこに見出したのは、多くの場合「人間」だった。俺にとって「人間」というものが一番重大であり、それを最も見せてくれるものがaikoの音楽であった、と理解していたと思う。

名前:あいこ 日付:4月6日(月) 16時8分
しかし、大学行くと、かわいい子がたくさんいるね。自然の一部だね。

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 2時38分
本当に辛い時に何のことを、誰のことを思い浮かべるか。本当に、世界の何もなさを感じた時に、何のことを、誰のことを思い浮かべるか。「その人が生きているから俺も生きていよう」と思えるかどうか。

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 2時48分
俺がアイコのことをずっと見ていたのは、アイコのことが好きだからというよりも、この人がいることを自分に忘れさせないようにするため、という意味合いの方が強かったと思う。「『この』世界には『この』人も生きているんだ」ということをね。

名前:あいこ 日付:4月7日(火) 3時1分
そういう理解っていうのは助けになるというかあるのとないのとでは全然違うからね。ひとりじゃないって思えるのはね。思えないことも多いけどね。ぼくは本当に「ひとりでは生きていない」んだろうか?俺には誰か好きな人がいるのではないか?その人がこうしている間にも生きていること、その中でその人が何を見ているのかを俺が知ることが出来ないということ、そのことについて俺は「失っている」と感じること、そういう人がいるんじゃないのか?

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2011/11/11 (Fri) 09.4月4日(土)~4月5日(日)

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 13時45分
ずっとレコードが好きだったの。ジャズのレコードなんか名盤が500円以下で買えたし、音もCDとは比べ物にならないくらいよかった。レコードさえあればCDなんかいらないと思っていたわ。けど、レコードを聴き始めて5年くらい経った頃だったかしら。ちょうどいまから一年前くらいのことね。私の聴いてたレコードプレーヤーの音程が狂っていたことが分かったの。同じアルバムをCDで聴いたら気持ち悪くて聴けたもんじゃなかったわ。間違った音程に慣れてしまったのね。それ以来、自分の信頼の置いていたレコードを聴けなくなってしまったわ。「聴いてはいけない」と思った。聴いていても、常に「これは間違った音程なんだ」という思いが付いて離れず、聴けば聴くほど間違った音程が身についてしまい、正しい音程で聴けなくなってしまうんだと思うと、怖くて聴けなくなってしまった。レコードのジャケットを見ることすら怖れるようになったわ。あれだけ好きだったのにね。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 14時11分
ジャズというものは、俺にとってはそれ自体が無意味であると教えてくれるために存在するものでしかない。しかし、何故無意味な寄り道をしなくてはならないのか?無駄に時間を、人生を費やさなければ自分にとって何が必要かすら分からないのか?ジャズはくだらない。何故俺は、こんなジャズなんかと縁を切ることが出来ないでいるのだろう?たんなる現実逃避なのか?

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 15時6分
俺はずっとここで、嘘と本当のこととの間の境界を探っているとも言えるのだけど、それでは、いまのこの発言は嘘だろうか、本当だろうか?境界なんて探ってはいなくて、俺は実は本当のことしか話していないのかも知れない。俺自身がそれを本当のことだとは認めていないとしてもね。結局、嘘の積み重ねでしか人は真実を伝えられないというか(笑)、何が本当のことかなんて俺には分からない。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 15時23分
下のは無しで。最悪だ。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 23時21分
「エネルギー」を自分のうちに感じることがある。生きているエネルギーを。それは、俺が自分のうちにエネルギーを感じることのない、どろどろとした、精神の緊張のない、精神の滞った日々を長く過ごしているからだろう。何故自分をこのような環境に置いているのかというと、精神の緊張した、恐怖と欲望の調和の取れた精神活動の状態で時間を過せば、いろんなものに興味を持つことが出来る。あれもしたい、これもしたい、となる。俺はこの状態に一種の恐怖を覚えていたといえる。俺はある一つの物事にとらわれていて、いろんな物事に興味を持つことは、自分のとらわれている、そのある一つの物事から自分を遠ざけることになるのではないか。だから、精神の緊張のない、精神の滞った、どろどろとした環境の中で時間を過した場合、自分は何を求めるのだろうか?「あれもしたい、これもしたい」という風に、いろんな物事に興味を持つことの「出来ない」環境の中で、俺にとっていったい何が意味を持つのだろうか?俺はその環境の中で何を欲するのだろうか?それが知りたかった。そのような、どろどろとした状態でも、自分の失いたくないものというのがあるのではないか?

名前:あいこ 日付:4月5日(日) 3時33分
なんなんだろう、このまつわりついてくる感じは。体全身が生ぬるい膜に覆われている。何かをやるにしても、それを求めている時にやらないと意味がない。「これをやった」という既成事実にはまったく意味がない。楽器を「やりたい」と思ったことは、また、楽器を「楽しい」と思ったことはこの一年間で一度もなかった。それなのに「楽器に関わることが重要なのだ」とか変な考えに自分を押し込めてさ。興味も持てない、楽しいとも思えないことに自分を向かわせていると、擦り切れていくように感じる。自分の目から後頭部にかけて焼き切れていく。単純に言えば「無理をしている」わけだよ。あれほど自分にとって大きなものであったものに対してなんの興味も憧れも持てなくなっていて、しかも興味や憧れが他のものにシフトしたわけではなく、ただ単純に「なくなってしまった」となれば、そのかつて自分の憧れていたもののところをうろうろしてしまうわけですよ。

本当に、自分が「楽しい」と思えることをしないと意味がない。頭で「かつて憧れていたはずだから」とかいって、自分をそれに向かわせ続けることには意味がない。「何故憧れがなくなったのか」、その根本的な原因の方を相手にしなければいけない。

何故、俺はいま、何に対しても憧れを感じられないのか?何故、「こうなりたい」とか、「こういうことがしたい」とかいうような強い欲求や劣等感がなくなってしまったのか?

それらを無視していては、楽器をやって演奏できるようになったって、本を何冊も読んだって意味がない。希望もない癖に、楽器なんか演奏できるようになりたいとなんか思ってもいない癖に、本なんか読みたいと思ってもいない癖に。

何故、俺は何に対しても憧れを感じられないのか?何故「こうなりたい」というものがないのか?それらについて考えること。それらを取り戻すこと。それ以外に俺のやるべきことはない。

名前:あいこ 日付:4月5日(日) 4時8分
世界は笑っている者のためにあるのです。俺なんかのような笑っていない人間は笑っている人間によって排除されるし、笑っていない人間のことを誰も好きになったりはしないのです。誰かに愛される人間というのは笑っている人間なのです。

誰かに愛される人間はたくさんいるように見えるが、彼らは皆、超人的な努力をしたのだろうか?俺は自分が誰にも愛される見込みがないように感じるのだけど、笑っている人たち、つまり誰かに愛されている人たちは、俺なんかとは比べ物にならないくらいの超人的な努力をしてきたんだろうか?街で見掛ける若い人たち、楽しそうにしている大学生たちは、俺なんかとは比べ物にならないくらいの努力をしてきたのだろうか?

もしも、笑っていること、愛されていることが努力と関係がないとしたら?彼らは生まれつき笑っている?愛されている?俺は、生まれつき笑ってはいない?愛されてはいない?

生まれつき笑っている人が、誰かに愛される能力を持っていて、愛されることにより更に笑うことが出来る?

生まれつき笑う能力のない俺は、誰かに愛される能力を持っていない?愛されないことによって更に笑うことから遠ざかる?

結局この世界は俺のような人間のためにあるものではない?楽しく笑うことの出来ない人間は死ぬ以外にない?

愛される人間は生まれつき笑っている人間?努力とは関係ない?

結局、楽なことをしているやつが愛される?楽に生きてこなかった人間は誰にも愛されない?

「楽に生きてこなかった罰だ」?

「笑ってないやつは死ねばいいのだ」彼らはそう言っている。

笑っている奴が愛され、ますます笑う。笑わない人間はそもそも愛されもしない。

生まれつき。笑っている人間に振り分けられた奴は生きていて歓迎される。笑っている人間に振り分けられなかった人間は、生きていて排除される。無視される。死んでもらった方が、目障りではない。

世界は笑っている人間たちのためにある。どこに行っても、結局は笑っている人間たちのために用意されたものしかないのだ。笑っていないぼくたちはどうすればいい?「知らないよ、そんなの」。世界のどこを見ても、「笑っていない人間は死ね」。どんな「救い」も、笑っている人間のために用意されたものだ。本当に救いを求めている人のことを、誰も救ってくれはしない。

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2011/11/09 (Wed) 09.4月2日(木)~4月4日(土)

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 19時56分
俺は自分が音楽をやっても、ドラムとかいう楽器で、アイコの音楽に並ぶようなものを表現出来るとは思わない。アイコ以外の音楽家は尚更、俺にとっては意味がない。俺がどんなにすぐれている音楽家と演奏しても、結局彼らの音楽は俺にとっては無意味であり、ただ俺が自分の音楽を作っていく上での手段として必要だから、共演するだけであって、俺は自分の音が出せればいい。しかし、俺がこんな態度をとっていることを誰も咎めはしないだろう。誰もが、自分の出す音だけを問題にしているのであって、「音楽性の一致」などというものがあり得ないように、お互いに自分の音楽をやるために必要であるから利用しあっているだけなのだし、それでいいのだと思う。各々の向かい合っている「音楽」という名の宗教は、それぞれ別個のものなのだから。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 20時22分
しかしね、when you hear music, after it's over,it's gone in the air. you can never capture it again. だ。音楽は聴かれている時のみに在るのではなく、形を変えて、いろんな形でその人に影響を与え続けるものであると思う。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 20時52分
綺麗ごとだ

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 23時44分
死を覚悟しながらも一回限りの生をまっとうしようと決意した人形が「哀しくてうれしい……」となげくとき、そこには紛れもなくわたしたちの人生が重ね合わされて聞こえてきたという。「映画は空気人形という存在を通して、人と人がつながっていく形をとりたい。そのつながりという関係の中で人は成長(変化)していく。そこにこそ生の本質があるという人間観の反映である。『空気人形』は表面上は恋愛映画であるが、作品の奥底にあるのは、人は自らの空虚感をどのように埋められるのか? 生きるとはどういうことか? 人間とは何か? といった本質的なことを問いかけている」とかなりメッセージを含んだ映画であることを明かした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000004-flix-movi

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 18時23分
一日の多くを多読に費やす人は、やがて自分の頭で物を考える能力を失っていく―ショウペンハウエル

頭ででっち上げた理屈に自分の生を従わせようとする生活を続けていくと、自分の直感を感じとる能力、それに従って生きる習慣を失っていく。残されているのは、生とは離れた、白々しい言葉のみ。

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 18時54分
人が変わっていくのは仕方のないことだ。いま自分がこれを求めている。明日も自分がそれを求めているかどうかは分からない。だから、欲している時にそれに取り組まなくては、その時のその欲求は取り残されたままになってしまう。「何もやりたくない」というのも、「これが欲しい」というのも、どちらがすぐれているというわけでもない。いま、「何もやりたくない」というのは、いずれなくなってしまう。「これが欲しい」という気持ちも、いつなくなるか分からない。その時々の、自分の気持ちを満足させるように、生きていかなければならない。

しかし、多くの人間は、自分を「これがしたい」という、ただのでっち上げられた「考え」に自分を従わせることにまったく抵抗を覚えないようだ。

俺はあの半年間の間に、本当の意味で神経症にさせられた。つまり、「その時にしかないもの」を常に押さえ付け、無視する生活を強制させられたのだ、半年間にも渡って。

人が変わっていくのは仕方がない。俺は去年の7月を境に、変わってしまった。しかし、問題はそれが自然な変化ではないということだ。腹が減っているのに、「お前は腹なんか減っていないんだ、だから何も食っては駄目だ」という風に「矯正」させられる生活を半年にも渡って続けたために、本当に何かを食べたいという欲求を失ってしまったわけ。

戻れるのかどうか?戻る意志すらどれだけ持っているのかどうか。「食欲なんかなくたっていい」と思ってたりして。じゃあ食欲以外に、何かこの世界において、かちのあるものはあるのかとかきかれても、何もないですよ。じゃあ死んでいいんじゃないですか?さようなら。あの時は死にたいとは思ってはいなかった?でもいまはあの時ではないです。あの時の自分はいまの自分の中に残っているのか?残っていれば、死ぬ時に思い止まるかも。

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 19時18分
音楽を聴いた時に思うのは、この世界はまったく無意味であるということだな。かっこつけたような言い方をすれば、俺はこれから先も人を好きになれるとは思っていない。だからこそ、生き続けなければならないと思うの。無意味ってのはそういうこと。愛なんてものがあるとは思っていない。自分に愛する能力があるとも思っていない。これから先もずっとね。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 1時39分
ふと2月に辞めたセブンイレブンの人たちを思い出した。俺は彼らのことを誰一人として嫌いではなかった。この、どろどろとした日常。アルバイトをしていた時は、もっと生活に選択肢があった。しかし、このどろどろとした日常の中で、困りきることが必要なのだ。俺はいま、自分が困っているとは思っていない。楽ではないが、「何が問題か」と聞かれても、具体的に「これが問題だ」と言えるようなものはない。ならば、その「問題」が具体的な形として見えてくるまで、何もアクションを起こすべきではない。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時27分
しかし俺は何に困っているのだろう?耳栓をして生活してるみたいだ。家族の生活音が聞こえてきても、別の世界から聞こえてくるような感じがする。離人感か…。あると生活を「楽しむ」上では大きな妨げになる。生活の流れが阻害される。「楽しむ」ことのみを問題にしていたのであれば、わざわざこんな生活を選択してはいない。何を知ろうとしていたんだっけな?ああそうだ、何も見えないあの世界で物事の軽重を量るということだったな…軽重を量るという割には…世界が渾然一体としていて、何が自分にとって重みを持っているのかというのは、「実感として」あまりビビッドに伝わってくるものではないな。いまの自分には何も重大な決断は出来ない。実感に蓋がされているからな…何を取って何を捨てるべきかなんてわからん。すべてが渾然としている。どろどろ。あまり健康的な状態ではないようだな。何を捨てたくないのか…この状況でしか見えてこないものがある。それを求めていたはずだな。自分は神経症なのか?そういう疑問すら今はない。2月の終わりには「俺の問題にしているのは結局神経症なのではないか」という理解に達していたようだったが。しかし病院へ行くのも結局辞めて、今は自分が何を問題にしているのかがいよいよ分からなくなっている。何故病院へ行くのを辞めたんだっけな?思い出せないな。自分を病院へ行かせたのは、「洗脳されたままの自分」だと思ったんだ。自分の意志で選択したとは信じられなかったんだ、多分。だから「自分の意志で選択している」という実感が欲しかったんだ。自分の意志で選択して、痛みを受け、その痛みを自分の責任として痛み、その痛みに従って生きていきたいと思ってたんだ。自分の感じ方を自分のものとして受け入れることが出来ないでいたから、自分の感じ方を受け入れられるようにするためには、「本当にこの生活は、この行動は自分の意志で選択している」と自分で信じられることが、その時の自分には必要だったのだろう。だから一回、すべてを壊す必要があったんだろう。しかし、壊したあと、何かが浮かび上がって来るのには、最初に思っていたよりは時間がかかるみたいだ。いまのこの生活は、他人の意志によるものだとは最早思わないけど(それがもともと求めていたことだったか)、殊更自分の意志によるものだとも思わないね。自分に意志なんてものがあったのかすら思い出せない感じだな。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時39分
俺はもともと、自分の意志によって生きていて、そこで他人の意志が俺の意志に侵食してきて、俺の意志が力を失い、他人の意志が中枢を乗っとり、そこでなんとか、いまや自分の中心に位置している他人の意志をすべて取り除こうとしたら、自分には何も残らなくなってしまった。自分の意志によって再び生きることが出来るのではないかと期待していたのだけど。まあ、自分の納得行くように生きるのが最も重要だ。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時56分
あと病院へ行くのを辞めたのは、確かに病院へ再び行き始めてから、生活の妨げになっていた物事に対する姿勢を意識的に矯正するようになっていたから、楽にはなってはいたんだけど、どうも作為的な感じがしていたんだな。自分が本当に心からそれを望んでいるのか?という疑問があった。「そういう疑問を持つことが重要なのであって、だからと言ってその疑問の通りにいま自分の置かれている状況から実際に抜け出すのは間違っている。疑問を持ちつつ、自分の置かれている状況と付き合い続けるのが重要なのだ」とも考えていたが(結構説得力があるな)、結局俺は実際にその状況からも抜け出してしまったわけだ。疑問を疑問のままにしておくことが出来なかったのだ。しかし今の生活がそんなに価値のあるものか?楽なままでよかったのではないか?「楽だが、誤魔化しているように感じる」と思っていたが、それではいまのこの生活は誤魔化していないんだろうか?「楽でもないし、誤魔化している」だけではないか?楽までも手放す必要があったのか?

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2011/11/08 (Tue) 09.4月1日(水)~4月2日(木)

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 3時27分
音楽が聴こえる!!いつ以来だろう?一年以上振りだろうか?頭ではなく、音楽を感じられる。佐野康夫は怖ろしいということだな(笑)。この人の演奏は、無感覚な中では理解できない。符割は理解出来るがね。しかしこの人の最もすぐれた点は、音色だとか、符割にあるわけではない。それは「生き生きとした感じ」だ。スピード感なども含めて。こんなに生きている感じのするドラムを叩く人はいないだろう。たんなる音ではなく、叩いている人間が目の前に見えるような。俺は無感覚な間は、佐野の生き生きとしたリアリティとは切り離された、一種フィクションの音しか聴いていなかったわけで、それでも凄い演奏だと思っていた。しかし、佐野康夫の演奏に「感動」したことはない。佐野康夫のドラムには、感動させるような力はないと思っていた(というか、ドラムの演奏そのもので感動させることは不可能であると思っていた)。佐野康夫の演奏はかっこいいだけであり、俺はそのかっこよさに引かれていた。しかし、いま、佐野康夫の演奏の最も凄い点は、その生命力にあるのではないか、と気付き始め、びびっている。佐野康夫は、俺の考える「芸術」とはかけはなれたものだと考えていたが(つまり、かっこいいだけであり、生き生きとした生命力がないと思っていた)、実は佐野康夫以上に、俺の信じる「芸術」に近いドラマーはいないのではないか。

完璧なドラマーではないか。俺は佐野康夫を、基本的に獰猛なところに欠けた、「振り pretend」をすることしか出来ない、それを補うために如何に精緻に音を構築していくかということを究めた、ある意味で「欠けたところのある」、悲しい音楽家なのだと思っていたが、いま、これ以上獰猛なドラマーがいただろうか?と感じて、自分のいままでの、一年間以上の認識が覆されて、びびっている。

彼は技術ではないよ。技術的に余りにも抜きん出ているから、そっちに目が行っていたけど、彼にとっては技術なんて些末なことだ。いや、彼のドラムにとっては、だな。いま初めて佐野康夫のドラムを多少なりとも理解した気がする。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 4時1分
俺は無感覚というさ、感覚障害があったから分からなかったんだけどさ、普通の人が佐野康夫のドラム聴いたら、やっぱり目を見張るのかな?明らかに異質なんだよ。他のドラマー誰一人としてやっていないことをやっているわけ。人間の生きていることがそのまま演奏になっているような、人間の一生が、一曲の中で表現されているような、そういうことをドラムでやってるわけよ。ドラムって呼べるようなものじゃねーんだよ。音楽聴いてるやつは、佐野康夫のドラムを聴いたことがあるわけ?ブライアンブレイドとかスティーブガッドに対してギャーギャー言ってる癖に、佐野康夫の名前が挙がって来ないなんて音楽聴いてないってことだろ。

いや、これは世界一般の話なんだよ。例えば、みんな「今日は誰々と飲みました、楽しかったです」とか、「今日は夕飯に誰々と焼肉しました、おいしかったです」とか、そういう日々を送ってるわけでしょ?そういう事柄を楽しいと感じられるということは、世界や人間に対して親しみや、「好きだ」という気持ちを少なからず感じているということでしょ?普段から、人間の、生き生きとした感じというか、「人間の生きている感じ」と接しながら生きているわけでしょ。だから、音楽だけが殊更に生き生きと聴こえるわけでもないんでしょ?俺なんか、「人間が生きている感じ」とか、人間に対する親しみをまったく感じることがないわけ。心に入って来ない。だから、いまみたいに、佐野康夫のドラムを聴いて、「人間の生きている感じ」を、人間の生々しさというのかな、「人間がいる」っていうのを感じて、揺らいじゃってるんだけど(笑)、いままでそういうのを感じられない中で生きてきたから。知らない世界なわけよ。そういう、人間が生きているのを感じられるような世界ってのはさ。ただ、佐野康夫のドラムは、すぐれて、「生きている」と思うよ。もしかしたら、「人間の生きている感じ」とか、人間に対する親しみが感じられることが余りにも当たり前になっていて、それを意識もしたことのないような人たちには、佐野康夫のドラムはまったく理解できないのかも知れない。生きていることが当たり前なら、生きていることを最も力強く表現している佐野康夫のドラムも「当たり前」に聴こえるってわけだ。(もちろん、俺は人間が生きているということを感じられること、人間に対して親しみを感じられることに憧れているわけだ。ある種、当たり前のことをね。)

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 5時1分
俺はアイコを通してしか世界にアクセスすることが出来ない。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 5時17分
いつもさ、音楽に謝ってばかりなの。「あなたのことを誤解してました」ってさ。全然音楽に近づけないの。自分の思ってるのと違うの、いつも。好きだから聴いている訳では決してない。まだ好きになってすらいない。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 7時10分
複雑な状況に陥っているように見えるが、なんてことはない、俺は自分の恐怖するものから目をそむけ続けている、それだけのことではないか。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 7時46分
俺は確かに常に焦っていた部分はあるよ。一秒一秒、失っているように感じられた(いまだってそうだ)。しかし、俺はここまで来るのにこんなに時間がかかったし、逆にいうとこれだけの時間が必要だった、ということなのかも知れない。俺が焦ろうが焦るまいが、俺がいま、この数年間の間に直面している問題が、ある程度に収束するまでにかかる時間というのは、最初から大体決まっていたのかも知れない。まあ、こんな風に考えられなくはないかな、と思ったけど、考えられるわけがないね。そんなに落ち着いて見られる訳がない。ここまで来るのにこんなにも時間がかかったこと、これを肯定的に捉えられる訳がない。もちろん、これだけの時間がかかるのは仕方のないことだった、一日のうちに出来ることなんて知れているんだから、と考えることも出来る。一日のうちに100の仕事をこなそうとしていたわけで、100のうちの20しか出来なかったことで「自分の人生はもう取り返しがつかなくなったんじゃないか」とか、毎日のように悲観していたわけで。でも、100の仕事のうちの100をこなさないと駄目だよ。そりゃあ、塵も積もればなんとやらだけどさ。大切なのは、自分がやれるだけのことをやったと思えるかどうかなんだけど。失った側面しか見られないよ。人情としてさ。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 14時3分
メリークリスマス。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=f6bfOQCdoHA

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2011/11/06 (Sun) 09.3月31日(火) ~4月1日(水)

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 2時45分
凄まじい。こういう演奏を見ると、演奏は「しない」ことが重要なのだと思わせられる。「こういう演奏がしたい」と思うのでは、駄目だと思う。そうしたらゴールが見えてるわけでしょ?「こういう演奏はしない」っていうような、逆の方向というか、そっちの方が楽しいよね。広がる。まあ本来演奏ってそういうものだったっけ。俺がずっと演奏から離れているから。ジャズやってりゃ、そういうのは感覚的に身につくからな。慣れというか。いかにマイナスへ行くかなんだよな。反対へ行くか。それがクリエイトだと思うんだけど。頭で考えたってわかんないけどね。上手い人とやれば分かる。下手な奴は「こういうことがしたい」ということしか頭にないから(笑)、そういう奴とやっても意味がない。「つくる」んじゃねえんだよ、「つくらない」んだよ。それは物凄く難しいわけ。「つくる」っていったら、頭にもう描いちゃってるでしょ。もう駄目なの。積極的に「やらない」わけ。積極的にだよ。それがクリエイトだと思う。超難しいよ。俺、その現場に戻れって言われたらびびるもん。まあ、俺は演奏から逃げているともいえるな。最後にジャズやったのは去年の6月か。一年経つじゃん。
http://www.youtube.com/watch?v=9jFL1KuvSyo&NR=1

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 2時52分
下のは、もちろん演奏「中」の話ね。そりゃー、普段は「こういう演奏がしたい」っていうの、あるよ。「出来るようになりたい」かな。実際、現場でどういう演奏するかなんて自由にならないんだし。佐野康夫みたいな演奏に憧れているけど、ジャズのセッションで演奏したら「エルヴィン・ジョーンズみたいだった」とか言われたりする、そんなのは普通だからね。逆に「エルヴィンみたいにやろう」と思ってやったら、ならないでしょ。ならないっつーか、「みたいに」って時点で周りの演奏者からは「やってらんねーよ」って思われるだけだからね。

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 3時7分
っていうか、びびって当たり前だよな。音楽をつくることが生半可なことであるはずがない。「音楽をつくる」っていうことを当たり前のことのように思っていたというか、なめていたのかもしれないな。つくる意志のある人とやる場合だよ。気を抜いただけで殺されるっていう、そういう雰囲気があるわけだから。問題は俺の方に、他の演奏者が気を抜いてたら殺す、っていうくらいの真剣味がないことじゃないのか。自分で自分が生ぬるいと感じるものな。創作に対する熱意がない。だから演奏やってねえんだとも言えるんだけど。まあ、どっちにしろ中途半端なことには変わりねえ。ある程度以上に健康じゃねえと創作どころじゃないしな。欲求がねえんだから。言いたいことなんてねえんだよ。

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 4時50分
まるで俺が演奏しなければならないみたいな書き方だな。そんなことしてる場合じゃねーっての。

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 5時11分
何度も何度も確かめるように
好きだと言うね

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 5時23分
今日一日は、意味がなかった。「一日のうちに何か一つでも発見できればいい」なんて言ったりするでしょ。俺は今日いろいろ発見したよ。だからこそ無意味だって言ってんの。俺が求めているのは極めて限定された範囲のものだ。発見なんてしようと思えばいくらでも出来るわけよ。いろんなものを見て、いろんなことをすりゃーいいんだから。すべての人の生き方が同じになるわけだ。大事なものなんて何にもないということだろ?いろんなものを見たり、いろんなことをするのに抵抗がないということは。

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 14時5分
サンボーンがかっこいい
http://www.youtube.com/watch?v=00tzcnyDL68&feature=related

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 15時51分
俺はaikoの音楽が聴こえない(感じられない)状況に自分を無意識のうちに追い込んでいるのは間違いない。いまは無感覚というフィルターを通しているから、aikoの音楽を聴くことが出来るけれども、人間がおどろおどろしく感じられる状況でaikoの音楽を聴いたらどうなるのだろうかと考えると、おそろしい気がする。

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 18時53分
久し振りに泣いた。いつ以来だったっけな?一週間振りくらいなのかな。泣けるものがあることは嬉しいですね。生きてたんだなって思う。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 2時2分
自分にとって何が必要なのかはなんとなく分かる。この、瞼のめくれたような、自分の目は世界を見ず、目自身の奥深くを見るような、何も見えない宇宙の闇の中にいればね(笑)、自分にとって究極的に何が必要なのかは、おぼろげに浮かび上がってくる。何もない世界だから。マーブルのようによどんだ世界。深い夢のような。それでも、「これが必要なんだろうな」とおぼろげに理解できるだけであって、愛着だとか、親しみのようなものを感じることはない。もちろん、俺は「永遠に落下し続けるような、何にも繋がれていないような無重力(観念しか存在しないような夢の、マーブルのようによどんだ、実感の、色彩のない日々。目は開いていても、そこに映し出されている世界が、「現実の」外の世界であるように感じられず、自分の脳内を映しているようにしか感じられない)」の中で、自分が何を求めているのかを「理解」すること、これを望んでいたわけだから。決して楽ではないがね。楽を望んでいるわけでもないからね。

聴覚情報も、視覚情報も、すべて脳内のことのようにしか感じられないわけです。溶けている。マーブルのように溶けている、夢のような日常。眠ろうとしている自分がおかしい。起きている間も、覚醒しているようには感じられないからだ。そこで、夜になるから眠ろうとするけれども。起きていたんだっけな?眠れば、明日も起きるのだろう。そして夢の続き。目は開いているけれども、実は目を閉じている。今日一日は夢であったと解釈した方が腑に落ちる。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 2時19分
目を閉じていても、見えてしまう。目を開ければ見えない。目を閉じると、目の中がとてもよく見えるので、眠れない。耳が聴こえない。時計の音がしている。しかし聴こえない。音がしているのは分かる。耳を塞ぐ。少し楽になる。粗齬がなくなるからだ。目は開いていて何も見えない。開いているのに見えないというのは苦痛。だから目を閉じる。見える。しかしこれだと眠れない。閉じても駄目、開いても駄目。逃げ場がない。こういう時、眠ろうとするのを諦めていたっけな?体は疲れている。しかし今日は頑張って眠ってみよう。意識が…

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 2時21分
目を閉じた時に見えるものがうるさい!!!

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 2時28分
普通は、目を閉じて何も見えなくなり、目を開けて見えるようになる。俺の場合逆になってる。目を開けてると何も見えず、目を閉じると見える。何かが狂っている。昨日寝たのが遅かったからだな。

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2011/11/06 (Sun) 09.3月29日(日)~3月31日(火)

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 21時42分
逃げても向かってもいない環境で長く過ごしすぎた。「これだけは手放したくない」と思えるような実感を感じられることはまだない。すべてが雑然としていて、どれが自分にとって必要で興味を引かれるのかがわからない。いや、わかっているのか…自分の求めていないことを、自分に対して「これをやるべきだ」と強いる生活を長く続けていると、自分の直感とか、素直な感情が磨耗していく。「虚しい」と感じながらそれを続けることは、自分にとって大切なものを感じる能力をも駄目にしていく。思考優位だからな。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 22時15分
俺はずっと「実感」というものを第一に考えていたじゃないか。その実感というものを軽視するようになったのはいつからだろう?俺はとても自由になったと思う。自分の周りにあるものがすべてゴミのように見えるようになった。未だ、自分には考えしかない。自分の生と呼べるようなものはない。捨てたくないと思えるものがない。危機意識のようなものもない。死ねと言われたら死ねるのだろうか?実感というものがどういうものだったのか、自分の大切にしていたものがどういうものだったのか、思い出せないのだ。指標となるようなものがない…あるのか?いや、それが指標であるのか…いまも指標としての意味合いを持っているのか…まったく絶望しているわけでもない。その「かつて指標であったもの」に張り付いている以外に何もしようがない。生きることはまったくくだらないことであると思う。痛い…?痛みがあったんじゃないか…避けていることに気付いていないだけなんじゃないか…思考優位…精神病理学的に言えば、余りにも当人にとって危険であると思われる実感は、無意識のうちに排除しようとする働きが起こる。それが結果的に現実感喪失(離人症状)となる。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 0時20分
つまり、俺はアイコを全力で見ながら、それを通してジャズを見ている。俺はアイコしか見ていないし、これからもアイコしか見ないだろうが、アイコだけを見ることによってはじめてジャズのことを考えることが出来る。俺はアイコのことを全力で見ているが、同時にアイコの向こう側にあるもの、つまりジャズを見ている。俺はそのようにしてしかジャズを見ることは出来ない。俺にとって重要なのは「ジャズ」だ。俺はジャズのことしか考えていない。「音楽」のことしか。俺はオーネット・コールマンのことを考える。しかし聴きはしない。全力でアイコを見る。その時、それと同じ強度でオーネットを見る。俺はアイコを歌謡曲だとかポップスだとか歌だとか、考えて聴いている訳ではない(当たり前だ!!)。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 0時37分
これは嘘だ。不正確だ。オーネットという固有名詞を出したのが間違いだった。俺にとって「ジャズ」とは誰々の音楽というようなものではないのだから。ニュアンスとしては「音楽」だ。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 18時53分
もちろん、俺は音楽を聴くにしても、形のあるものではなく、形のないものを見ようとしている。そのため、具体的に、実際に鳴らされている音を聴くという習慣をずっと持っていなかった。「音」を聴くという発想自体がなかった。音楽を聴くさい、「音」を聴くというのは、音楽を聴くということとは必ずしも関係していない。音楽はイマジナリーのものであり、耳で聴いて頭で理解するものであってはいけないと思っているからだ。何をしているのかが理解出来ても、聞こえないものは聞こえないのだ。何をしているのかが理解出来ていなくても、聞こえる時は聞こえるのだ(だいたい、演奏を、何をしているのかを理解するとは、どういうことを指すのか?「理解」とは?それがいったいどれだけの価値があるというのか?)。だから、「演奏を聴く」こと、「音」を聴くことはずっと避けていたと言っていい。なんら本質とは関係がないと考えていたからだ。しかし、「音」を聴かない態度をとっていることに対しても、自分の中で反発が起こっているようだ。いままで、俺は音楽のとても限られた一面しか見ていなかったのではないか、と。「『音』を聴くことは音楽の本質とは関係がなく、かえって本質から遠ざかるものだ」というのは、自分は音楽を聴くのが怖いものだから、音楽を聴かないで済むようにするためのエクスキューズだったのではないか?俺が音楽というものに直面することとは、具体的な「音」を聴くことなのではないか?いまになって、「音」は、現実であり、人間の発しているものであり、人間と切り離されるものではないのではないかと気付き始めている。「イマジナリー」というけれども、現実に出されている「音」を聴くことが、イメージを遠ざけるものだと言い切れるのか?そもそも何をもって「現実」というのか?「現実に」出されている「音」を聴こうが、それが自分以外の人間の出した音である以上、自分にとっては現実のものではありえず、想像上のものでしかない。だったら、実際に出されている音を「現実」と理解するのは、たんなる言葉遊びでしかないじゃないか。「現実」なんてのは、「これが現実です」とか、簡単に指し示すことの出来るものではない。「想像対現実」という図式は意味がない。「現実」も想像を介した現実でしかない。イメージから切り離される、純然たる「現実」なんてのは存在しないということを俺は理解していなかったんだろうな。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 20時41分
アイコの音楽を聴いたってどこにもいけない。しかしアイコの音楽を聴くことくらいしか、いまの俺に出来ることはない。いまの俺の求めていることは。その先に何もないのかも知れないけどね。望んでいるような世界はないのかも知れない。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 20時46分
何かを「好きだ」と思えるのは素敵なことだよ。今日、久し振りにアイコのことを好きだと感じたよ。30秒くらいの間だったけど。胸が暖かくなるのね。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 22時46分
「不況であるからこそ、時代に必要なモノは残り、必要以上のモノや本質をとらえていないモノは淘汰される」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090330-00000023-trendy-ent

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 23時2分
自分の中に生命力があるかどうかは自分でわかる。気がめぐっているかどうかはね。生命力のない状態では何を見ても、何をしても無駄だと言える。なんの感激もない状態ではね。目でなぞるだけなのだから。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 23時48分
えろい女が好きだ。女を感じさせる女が。ちんぽのしゃぶり方を見ればわかる。恍惚の表情。男を見る時の顔つきでもわかるけど。セックス大好きですって感じの女が好き。かわいくても、クリーンな感じのする女は駄目だ。男を見ては、ちんぽの匂いを想像してうっとりした顔つきで男を見るような、そんな女がいいわけ。それで恍惚の表情でちんぽをしゃぶる。おいしくてしょうがないという感じで。

名前:あいこ 日付:3月30日(月) 23時52分
かわいさよりもえろさ。その点では、この女はなかなかいい線いってる。そんなにかわいくなくたって、えろけりゃかわいく見えるというか、惹かれる。えろさとバイタリティ、つまり生命力とは深い関係にある。生命力のある人間は魅力的に見えるというわけだ。
http://galleries.payserve.com/1/35712/14456/index.html

名前:あいこ 日付:3月31日(火) 0時1分
綺麗なだけの音楽は人を感じさせないのと同じように、綺麗なだけの、かわいいだけの女も、人を感じさせはしない。結局、人を引き付け、感じさせるのは生命力であるってことだ。言うまでもなく、生命力というのは身体と密接だ。すぐれた芸術は身体に訴える。少なくとも、俺は芸術とはそうあって欲しいと思っている。

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2011/11/04 (Fri) 09.3月26日(木)~3月29日(日)

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 22時31分
俺は新しいものに手を出したり、知らないものに手を出したりするのが苦手というか、怖い。いま自分のいる世界にも慣れていないからね。自分がいまどこにいるのかを把握出来ていないままに、知らないものに手を出すってのは凄く怖いし、危険だし、無意味。俺がこの世界に於いて、馴染みのあるように見えるものなんて殆んど何もないんだよ。自分の部屋の中を見渡してみてもそう。見慣れないものばかり。まあ、aikoに関係するものしか置いてないから(笑)、aikoの存在に対して、まだまったく慣れていないから、必然的に自分の部屋の中に於いても、俺はstrangerなわけ。aikoに慣れていくしかないのね。aikoから逃げることも出来ないしね。aikoに慣れることが出来れば、この世界も馴染みのあるもののように感じられるのだろう(笑)。

名前:あいこ 日付:3月27日(金) 1時45分
ジャクソン・ブラウン / プリテンダー

アイコ以外の音楽家で、アルバムを一枚選べといわれたら、これを選びます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000AA7AXU/sr=8-6/qid=1237702190/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1237702190&sr=8-6&seller=

名前:あいこ 日付:3月27日(金) 1時51分
下ので試聴できるけど、4曲目の「あふれ出る涙」という曲とか。
これはユーチューブのやつ。
http://www.youtube.com/watch?v=V05shTgDV_M

名前:あいこ 日付:3月28日(土) 14時18分
俺って音楽をなめていたなって今の今になって気がついたよ。
こんなの、口に出して言うことじゃないんだけどね。

名前:あいこ 日付:3月28日(土) 17時9分
例えば、自分の好きなソロが始まったとする。右ちゃんねるから。その時、左ちゃんねるのバッキングに全精力を注いで食い入って聴くわけ。そうした時にはじめて右ちゃんねるのソロが聞こえる。好きなものに肯定的に向かっていくのなんて簡単なんだよ。矛盾がない。しかし、矛盾のないところに、なんのエネルギーもない。「自分は、いまいちばん好きなものを手放している」という自覚があるから、その「第2位以下」のものに向かって、死に物狂いで向かって行かざるを得ない。それしかないんだからな。それすら失ったら、自分には何も残らないわけだ。

名前:あいこ 日付:3月28日(土) 17時14分
そして、「第2位以下」のものに死に物狂いで向かっていくことが、逆説的に、同時に第一位の物事に執着することでもあるんだ。自分はいまそれを失っているんだからな。longing ってやつだ。longing というのは、距離が離れていないと成立しない感情・エネルギーだ。

名前:あいこ 日付:3月28日(土) 18時53分
音楽を聴いていて思うのは、「人生には意味なんてない」ということだな。この世界には何もないんだよ。何もない世界で何も残せないで死んでいくんだよ。いや、違うな。結局は死んでいく。結局は死ぬまでの時間稼ぎだ。人を愛したって、遅かれ早かれ、死ぬ。だとしたら、音楽をやったりすることに何の意味がある?誰かに「好きだ」とか言ってみたり、誰かを好きになることに何の意味がある?何故、音楽という文化があるんだ?死ぬまでの時間稼ぎなんだ。「愛していた」っていう痕跡を残したいんじゃないのか(笑)?何も残らないんだから。人が人を愛しても、100年後には、誰もそんなことを知る人間はいない。俺が誰かを愛しても、そんなことは、100年後に生きている人間は誰も知らない。俺が誰かを愛したとして、なんの意味があるんだろう?結局死ぬんだもの。誰にも知られないで死んでいくのだろう。俺が何を考えていたのか?俺が何を好きでいたのか?誰にも知られないで死んでいくのだろう。だったら生きていて死んでいくことになんの意味があるのだろう?何故、音楽という文化があるのだろう?音楽が、何かを残せるのか?愛していたという痕跡をどれだけ残せるというのか?音楽を愛したところで、どうなるのか?結局は死んでいくだけだろう。個々人の意志の、愛の方向性は、結局交差しないままに、各々が死んでいくだけだとしたら、音楽に何の意味がある?

名前:あいこ 日付:3月28日(土) 23時24分
楽器なんかやったってしょうがない。ここ二週間くらい割合出来ないことを出来るように訓練してたけど。でもそれに対する欲求がないんだから意味がない。やりたくなった時にやればいい。俺は頭が狂っていたんだな。まだ洗脳から回復していない訳だ。

胸が痛くなるのを抑圧している。胸が痛くなる状況を無意識のうちに避けている。胸が痛くなる原因はなんなのか。俺の胸を痛くしているものの正体はなんなのか。俺がいま望んでいるのは、その俺の胸を痛くしているものの正体を知ることだろう。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 14時8分
ここ三日くらい毎日オナニー7回くらいしてんのな。今日も既に3回してるし。疲れるわけだ。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 15時3分
俺はいま、近所のダイエーのクレープコーナーのアルバイトの女の子に恋をしている。もう数ヶ月になるが。ポニーテイル。腕捲りをして、紺のセーターにおっぱいの微妙な柔らかく暖かく、それでいて春を感じさせる曲線、えんじのキャップ。健康的な、青き春。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 15時8分
セーターの、おっぱいの暖かさとセーターの生地の冷たさ、セーターの生地の冷たさがおっぱいの肌の熱によって暖められる、セーターの生地の匂いをかぐ、おっぱいにセーターの上から鼻をつけ、頬をあて、おっぱいの柔らかさ、セーターの匂い、セーターの冷たさと、おっぱいの熱によって暖められたセーターの暖かさ、セーターの匂い、それは同時に、おっぱいの匂い。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 15時14分
俺を生かしているのは、高尚な芸術とやらではなく、このような事柄なのだ。「あそこにポニーテイルの女の子が働いている」と思い出すだけで、生きていてもいいなと思えるのだ。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 15時59分
この作品について自伝の中でキースはこう言っている。
『スピリッツ』は、あるところで溺れかけた事から生まれたんだ。そこでぼくは別のところに浮かびあがることができたというわけだ。溺れる事を忘れることなく、溺死することもなく。
http://www.amazon.co.jp/Spirits-1-2-Keith-Jarrett/dp/B0000031TZ/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=music&qid=1238308909&sr=8-4

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 16時4分
それを見るのが怖いのは、それを失った時のことを想像してしまうからだろう。

名前:あいこ 日付:3月29日(日) 16時29分
溺れる事を忘れることなく、溺死することもなく。

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2011/11/04 (Fri) 09.3月25日(水)~3月26日(木)

名前:あいこ 日付:3月25日(水) 17時37分
要らないものは周りがどう言おうと要らないって分かってたし、自分にとって必要なものがちゃんと重みを持っていた。必要か必要でないかは一目見れば分かった。空っぽなものも一目で分かった。自分が何に関係しているのかははっきり分かっていた。そういう、時間をかけて築いてきたものがすべて壊されてしまったように感じている。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 2時6分
アイコを見ていない時の方がアイコを自然に感じられる?ただ見ていないだけじゃないか…見ていなければ見えないよ…理屈をつけたって見ていないものは見ていないんだよ…なに、aikoだけではなく、普段からいろんなものを見なければ、盲目的になり、見えるものも見えなくなる?オーネットコールマンやらエリックドルフィーやらセロニアスモンクを聴いていた時間にaikoが見えていたと?二週間aikoを見ていない。それはその名の通りに二週間アイコを見ていないのだ。aikoから得られるものを二週間放棄していたのだ。aikoを取るか、ドルフィーを取るか、それだけの話だ。モンクやドルフィーに、aikoを見るための時間を犠牲にするだけの価値はあるのか(笑)?ある訳がない。

結局、俺の自己満足の問題なのだ。どうすれば安心していられるか。aikoから意識的に離れ、不安になる必要がどこにある?

この二週間くらいの間、aikoのない世界で、どれだけのものを俺は世界に見付けることが出来るのかということを実験していた。その間、家にある音楽を片っ端から聴いていた。ビルエバンス、ブラッドメルドー、キースジャレット、ジョシュアレッドマン、カーティスフラー、ソニーロリンズ、ジャッキーマクリーン、シナトラ、ベイシー、マイルス、ボブバーグ…作為的。別に聴きたくて聴いている訳ではない。ジャズのCDRなどは殆んどをクローゼットの中に閉まっていたが、そのこと自体で痛みを感じなかったということは、俺はそれらを強く求めているわけではないということだろう。その間、常に頭にあるのは「俺はいまaikoから逃げている」ということだ。「俺はジャズから逃げている」と感じる程に、俺はジャズを求めてはいない。そのように感じるようになってからジャズを聴けばいい。

俺はいま、何から逃げているのか?俺はaikoと佐野康夫から逃げている。aikoと佐野康夫は俺の方を見ている。マイルスやモンクは俺とは関係のない方角を見ているようだ。つまり、俺がマイルスやモンクを聴いても、時間の無駄だということだ。俺とは縁がないのだから。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 2時16分
それはつまり、「俺はaikoを好きなのか」どうかを検証するためのものだった。わかったことは、aikoの音楽から離れていると不安になるということだった。「いま自分はきっと何かを失っている。しかし、何を、具体的にどんな形をしたものを失っているのかはわからない」というような種類の不安だった。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 2時56分
aiko以外にも、いくつか重要な音楽はある。大貫妙子や、ニーナ・シモン、キース・ジャレット、山下達郎、荒井由実、矢野顕子などがそうだ。これらは向こうからやって来た。逆にいうと、俺の必要としている音楽なんて俺の持っているCDの中ではごく限られたものでしかないということだ。aikoやaikoに関連するCD以外では10枚にも充たないだろう。ジャズではキースジャレットの弾く民謡の曲一曲と、ニーナシモンの歌う2・3曲。それがぼくのジャズのすべて。山下達郎は一曲だけ。矢野顕子も一曲だけ。大貫妙子は2・3曲。荒井由実は2曲かな。aiko以外で重要な音楽はそれで全部だな。「aiko以外」はMD一枚に収まるわ。それ以外の俺の持っているCDはみんな「なくたっていい」ものだな。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 3時3分
あと、音楽は聴こうとして聴くもんじゃないから。向こうからやって来るもんだから。音楽を聴く時は、自分の中に音楽が鳴り響いた時だから、必然なのよ。やって来るまでは音楽を聴くべきではない。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 14時14分
わたしあなたと知り合うまで
何をして生きてきたんだろうか?

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 14時30分
エヴァンスやマイルスを聴く必要なんてないのだ。アイコの中にマイルスもエヴァンスもいるのだから。それはつまり、俺はアイコを見ている間にのみ、世界にコミットしているという実感を感じることが出来るという意味においてだ。つまり、世界は一体である、ということだ。

名前:あいこ 日付:3月26日(木) 20時30分
人生に何も期待していない癖に、そのことを自覚していないでへらへらしている連中が許せない。「人生はクソみたいなもんだ」と正直に言ってみろ。あたかも「人生は素晴らしい」と思っているかのように(思っている訳がないだろうが)振る舞うな。

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2011/11/04 (Fri) 09.3月23日(月)~3月24日(火)

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 21時9分
最後まで具体的な説明がなくて本当によかった。何が起こったか解らない方が読んでて怖いのだから。ストーリもさることながら、望月氏の個性的な画も読者の恐怖をあおる。本当に怖ぇぇ!人間は闇に恐怖し、理解できないものに恐怖し、自分を見失う。

この作品を読んでいると、恐怖は人が生きていく上で重要なファクターであるということに気付かされる。人間には希望が必要であるが、希望を生み出す土壌となっているのは恐怖という絶望であったりもする。また、その逆も言えるだろう。恐怖も生きるための糧なのだ。闇とは遠ざけるものではなく、受け止めるべきものだといえるだろう。

最終回については賛否両論あるだろうが、私はこれ以上ない終わり方だったと思う。希望という光も、恐怖という闇も、全ては人間の想像力によって生まれる。それらは表裏一体で、どちらかを切り取るような事はできない。結局は、全て自分次第という事であろう。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 21時21分
「闇とは遠ざけるものではなく、受け止めるべきものだといえるだろう」
「希望という光も、恐怖という闇も、全ては人間の想像力によって生まれる。それらは表裏一体で、どちらかを切り取るような事はできない」

まさにこの一年間の俺を指して言っているようではないか。森田理論でいえば、恐怖は欲望によって起こるものであるから、恐怖の否定は同時に欲望の否定になる、ということだ。「闇を遠ざける」とは、自分の生の欲望によって生じた恐怖を抑圧するということ、これはそのまま神経症だろう。「表裏一体で、どちらかを切り取ることは出来ない」とは、つまり生の欲望と、死の恐怖とは一体であるということだ。

「闇を遠ざけていた」この一年間は、つまり本来的に恐怖を含んでいる生の欲望を押さえ付けていたこの一年間は、闇よりも酷いものであった。

俺が「痛み」と表現していたものは、そのまま「闇」のことであった。「この痛みの中にしか俺の生を感じることはない」と言った。これは闇であり、すなわち希望である。

しかし、こんなことは、こんな一年間を過ごす前からとっくに承知していたのだ。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 22時25分
学校へ行くのか?行く理由も感じられないし、行かない理由も感じられない。つまり、俺は何も望んでいないのだ。学校へ行くのを辞めてまで手にしたいものはない。痛みもない。自分の生の欲望のようなものを余りにも長きに渡って押さえ付けてきたからだろう。俺がこのような目にあっているのはいくらかでも正当性があるのだろうか?いや、俺は単純に攻撃されただけだ。俺が余りにも迂濶だったのだ。誰か他の人間が、自分の人生をこんなにも簡単に破壊しうるということを知らなかっただけだ。俺の方があなどっていただけだ。自分のされたことは単なる攻撃であり、破壊だ。その事実を歪めて解釈してはいけない。

このまま学校へ復帰せずに過ごしていればいいのか?余りにも間違った時間を過ごし過ぎた。ここにいれば、取り敢えずは間違いではない。何もしたいことがない。何も求めているものがない。ならば死んだようにしているのは何も不自然なことではない。

とは言っても行くんだろうが。というのも、「学校へ行かない」ことの方が主体的なことだからだ。とは言っても、学校に対する憧れ、卒業に対する憧れはない。いや、あるのか…?何に対する憧れも感じられないのだ…鈍磨している。学校へ行っても、失うものはないと感じる。失う恐怖というものを、感じられなくなった。「これだけは失いたくない」とか…何もない。世界は何もない。でも、この「世界の何もなさ」を見届けるくらいしか出来ないんじゃないのか。向こうから何かがやってくるんじゃないか…常に、俺は向こうからやって来るものを生きていた。自分で何かを主体的に選択したことはない。或いは、避けていた。この一年間は例外だけれども…向こうから何もやって来なくなった。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 23時52分
俺は今までに不幸という程の物事は経験していない。何年間も現実の人間関係と呼べるようなものを持っていないが、自分はそれを一番望んでいるからそうしているだけであり、人と関わりたいと思うような時季がやってくれば、そうするだろう。不幸もへったくれもない。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 23時59分
俺はこれまで生きてきて、ハードな経験をしたことがない。生ぬるい環境で育って来たんだな、と感じることは度々ある。実際何を見てきたのか?俺がこれまでに見てきたものなんて何もないような気がするね。俺は今の今まで幽霊だったのではないか?

名前:あいこ 日付:3月24日(火) 0時16分
すべて頭の中の出来事でね。小さい頃から変わらないか。現実ってものがどこにあるのか分からないわけ。例えば、「ここにコップがあります。手で触ることが出来ます」。これがリアリティなのですか?これを現実だと捉えることが出来ないのよ。見ることが出来て、触ることが出来る、そのことによってそれが現実であるという風に判断することが出来ない。例えば、痛みとか、恐怖というものは殆んどが想像によるものだ。でも、その痛みや恐怖はその人にとっては何よりも「現実的」なのね。リアルなのね。喜びなども同じようなのね。人生そのものが夢のようなものにも思えてくるわけ。個々の頭の中で完結していて、すべては想像上のものであり、それが同時にリアリティだってわけ。スノーマンのようなものでね。スノーマンと遊んだ一夜は結局は夢だったわけだけれども、あの喜びは現実そのものだし、スノーマンを失った悲しみも現実そのものなわけ。でも、こんなのそのまま人生なわけよ。これが夢でないとどうしていうことが出来る?

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2011/11/04 (Fri) 09.3月22日(日)~3月23日(月)

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 22時50分
やはり、「過去には自分は、このように感じていた」とか、過去の自分に戻そうとするよりも、いまを一生懸命に生きるしかないのかな、という気もする。おそろしいことだけれど。いまここにあるものなんて価値のあるものなのかも分からないのに。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 1時10分
吾人の心に自然に発動する純なる欲望といふものは、…矛盾錯誤の多い思想によつては中々容易に之を認める事が出来ない。…社会から隔離された孤独の境遇に身を置いて見た時に、初めて自分自身から自然に発動して来る欲望といふものが分る。それは生の力である。
―森田正馬「生の欲望と死の恐怖」

単純に、去年の6月に俺が学校へ行くのを中断したのは、上でいう生の力というものが「矛盾錯誤の多い思想」によって覆い隠され、抑圧され、機能しなくなっていたことを苦痛に感じ(実際は強い離人症状として現れた。ここでの苦痛とは、「思想」に対する、「体」の本能的な抵抗、防御機能である。離人症状というサインにより、「体」の方へ意識を向けさせようとする。「体」の抵抗だ)、体の「自然治癒力」としての、防御機能に従った結果としてのことだ。ごく自然なことであり、考えた上で行くのを辞めたわけではなく、体の声に従っただけであり、説明不可能なことだ。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 1時11分
神経症の治療を目的とした森田理論から見ても、また、「神経症の治療」から離れ、ただ「自分の人生をどのように生きるか」という目的から見ても、つまり、どのような意味においても、去年の7月に俺が無理矢理にアルバイトを始めさせられたのは間違ったことだった。この一年間は、「自分の人生として」何をも得たという実感を感じることは出来ないし(例えば高校3年間をひたすら遊んで楽しんで過したいと望んでいる少年が、3年間毎日無理やりにひたすら毎日勉強させられたことで、「俺は勉強したことでいろんな意識が身についた」などと、肯定的な実感を得ることが出来るだろうか?何かを「手にした」という実感よりも、遊んで楽しむことが出来ただろう、もう二度とやっては来ない貴重な高校の3年間を「失った」という実感の方が遥かに大きいだろう)、ただ神経症を更に悪化させられたという実感、一年間の間に感じることの出来たであろう「実感」というものを、失ったという実感しかない(しかも、一年間の間にどのような「実感」を得られたであろうかということは、推測の域を出ないのだ。これから先もずっと)。

この一年間の間に感じることの出来たであろう「実感の集積」は(一瞬一瞬の実感の集積、それの一年分)、今現在の俺の感じ方にも影響を残している。以前に感じたような生き生きとした「痛み」だとか、何かを「好き」と感じて胸が温かくなるような、そのような感覚は今の自分にどれだけ残されているというのか?あの時の、あの生き生きとした「痛み」を失ってしまった自分は、これから何かを強く求めるということがあるのだろうか?これから先ずっと、痛みも、喜びも感じないで生きていくのか?

今の自分には何もない。何も、強く憧れられるものがない。失いたくないもの…?

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 11時36分
前々から感じていたことであり、当たり前のことでもあるんだけど、そもそも人間性の本質なんてものは存在しないんだ。世界が自分にどのように映るか、人間が自分にどのように映るか、つまりコミュニケーションってのは現象に過ぎないわけで、その時その時の現象としての世界の認識を綜合して、自分の中に世界像とでもいうべき枠組みを作り上げているだけに過ぎないんだからな。「どのような人間か」とか、こういう言い回し自体無意味であると思う。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 13時53分
音楽が世界と一致すると思ってはいけないのだ。ズレがないと楽には生きていけない。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 14時31分
楽に生きたいと思ってる?「楽になる」ことで何か犠牲にしてる。誤魔化してるよね。ははは。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 19時27分
確かに俺は芸術の捉え方において偏っていると思うよ。純文学原理主義というかね。でも(愛が深ければ八方美人であることがきつくなってくる…のとはちょっと違うか?)、俺は芸術を「鑑賞」出来るような立場にはない。一歩退いて見ることが出来ない。俺は限られた種類の美しさしか知らないし、それを相手にすることで精一杯だからだ。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 21時2分
最近のではっきりとは覚えてないですけど、太田光が『自分の思った通りに行動して、人に嫌われてもいいじゃないか』みたいな発言をしたとき,西川史子が『人に嫌われることが本当にいいんですか?』って反論(?)したときに,

『マシだってことだよ。言いたいことを言えないでいるとどんどん自分を嫌いになってくだろう。人に嫌われるよりも,自分で自分を嫌う方が何倍も辛いじゃないか。』

なんか楽になりました。そういうことかと。

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2011/11/04 (Fri) 09.3月21日(土)~3月22日(日)

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 3時21分
世の中のいろんな物事について興味を持てない(持たない)というのは、自分にとって失いたくないものがあるからだ。自分にとって大切なものがあるからだ。「大切だ」という気持ちが強ければ強いほど、「失いたくない」という気持ちも強くなる。その大切な物事に関係しないことに関わることに恐怖を感じる。

逆に、何にでも興味が持ててしまうというのは、結局大切なものなんて何もないってことじゃないの。この半年間、いや、一年間か、俺はどんな本を読むことにも、何をすることにも恐怖を感じなかったよ。なんでもいいわけ。「いろんな物事に興味を持たないと駄目だ」という彼の治療方針は成功したと思うよ。俺は、「何に対する興味もなかったから」、どんな物事にも手を付けることが出来たわけ。自分にとって大切なものがもう大切であると感じられなくなっていたからね。「失いたくない」という気持ちそのものがなくなっていたから、抵抗なしに失うことが出来たわけ。

この一年間を振り返ってね、「間違ったものが入り込んできていた」としか考えられないのね。この一年間は、ぺらぺらの紙切れのようなものにしか感じられないの。一行で言い表せそうだ。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 3時26分
こんな一年間を過ごしたことが、これからの人生に「役立つ」んだろうか?「役立つ」だって(笑)、馬鹿じゃねーの。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 4時25分
俺は何を手にしてる?これから何かが手に入るのか?俺だけがこのまま何も手にしないで死んでいくのか?

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 13時20分
だってアイコ以外に好きなものなんて何もないことなんて分かりきってることじゃないの…なんでアイコに向かって行きたいという欲を自分で抑えつけたり、どこかに追いやらなければならない?アイコを見ていない間に俺は何を手にしたんだ?こんなことを考えていることが奴に知られたら、また「なんでもポジティブに考えないと駄目だ。悪いこともポジティブに考えろ」とか言ってきて、俺がこう考えたり感じたりしていること自体を否定してくるのだろうか?悪いこと?悪いことは起こったよ。俺の直面している、「悪くないこと」を「悪いこと」として排斥しようとする、そいつの試みが成功してからね。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 16時19分
つまりね、欲ってのは部分部分の継ぎ接ぎで出来ているのではない。一部分の欲望が抑圧されれば欲望全体のバランスが崩れる。これは当然のことだと思うね。欲望なんてのは機械の部品のように交換可能なものではあり得ないわけ。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 16時32分
愛を失ってまで生きていたくねえってことだ。生の欲望を失ってまで生きていたくねえってことだ。異論あるか?

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 18時44分
やっぱり駄目だ…楽器は。こんなに虚しい思いをしてまでやる義務はない。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時29分
ただ、人間としての憧れがあるだけ。いま自分のいる場所が馬鹿に思えてくるような。そういう人間としての憧れ。実際、俺の手にしているものなんて、すべてくだらないわけ。俺の好きなもの(好き「だった」もの?)を挙げていくと、反吐が出るわけ。それは自分自身の反映でもあるわけ。自分の好きな(好きだった)小説とか漫画を挙げていくと、くだらないわけよ。

昔は、村上春樹の小説読んで、コーヒー飲んで煙草吸って、明け方にジャズを聴くっていう自分の生活がかっこいいと思ってたわけ。整頓された部屋で天気のいい日にキースジャレットを聴きながら、コーヒーを飲んでクッキー食べて、古本屋で買ってきたフランス文学を読むっていうの、そういう生活をしてたわけだから。

どっちかというと「ワイシャツ」が好きだったの。けど、「Tシャツ」が好きになったの(服のことはわからん)。サブカルチャー的なものに惹かれるようになった。ジャズを聴いてフランス文学を読んだりして文学青年を気取るのを辞めた。ECMよりも、ヴァーヴを聴くようになった。キースジャレットやパット・メセニーよりも、チェット・ベイカーや、アニタ・オデイを聴くようになった。呪術的で、生理的なものを重視するようになった。漫画は台詞がなくても表現できるんだということを知った(自分は言葉を過信していたと自覚した)。

言葉の下にあるものが重要なのだと知った。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時32分
俺の知っていた「芸術」は、ごく限られた意味での美しさだ。それは、人が何かを当たり前のように欲しがったり、望んだり、それを喜んだりするような…人々の、そういう「希望」を目にすると、目頭が熱くなった。当たり前のように何かを求めること…自分にとって、当たり前のように何かを求め、喜ぶことの出来る瞬間というのは、人生においてごく限られた瞬間にしかないからだ。だから、人々のそういう「希望」を目にすると、自分のことのように、喜ぶことが出来ることがある。

実際に、俺の目にしたような美しさというのは、そういう美しさだ。このような美しさは、透明で、強い意志を孕んでいるように思われる。例えば、パット・メセニーの音楽、大貫妙子の音楽、ドビュッシーの音楽のような…

俺は、このような美しさしか知覚できていない自分を愚かだと感じる。もっと、生理的で、死に迫ったような美しさ、そのような美しさがあると知って以来、自分は果たして、そのような美しさを「実際に」どれだけ経験したことがあるというのか?セックスの存在。俺はもう、セックスの存在していない美しさには、殆ど価値を感じられないのだ。生理的で、死に迫ったような、孤独。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時42分
俺の知っている、芸術に於ける「ストイシズム」は、「失った『世界』、或いは『人間性』というものに対する切実な憧れ」、(「憧れ」=saudade:サウダージ;自分の失ったものを求めること=「想」)であったと思う。つまり、『世界』であり、『人間性』であって、飽くまで「自分対世界」であって、誰か特定の人を想っているわけではない。つまり、そこにある孤独とは、「世界、或いは人間性というものが自分から離れていった故の孤独」なんだ。

俺は、世界や人間性ではなく、「『誰か特定の人』が自分から離れていった故の孤独」というものを知らないんだ。俺は、「世界」や、「人間性」というものを愛したことはあったかもしれないが、誰か特定の人間を愛したことはない。

俺は自分がそのような種類のストイシズムを持っていないことに欠乏感を感じる。「人間性」を求めてはいても、「人間」を求めてはいない自分に対して。このまま死ぬことは出来ない、と。「人間性」ではなく、「人間」を求めて、死にたい。

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2011/11/04 (Fri) 09.3月18日(水)~3月21日(土)

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 11時18分
人生は「ここにある」というように頭で規定できるものではない…人生はどこにもない…頭で考えることのできることなど何もないのだ…

名前:あいこ 日付:3月19日(木) 16時13分
心は落ち着いてるの。不安がない。春がやってきたようでね、穏やかなんだね。でも俺は不安がない状態なんて始めから望んでいない。いま自分には不安もないし、生きる欲求のようなものもない。何を見ても痛みを感じない。何も強く望んでいない。これから先に何があるんだろうね?もう元に戻らないのかね。怒るような気力もないみたい。絶望ってのは望みが絶たれるっていうんじゃなくて望む気持ちそのものが消えるっていうことなのね。何もない。世界がおそろしくフラットだ。

名前:あいこ 日付:3月19日(木) 16時19分
それでも人生は続いていくのかね。人生ってのはそういうものなのかね。なんちゃってね。

名前:あいこ 日付:3月19日(木) 16時23分
そういう風に思える訳がないだろう。「人生は続いていく」だって。

名前:あいこ 日付:3月19日(木) 23時38分
何もない。

名前:あいこ 日付:3月20日(金) 11時46分
自分の失った意志が欲しい。かつて自分にあった意志が欲しい。

名前:あいこ 日付:3月20日(金) 14時23分
君を失う悲しみに比べれば
想う苦しみなど幸せなより道

名前:あいこ 日付:3月20日(金) 14時34分
つまり、結局、ぼくらが生きているんではない。ぼくらの意志が生きているだけなんだ。ぼくらは何かを失うのは怖くはない。意志を失うことが怖い。

名前:あいこ 日付:3月20日(金) 17時29分
それにね、俺は音楽がまったく聴こえなくなったの。去年の七月以来ね。それ以来は音が聴こえるだけ。音楽家になるのは無理だよ。誰も頼んでないか。やっと音楽が少しは分かりかけてきた時だったんだけどね。それからすぐだからね。いま俺の聴いてるものなんて何の価値もない。

名前:あいこ 日付:3月20日(金) 18時44分
病院だって行くのを辞めたし、一応去年の六月の時の生活に戻っているはずなんだよ。けど守りたいものは何もない。失いたくないものも何もない。だからこんな俺に対して「おまえはそうやって家に篭っているから駄目なんだ。外に出てアルバイトを始めろ。なんでもポジティブに考えないと駄目だ」とか言ってきて無理矢理に俺を働かせようとする奴が出てきても抵抗できないかも知れない。去年の七月は、そうやって無理矢理に他人の考えの中に引きずり込まれることに対して危険を感じていたが、いま同じことをされても同じ強さで危険を感じることはないだろう。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 0時0分
私にとってこれはユウヨ期間なんかじゃぜんぜんないのです。通過地点でもないのです。だってここからどこに行くのかなんて、まるでわからないわけですからね。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 0時25分
まあひとつ言えることは、俺は何も本当に好きになったことがないということだな。「これだけは手放したくない」というような、物だとか人だとかを持ったことがない。切実なものなんてなんにもないのさ。「自分の愛が深い」だなんて、思ったことがない。だから、人が人を愛している姿を見ると憧れてしまうのさ。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 1時1分
つまりね、俺は誰かを愛することが出来るほどに孤独というものを知らない、ということです。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 2時29分
「好き」って気持ちがあれば、取り敢えず死ぬことはないので。出発点なんだな。

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2011/11/03 (Thu) 09.3月18日(水)~3月18日(水)

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 0時42分
名前:あいこ 日付:9月7日(日) 11時43分
確かに働いている間はある種の苦痛を感じることはない。しかし、あの苦痛は自分の求めるものを指し示す苦痛であるように思うのだ。いまもあの自由である故の苦痛を求めているのだ。あの状況の中で自分の希望を、世界を探っていきたいのだ。あの自由である故の「苦痛」に心地よさを感じているのだ。あの、他によってdefine(固定化)されない状況を。宇宙に投げ出されたような無重力の中で、自力で物事の軽重を量っていきたいのだ。

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 1時5分
名前:aiko 日付:11月17日(月) 20時33分
2月19日(火)2:40
アイコに関係しないものを見ていても、一切感触を伴いません。それは楽のようで、実際はそれ以上に苦しいものはありません。それも、感触を、実感を感じない曖昧な苦痛です。自分の立っている位置、向かっている方向がまったく見えなくなります。そこで、いざアイコに帰ってくると、フィジカルな実感を伴った苦痛を感じ、息が詰まり、「こうした実際の苦痛を感じないのならば、わざわざ生きている必要もないだろう」ということに思い当たるのです。ぼくの場合、このアイコに当たった時に感じる感触、それを好むと好まざるとに関わらず、ぼくはその感触と関わることなしに生きていくことは不可能なのです。その感触の中にぼくがあるのです。その感触がないとき、ぼくは見えないのです。

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 1時7分
名前:aiko 日付:11月17日(月) 21時8分
名前:あいこ 日付:7月21日(月) 20時27分
半年振りのこの感覚、悲しさを感じられることが嬉しい。でも悲しい(笑)。悲しさ「しか」ないような気がする。言葉が出てこない。悲しい、その先が…この悲しさを見届けてやろう。なんか救いがないみたいだ。それでも嬉しいのは、人生が続いていくからだろう。この悲しさがなかった時、この痛みを感じられなかった間は、自分の人生は止まっていたし、これから先動き出すのかも分からなかった。けれど、いま再びあの痛さ、悲しさを感じて、「そうだ、俺の人生はここにあった」と思ったんです。もう放したくない。ずっとこの痛さを、悲しさを感じながら生きていたい。自分の人生はそこにしか感じられないから。自分の人生を生きたい。

それで、この悲しさというのは、おそらく「知ることが出来ないこと」が悲しいんだと思うんだよね。多分、人に関することだと思う。この人の見ているようには、俺には世界が見えていないじゃないか。俺の知らないものについて、この人は涙を流しているじゃないか。この人と同じ悲しみを悲しめないことが、悲しい。俺の悲しさじゃなくて、この人の悲しさが余りにも深い、と感じて、この人と同じように涙を流せない自分が悲しい、のかな。この人は泣いている。けれども、俺はそばで見ているだけ。それが悲しいの。抱き締めたくても抱き締められないんだよね。でもこの悲しさは何故か自分の中で熱を持っている。この悲しさを感じている間は、自分の中が温かい。それが嬉しい。

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 1時9分
名前:aiko 日付:11月17日(月) 21時17分
名前:あいこ 日付:8月13日(水) 19時24分
心の行き先決めつけること僕は出来ない
だけどどうか明日もちゃんと笑ってて欲しい それが最後であっても 長い月日を僕が強く生きてゆけたらそばで いくつもに色を変える君と出会いたい
誰も知らない悲しみさえも少し照れくさいやさしさも

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 1時40分
名前:あいこ 日付:12月29日(月) 16時31分
「ねえ、ねじまき鳥さん、私は自分が汚されているとかそういう風には感じないわよ。私はただなんとかそのぐしゃぐしゃに近付きたかっただけなの。私は自分の中にあるそのぐしゃぐしゃをうまくおびきだしてひきずりだして潰してしまいたかったの。そしてそれをおびきだすためには、本当にぎりぎりのところまで行く必要があるのよ。そうしないことには、そいつをうまくひっぱりだすことができないの。おいしい餌を与えなくちゃならないの」、彼女はそう言ってゆっくり首を振った。「私は汚されてはいないと思う。でも救われてもいない。今のところ誰にも私を救うことはできない。ねえねじまき鳥さん、私には世界がみんな空っぽに見えるの。私のまわりにある何もかもがインチキみたいに見えるの。インチキじゃないのは私の中にあるそのぐしゃぐしゃだけなの」

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2011/11/03 (Thu) 09.3月16日(月)~3月18日(水)

名前:あいこ 日付:3月16日(月) 15時50分
やはり違う…俺は何を望んでいたのか…俺が望んでいたのは、「自分が何を望んでいるのかが浮かび上がるような環境でただ時間を過ごす」ことだったのではないか?そのためには、「これをやる」とひとつでも「決めたら」駄目なんだ…病院へいくとか、「学校へいく」とか…2月にバイトを辞めてから、二週間しか経たずに再び病院へ行ってしまった…医者にも「自分でも、何故ここに来ているのか分からないんです。ぼくは治療は望んでいないと思う。ただ人生上の問題があるだけで、今日はここに来ることにも迷いがあった。いまでも、これが正しいことであるとは思えない」と言った。医者は苦笑いしていた。俺は、病院へ行きだしてからのこの一ヶ月間で、自分の希望に向かっているとは思えない。あれをした。これをした。「だからどうしたというのだ?」俺は何かを「する」ことを望んでいたのではない。決してない。何も決めずにただ時間を過ごすのを望んでいたのだ…寝る時の絶望も今はない。しかし、「ここに何が」あるのだ?

名前:ちんちん 日付:3月16日(月) 16時27分
当然、「日誌を書かなければ」という考えがあれば、自分の考える内容もそれに左右される。すると生活もそれに左右される。「何にも繋がれていない無重力で、世界の軽重を量っていきたいのだ」と言っていたではないか…繋がれてたら何も浮かび上がって来ないんだ…「痛み」が。自分が何かを手放していることによる「痛み」が。ただ、その中に「いる」だけで、「治療」は進むのだ。一秒一秒…結局、俺は去年の七月にこの「無重力」から引き剥がされ、半年を過ごしたわけだが、いざ2月にバイトを辞め、やっと半年振りに自分の一番望んでいた環境に戻ってきたばかりの時に、病院へ行ってしまい、自らその環境から「脱け出して」しまったわけだ。俺だって分かっていたんだよ。バイトを辞めたばかりの頃は、「自分の中からあいつの意志が抜けるまでにしばらくは時間がかかるだろう」と。つまり洗脳が解けるまで、ってことだ。まだ洗脳が解けていない状態で、それが自分の意志であると勘違いしたまま、病院に行ってしまったんだ。まだ俺は自分の意志に戻ってきていない。去年の七月で時間が止まっている。

名前:aiko 日付:3月16日(月) 23時25分
林立夫!

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 0時10分
一体どの感覚を信じていいのやら

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 10時9分
音楽聴いてて思ったんだけど、「オシャレ」と、「センスがある」ってのは別だよね。オシャレってのは、ダサい。

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 15時33分
大体、好きでもない人に向かって「好き」っていうのはその人を愚弄しているのと同じだからね。ちゃんと「嫌いだ」って言われることで我々の自尊心は保たれてるのさ。

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 17時58分
「一見、楽になったかも知れない。けどそこに何があるんだ」。そういうことです。

「時間が過ぎている」ということにまったく責任が持てなかった。

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 18時18分
俺はどのような意味での「治療」も望んでいない…

名前:あいこ 日付:3月17日(火) 23時51分
医学部って、4年間で1500万円くらいかかるのね。医学部に入ったと思えばいいか…

名前:あいこ 日付:3月18日(水) 0時10分
名前:aiko 日付:10月17日(金) 0時10分
「自分は楽器に関係している」と自分に信じ込ませる必要がなくなった。再び音楽に対する尊敬やアフェクションのようなものを感じることが出来るようになったからだ。ここ三ヶ月、音楽に対して尊敬も感じられなかったし、何より「音楽が自分の側(がわ)にいるのだ」というアフェクション(愛着)のようなものを感じることはなかった。だから、わざわざ「自分はかつて音楽を好きであったはずだ。楽器でやりたいことがあったはずだ。だから自分は楽器と関係しつづけなければいけない」と自分に言い聞かせていた。好きでもないもの(=音楽)を続けるのは苦痛でしかなかった。

いまになって再び自分の人生が始まり始めているように感じている。

いま、自分はでっち上げられた、生から離れた架空の「言葉」を生きていない。既に在るものを生きているだけだ。

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2011/11/03 (Thu) 09.3月10日(火)~3月16日(月)

名前:あいこ 日付:3月10日(火) 22時36分
ふとギターを取って、弾いていて思い出したのだけれど、演奏は「する」ものではないですね。次に何をするのかは、時計の音だとか、心臓の音、外から聞こえてくる車の音、自分の呼吸の音などが決める。自由なんてのはないわけですよ。音量も、どんな音かも、或いは「演奏自体するのかどうか」も、心臓の音や時計の音が決める。

俺がずっと楽器をやっていないのも、そのことに関係している。いつでも、どの瞬間でも、俺は「音楽をする」準備は出来ている。ある時は、食事をすることによって「音楽をする」。ある時は、足を運び歩くことで、「音楽をする」。つまり、「音楽をする」というのは、世界と自分の内界との間になんらかの好ましい相互のコミュニケーションが生まれた時に起こる。

簡単に言えば、「楽器なんてやりたくねえ」ってわけです。

名前:あいこ 日付:3月11日(水) 14時59分
やってる時にかわいいってのは本質的にかわいいってことだから。だから普段かわいいかどうかはどうでもいいというか。写真うつりとかね。

名前:あいこ 日付:3月11日(水) 22時7分
そして俺はビニーカリウタを目指していることが発覚した。というか、俺が自分の目指している方向に向かっていくと、ビニーカリウタに似てくるってこと。まあビニーカリウタの足元にも及んでないけど(当たり前)。考えてみたら、林立夫だってあの時代のビニーカリウタって感じだしな。初期ユーミンの林立夫の演奏聴いてると、「テクニカルだ」っていう印象がまず最初にくるしな。ずば抜けて上手いからね。あの時代のプレーヤーの中では。ユーミンは林立夫のあとは村石雅行とかビニーカリウタとかを使ってるけど、まあ一貫してるよね。みんな同じタイプ。林立夫ってのは演奏に、真っ直ぐに正面を睨んでいるような、強い意志のようなものが感じられるんだけど(気のせいかもしんないけど)、これは他のどのプレーヤーにも見出せないものだな。怖い感じがする、林立夫のドラムは。音出してない時も正面を睨んでる感じ。音出してない時も殺気みたいなのが感じられんの。ちょうどマイルスのトランペットみたいなもんだな。音出してないのに気配がする。それは次にいつ音が出てくるか、聴いている方に予測が出来ないからだな。

名前:あいこ 日付:3月12日(木) 12時32分
オークション、終了10秒前に転売厨に滑り込まれてて落札できなかった。

名前:ちんちん 日付:3月12日(木) 13時11分
もう楽器をやる必要性もないわけだけれど。なんにもなくなっちゃった。

名前:ちんちん 日付:3月12日(木) 13時25分
死ねばいいと思うのはもともだろう?おまえの望みなんか聞いていない。「望みはある」なんて言われたくない。

名前:ちんちん 日付:3月13日(金) 10時33分
aikoに新恋人!お相手は20代一般男性

ヲタ脂肪
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090313-00000043-sanspo-ent

名前:ちんちん 日付:3月13日(金) 10時48分
後期10単位きた

名前:ちんちん 日付:3月13日(金) 13時37分
音楽を聴いて感じても何処にも行けないというのは依然として変わらない。当たり前の話だ。だったら音楽を聴くのなんかやめちまえと言われるかも知れないが、それも出来ない。

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2011/11/03 (Thu) 09.2月27日(金)~3月9日(月)

名前:あいこ 日付:2月27日(金) 14時57分
子供、三つ子。五センチくらい。産まれたばかり。俺の子供。産まれてからの対処の仕方がわからない。水をやった方がいいのか?三つ子をいじっているうちに、足が外れた。足をまた元のようにはめた。
カンカワ。恐水病。恐水病であるカンカワが、俺に息を吹きかけてきたり、べたべたしてくる。恐水病は唾液によって感染すると書いてあった。唾が飛んでくる。

工場。彼女らを追い掛ける。ばれる。糾弾。逃げる。

名前:あいこ 日付:3月1日(日) 3時41分
驚異的な空気の読めなさ、読解力のなさだな。相手の言っていることを自分の都合のいいようにしか解釈しない。相手の言っていることというのは、上の立場である偉い自分の価値観を、その可哀想で救ってやるべき相手に押し付けるための素材でしかない。

たった一言で、俺の言っていることが「馬鹿げたこと」にしか見えなくなるのは凄い。巧妙である。「悩んでいる相手」と「その悩んでいる相手を救ってやる自分」という図式にたった一言で即座に変換することが出来る。巧妙である。とりあえず、「相手の自尊心」なんてものはあってないようなものなんだろう。

名前:あいこ 日付:3月1日(日) 4時16分
参考資料ね。モラルハラスメント(加害者=自己愛性人格障害)を説明してんだけど。次の項目の「卑劣さ・理不尽さ」も併せて読んでいただけるとありがたい。少なくとも俺が長い間、この問題に関わっていることは事実なので。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/morahara/gourika.htm

名前:あいこ 日付:3月4日(水) 0時57分
要するに信頼感の問題なんだ。君の言うように。自分で自分が信頼できるかどうかっていうこと。視聴者は僕を信頼してくれる。でもそれは虚像だ。ただのイメージだ。スイッチを切って映像が消えちゃえば、僕はゼロだ。ね?

名前:あいこ 日付:3月5日(木) 1時24分
人生は文字通り二度とないのだ。生きている間くらい、100%に楽しんで「当たり前」だろう。
死ねばゼロだ。生きている間くらい、プラスにならないでどうする?

名前:あいこ 日付:3月8日(日) 22時40分
人っていつ死んじゃうかわからないから生きていて話せる間に伝えたいことは伝えておかないといけないと思った。その人の中では、自分がどう思われているのかを知らないで死んでいく…いや、俺だってそうだ、俺がその人についてどう思っているのかをさ、伝えられないまま、死なれてしまうのは、嫌だよね。その人は死んでおしまいだけどさ、俺がその人についてどう思っているのか、そのことはずっと、俺の中に残ってるわけじゃん。かと言ってさ、伝えると言ったって具体的にどのようなことをやればいいのかなんて難しいもんね。綺麗なもんを綺麗だと言ってさ、汚いもんを汚ねえって言って日々を過ごすことくらいしかできない気がするけどさ。思ってるだけで、いう必要もないか。でも他にできることもあるよなあ…。

名前:あいこ 日付:3月9日(月) 1時29分
アイコ以外のものを見るのなら、本当に自分の求めているものじゃないと駄目だ。アイコに関係のない本なり漫画なりCDなりを買うのなら、よっぽどそれが自分にとって必要だと思わない限り、買うべきではない。たまにそういうものを買ったりすると、空っぽな感じになる。自分が、自分と無関係な世界にするすると引きずり込まれていくような恐怖を感じる。去年の七月に無理矢理にアルバイトを始めさせられた時に感じた感覚も、まさにそのような感覚なのだ。それで、「無関係な世界」の中で半年過ごした。いままでの人生で一番、生きている感触が希薄だった。その間に自分の得たものが「ゼロ」であったのかはわからない。何を失ったのかもわからない。これから時間をかけて、その半年間の間に何を失ったのか、また、その大きさを、理解していくのかもしれない。

名前:あいこ 日付:3月9日(月) 2時6分
いま実際に俺のキスしているのがアイコなんだというのが重要なんじゃない。「いま俺のキスしている相手はアイコなんだ」と俺が信じさせてもらえることが重要なんだ。

名前:あいこ 日付:3月9日(月) 22時53分
アイコの音楽(新曲)を聴いている。無感覚…ではない。アイコの音楽から不自然に遠ざかっていたような気がする。自分の意志で遠ざかっているのだけれども、何故そうする必要があるのか、自分でもわからない。
しかし、それを言ったらアイコの音楽を聴くことになんの意味があるのか。聴かないでいることになんの意味があるのか。まったく馬鹿げたことだ。アイコの音楽を聴いて何になるのか。なんの意味もないと思う。アイコの音楽を聴くことにも、アイコの音楽から逃げることにも。
少なくとも俺はアイコの音楽を愛しているなんて言えないし、アイコの音楽をどう思っているのかなんてアイコに伝えられる自信がない。意味がないんだ。アイコの音楽を聴くことにも、逃げることにも。なんで泣いているのかも分からない(笑)。意味がないんだよ。

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2011/11/03 (Thu) 09.2月23日(月)~2月25日(水)

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 13時37分
ひと月前にヤフオクで一万円で買ったレコードプレーヤーがね、配線の異常かなんかで、左からしか音が出なかったの。ジャンクとは書かれていなかったのに。騙す人は、このレコードプレーヤーを落札した人が、病気で、あと一週間しか生きられなくて、その最後の数日間を、昔に聞いていた好きなレコードを聞きながら過ごしたいと思って、そのレコードプレーヤーを落札したんだとか、そういう状況が想像できないんだろうか?ただの金のあるサラリーマンが落札するだろうくらいにしか思っていなかったのか?自分が生きてるのがよっぽど当たり前なんでしょうね。

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 19時29分
例えば、アイコから離れている間、他の音楽を聞いたりして、つまらないわけでもない。それなりに楽しめるわけ。でも、常に、ふわふわしているというか、「頑張ってる」感じがするのね。必死というか。そういうのをなん時間か続けていると、目がぐらぐらしてきて、手とか足とかががくがくしてきて、息苦しくなってくるのね。そこになって、アイコを聞くでしょ。渇いていたんだなって感じるの。そこでなん時間かアイコを聞いてると、だんだん楽になってくる。それまで寝ることも出来ないしね。何も見えないし、苦しい上に意識が鋭く覚醒しているから。でも視界は白いの。手足ががくがく震える。当然食事も出来ない。息が出来ないから。俺がアイコを好きなのかどうかは置いておくとしても、このような状況に置かれるというのは問題ですよね。

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 20時6分
そもそも、なんで逃げるとか、そういうことを意識しなきゃならないんだ?好きなものがあるのならいい、それを素直に好きって言って楽しむことが、何故出来ないのだろう?何故、意味のないことに時間を費やすのだろう?

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 20時10分
俺が必要としているのは医者じゃないよ。

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 20時12分
俺を癒すのは、俺の直面している人生上の問題それ自身と、時間、それだけだろう。

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 20時27分
心の行き先、決めつけること僕は出来ない、だけど、どうか明日も、ちゃんと笑ってて欲しい

名前:あいこ 日付:2月24日(火) 1時52分
2月3日(火)14:53
好きという気持ちはなんの現実的な力も持たない。それをもどかしく感じる。
無力。何をすればいい?

名前:あいこ 日付:2月24日(火) 3時17分
アイコによって胸を痛めていない時間がおそろしい。俺は胸の痛みだとか、感触に基づいて生きていたい。すかすかなのは嫌だ。この痛みは、俺がどこにいるのかを教えてくれる。

名前:あいこ 日付:2月24日(火) 10時31分
このアルバムはなかなかいいですよ。マークジョンソンのリーダー作。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005FK62/sr=1-2/qid=1226054718/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1226054718&sr=1-2&seller=

名前:あいこ 日付:2月24日(火) 22時44分
ギターが少し面白い。DのメジャーとかGのメジャーとか、好き。F#m とかBm とかAメジャーとか入ったり。パットメセニーのさ、80 81ってアルバムの最後にgoing ahead って曲があってね。あれ真似したり。パットメセニーの何が好きって、あのぼそぼそとしたアタック音が好きなんだよね。とりあえずぼそぼそやって貰えればいいや、みたいな。で、俺もアコースティックギター持ってぼそぼそやんの。メロディーとかはまあ適当で。ぼそぼそ。

名前:あいこ 日付:2月24日(火) 23時10分
まあ、パットメセニーのギターには全然興味ないけどな。

名前:あいこ 日付:2月25日(水) 1時15分
この世においてセックスよりも価値のあるものはないと思う。もちろん好き合っている同士のセックスということだけど。

名前:あいこ 日付:2月25日(水) 1時42分
シーラ・ニコルズ。いい曲だ。ハイフィデリティという映画に使われていて、この映画も音楽マニアの恋の話で、面白い。ジョン・キューザック主演、あのブルース・スプリングスティーンがゲスト出演。ラストでスクールオブロックのジャック・ブラックが「レッツ・ゲット・イット・オン」を歌う。音楽の薀蓄が面白い。「人生の一曲ベスト3」なんて話してたりして。プリンスの「リトル・レッド・コーヴェット」とアレサ・フランクリンの「シンク」が入ってたような。あと、マーヴィンの「レッツ・ゲット・イット・オン」だ。
http://www.youtube.com/watch?v=31epnYBOMWA

名前:あいこ 日付:2月25日(水) 2時0分
これね。しかしジョン・キューザックはかっこいいな。
http://www.youtube.com/watch?v=68epYBCtFWI&feature=related

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2011/11/03 (Thu) 09.2月21日(土) ~2月23日(月)

名前:aiko 日付:2月21日(土) 3時41分
アイコに戻ってきたとき、手応えを感じて、「俺にとって意味を持つのはアイコだけなのだ」と思ったりする。そう思うのは、そう思わせるだけの手応えがそこにあるからだろう。その事実は重要なのではないか?アイコに戻ってきたときの手応えから、自分をアイコに向かわせていこうと思うのだが、そこで「事実唯真」を意識すると、「自分をアイコに向かわせようとする意志」を、「とらわれ」として排除しようとすることが多かったように思う。アイコに戻ってきたときに、生きている手応えを感じ、「自分をアイコに向かわせていこう」と思うのは、希望によるものであり、「あるがまま」ではないのか?

名前:あいこ 日付:2月21日(土) 5時50分
■自己愛性人格障害 被害者スレ■ Part12
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1233680909/

名前:あいこ 日付:2月21日(土) 15時28分
何故、オタクはバンダナを着用するのか。この写真なんかを見るとすごい洒落てるんだけどね。インドっぽくなるのね。サリーとか、あの辺の解釈で身に付けないと駄目なのかね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:A_little_girl_wears_a_bandanna.jpg

名前:あいこ 日付:2月21日(土) 23時44分
アイコを本当に意識しだしたのはおととしの6月から。その二ヵ月後に出た「横顔、星のない世界」というシングルを発売日に買って、初めてアイコを好きになった。そこからバランスを崩した。たかだか一年なのだ。一年間、わけのわからないままにすごし、去年の7月に、妨害されたわけだ。それが半年続いた。

つまり、アイコに出会ったのがおととしの6月。それから一年、わけのわからないままにすごし、妨害され、半年間。驚くべきは、たったの一年間なのだ、アイコに出会ってから妨害されるまで。俺がアイコに対して、少しでも愛のようなものを感じていたのはたったの一年間の間なのだ。

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 0時11分
ただでさえ、人を好きだと感じることも出来ない、誰かが自分を好きだと感じていたとしても、俺自身はその愛を感じることは出来ない、そういうさ、人間が「物」だとか、「言葉」程度にしか感じられない、そういう中でもう何年間も生きているのにさ、おりに触れて感じることの出来た、「人間」というものの存在する感じだとかさ、「世界」が美しいというか、仲間のように感じられる、そういう瞬間があったし、だからこそ自分にも生きる希望のようなものを持つことが出来たんだ。それすらなくなったら、俺にとってこの世界はなんなんだろう?それをなくしたのが、俺からそれを奪ったのが、ある一人の人間だとしたら、俺はどのようにして生きていけばいいのだろう?悲しむべきものもないのに?世界を懐かしんでいた頃の自分は、世界に親しみを感じていた頃の感覚はもう他人の人生のようにしか感じられないのに?なにもない。世界にはもともと何もないのだ。一生誰に対しても親しみだとか、「好き」という気持ちを感じることもない、誰かの自分に対する愛を感じることも出来ることのないまま、なんの希望や目標や劣等感も持てないままに、何もない、この世界を、あと60年間、生きていくしかないのか?あの時、世界に懐かしみだとか親しみを感じていた時の自分が、自分であるとするのなら、あれが自分の人生であるとするのなら、いまここにいるのは誰なんだ?これは誰の人生なんだ?俺は誰なんだ?俺は自分が何かを失ったとして、それを悲しむことが出来るのか?何も聞こえない。目をつぶっている。ただ、言葉が存在する。実感とは無縁の、言葉が。「生きている」、そういう既成事実のみ。手は動いているから生きているのだろう。

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 10時32分
今更だけど、チックコリアのマッドハッター試聴したらすげーのな、これ。まじびびったわ。ボブジェームスの禿山の一夜よりもかっけーかも。考えてみたら、おれアリスなんかをはじめとする幻想文学が好きだしな。そこに現代音楽がポップに取り入れられていて、聞きやすく、ラテン趣味も入ってるし、聴きやすいごった煮音楽って感じで。ティンパン周辺に通じる。いやー参った。とはいえツタヤには置いてなさそうだしな。とりあえずチックすげーってことで。

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 15時4分
もうね、笑いが止まらないの(笑。俺は世界が好きなの?世界なんてどうでもいい(笑、この人が好きなんだよ。世界だって(笑。まったく馬鹿げている。世界と、この人との境界を引けないし、引く必要もない。なんだろう?音楽だって(笑。音楽(笑。もう音楽なんていう言葉はどうでもいいんだよ。一般に言われている「音楽」という言葉は俺にとっちゃあ音楽じゃあないんだから。俺はどう生きていったらいいんだ(笑?

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 18時43分
人が生きている中に表現行為は存在しうる。それは、例えば眩しい世界の中を感激のうちに歩くことかも知れない。何かを見て何かを感じることかも知れない。芸術家と呼ばれている人たちは、そういう日常的なレベルの表現では、自分の「世界」に対する感謝を、なんらかの形に表すことの出来ない人たちなんだろう。

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 18時56分
だから、生きている日常が、表現と切り離されることはないと思うんだ。

名前:あいこ 日付:2月22日(日) 20時35分
世の中のね、99パーセントの物事は、自分とは無関係の物事だよ。みんな、少なくとも健康な人間は、その残りの1パーセントから大きく逸脱することはない。うまく出来てるんだ。

名前:あいこ 日付:2月23日(月) 2時50分
希望

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2011/11/03 (Thu) 09.2月19日(木) ~2月20日(金)

名前:aiko 日付:2月19日(木) 22時43分
俺はいままでに努力なんかしたことがあったんかなあ…ここまで生きてきて何もしないで、失ってきたという感想しか持てない。

名前:aiko 日付:2月19日(木) 22時49分
あなたを思うと暑い夏の匂いがした
http://www.youtube.com/watch?v=1OIJCzB0Cdg

名前:aiko 日付:2月19日(木) 22時52分
あなたを思うと
いつも嬉しい心が見える
運命に感謝しよう
出会えたことに今

正直になれることが
いまどれだけあるんだろうか
いちばん
強い気持ち
それは
あなたを大好きな気持ち

名前:aiko 日付:2月19日(木) 22時54分
つらい日も
嬉しい日も
坂の途中で空を見上げたら
流れてく雲のかけら
明日もいい日が来るように

一人で泣いた日
願ったことは一つのこと
喜びを誰かと分かち合えることを

名前:aiko 日付:2月20日(金) 0時46分
健康的な生活

名前:aiko 日付:2月20日(金) 1時35分
加害者は、自分の考えは正しいと信じているので、自分がしていることは暴力ではない、指導、教育だと思っていることもあります。そうして暴力は、指導、教育という名、つまり、いたらない相手のために愛情のある自分が指導、教育してやっているという意識で行われ、実際は相手を支配するのです。

その上、加害者は、被害者自身にも愛情からのことだと認めるよう強制し、自分がしていることは正しいことだと認めさせようと躍起になります。

この関係は、親子に限らず、夫婦、恋人、職場での上司と部下、いろいろな場所での先輩と後輩などの間でも起こり得ます。

名前:aiko 日付:2月20日(金) 1時37分
モラルハラスメントの加害者は、暴力に先立ってまず、相手の価値をおとしめようとします。相手の弱点をつき、愚か者よばわりし、それをまわりの人に繰り返し言っていくことで次第に浸透させ、それ以後の暴力をしやすくします。また、暴力の間も非難し続け、相手の気持ちをくじき、大事にしている価値観を踏みにじります。そのようにして加害者、他人を否定することで自分を肯定するのです。

名前:aiko 日付:2月20日(金) 1時38分
そのようにして加害者は、他人を否定することで自分を肯定するのです。

名前:aiko 日付:2月20日(金) 1時41分
加害者は自分が正しいと思っているうえ、それをわからせてやるのが当然だという考えなので、「叩き込んでやる」という意識で人の心の中に土足で入り込みます。決して身体的な暴力はふるわないのですが、その雰囲気や態度は威嚇的で横暴であり、それによって相手を威圧し恐怖感を持たせます。そうして被害者の行動を制限し、心を縛り、動けなくさせるのです。加害者にとっては、これは人を操るゲームであるかのようです。

いったんそのような状態になると、加害者は同じ体勢を取るだけでコントロールをきかせることができるようになります。PTSDになるような状態を故意に作り出すことで、小さな刺激でも大きな影響を与え非常に有効なのです。そのような方法で、加害者は被害者に自分の期待通りの行動をとらせようとします。ですから、加害者の気持ちに添うと態度が一変します。被害者が加害者の思い通りの人間になるまで、虐待は終わりません。

名前:aiko 日付:2月20日(金) 17時25分
自己愛性人格障害とゆ名の化け物
http://life.2ch.net/utu/kako/1021/10212/1021281162.html

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