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2011/12/31 (Sat) 09.4月23日(木)~4月24日(金)

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 23時10分
俺に関していえば、自分にとって、とても強く「好き」という気持ちを感じることの出来るものに出会えた。そのことが離人症を治療するのにも役立っていた。それは、離人症の治療のみならず、自分の人生において最も重要なものだった。そこで、自己愛性人格障害の人間に、それを好きでいることを邪魔された。離人症が悪化した。自分の人生も失われていくように感じられた。そうして一年を過した。その結果、「自分の人生は失われた」と感じるようになった。離人症の治療に役立つ、ある特定のものに対する「好き」は以前のような力を持ってはいなかった。このようにまとめることが出来るかな。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 23時24分
「俺はおまえのことが好きだ」とか言っておきながら、俺の言動の一つ一つに侮蔑的な反応を示す。「もっとこうすればよくなる」というように、上からの目線でいろいろと指示を出す。

もしも、俺のことが本当に好きなのであれば、俺のいろんな認知障害を含めて好きだということだろ。俺がもしだよ、誰かを好きになって、その人がいろいろな認知障害を経験しているとするよ。それで、俺が経験していない認知障害もその中に含まれているとしたら、俺は自分がその人と同じ認知障害を経験していないことを悲しむと思うんだけど。何故自分もそのような認知障害を経験していないのか、と悲しむと思うんだけど。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 23時33分
というのも、離人症にしたって、絶対にこれは当事者にしか理解できないもん。こういう問題はさ。ある人を理解しよう、ある人に近づきたいと思っていても、その人がある精神障害を持っています、自分は持っていません、ってなると、大きな隔たりを感じるわけ。「あそこのカレーがおいしかった」とか、そういう感情は簡単に共有できるけど、精神障害に関する苦しみはそうはいかないわけよ。違う世界なんだから。「この人とは住んでいる世界が違う」って絶望するんじゃないの。もし自分の好きな人が、自分の経験していない精神障害を経験しているとしたらさ(もちろん、「自分とまったく同じ経験をしている」人間などこの世にいるわけがない)。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 23時46分
ぼくはもしかしたら苦しいんじゃないのか?

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 0時1分
まあ当然、俺だって離人症状を「病気として」捉えることに、生きていく上で肯定的な意味合いがあるとは思えないけどね。こんな離人症のスレッドなんかを見ているようじゃだめなんだよ。気休めにもならない。

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 0時22分
アイコの写真を見ると、それまでの自分の世界の認識は間違っていたのだと気付く。それで一時間後だかにまたアイコの写真を見る。自分の世界の認識は間違っていたのだと気付く。つまり、アイコを見ていない間は、俺は世界のことを誤解していたわけだ。アイコの写真に戻ってきた時に、俺の中で世界の在り方が覆される。人は、その時その時に世界を認識し、その蓄積から「世界像」を頭の中で作り上げ、常に作り変え続けているのだけど、アイコの写真に戻ってくると、その世界像がすべて間違っていたことに気づくんだな。おじゃんだよ。

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 14時30分
例えばさ、俺に飯食いに行こうとか誰か誘ってくるでしょ?それで俺はついていくわけ。でもそいつは飯自体にそんなに興味を持っているようには見えない。どうも他に目的があるらしい。俺の言動とかを観察しているように見える。つまり、俺を「治療したい」とあう目的で食事に誘ったのなら、最初からそう言って欲しいんだよね。「明日の診察は何時です」みたいに。そんなら俺は「診察は要らない」って言えるわけ。俺はそいつが俺と食事をしたいと望んでいると判断しているから行くわけ。診察したいと望んでいると分かっていれば最初から行かないよ。

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 14時48分
レコードプレーヤーを買ったので、ウィントンケリーのトリオ盤とトミフラのトリオ盤を聴いています。俺は感覚的なので、音を聴いていて気持ちいいかどうか、これが一番重要なのです。演奏の良し悪しなどはそのあと。というか、演奏の良し悪しなんてのも、音の気持ちよさ、つまり雰囲気と密接だしね。

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 16時13分
俺の人生は、もう終わっている。

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2011/12/31 (Sat) 09.4月23日(木)~4月23日(木)

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 22時11分
5年前くらいに離人症って診断されて、まだ治っていないんだけど、
いまは医者へ行っていない。現実感、生きているという実感の感じられる物事
と関わっていたい、とそのことで努力している。毎日現実感、自分の人生を
生きているという実感を感じられる物事を探している。

もう長いこと自分が現実感を感じられないのだということを意識していなかった。
というのも、現実感というものがどういうものなのかを忘れているのだろうけれども。

いや、現実感の感じられない状況から抜け出そうとしているんだな。
それならば現実感とは?俺が現実感を求めているのは、通常の人の「生きている実感を求める」
というのと、離人症の人が病気の治療を求めて現実感を求めること、この後者の方を無視して、
俺は自分自身を離人症ではない通常の人であるとして、その上で通常の人と同じように
「生きている実感」を求めていたのかもしれない。

常に「生きている実感」を求めていたことは自覚していたが、それは離人症者が治療を求めているのと
してではなかった。そのような理解が、自分の生き方にとって(離人症状の治療の方向性として)
好ましくなかったのではないか。俺は、自分について、「現実感を失っている」と意識することはもう
長いことない。というのも、「現実感の感じられる状況」というのを思い出すことが出来ないから、
それを目指そうともしないのだろう。いや違う、目指している。目指してはいるが、
ユートピアのようなもので、「現実感」というものが自分にはどのようなものか思い出せない。
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1234230037/l50

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 22時34分
「現実感がない」とも感じられない。慣れてしまったのだろうけど。
3時間前にしたことと6時間前にしたことと昨日したこととの間に区別がつかなかったり。
記憶がぐしゃぐしゃ。「人生」っていったって言葉にしか感じられないし、
あるのはその時々の「景色」だけだね。それでだいたい忘れる。
「記憶」という情報のメモリーカードを俺の脳内にぶっさして読み込んでいるだけなんじゃないか。
そういう感じがするね。それで、前後がよく間違っている(笑。
ところどころ抜け落ちていたり、順序が違っている。おそらく。
一週間前と一ヶ月前の区別がつかない…というのはよくあること。
(あれをしたのは)一週間前だっけ?一ヶ月前だったっけ?
と考えていたら、実は昨日でした、みたいなの。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 22時52分
107 :96:2009/02/20(金) 14:44:06 ID:tdOyhTlK
>>105
特に何の治療もしていない。人生の半分は慢性的な離人症だったと思う。
治ってきたキッカケはいくつか思い当たる。
愛しいや、激しい恋という感情を持ったこと。こういう感情は意欲に繋がる。
その感情に応えてくれた時の幸福感じゃないかと思う。一時的なものでも変化するキッカケになる。

離人症の原因は自覚のない「孤独感」だと思う。それに繋がることは言えないから、他人に解らないし助けを求められない。
もし言えても、本当に求めてる内容を言えないと思う。自覚がないから言葉にできないのもあるし、拒否や嫌そうならもっと傷つき孤独が深まる。
おかしくなってる自覚はあるから感情を置き去りにし、頭で状況を乗りきろうとして離人感が始まるのだと思う。思考と感情が分離した状態。

話が飛ぶけど、耳の指圧は離人の状気分転換に有効だと思う。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 22時57分
108 :優しい名無しさん:2009/02/20(金) 17:29:16 ID:T/VM9uGt
悲しみも憎しみも置いてきた
その代わり喜びも楽しみも感じない
不幸ではないけど幸せでもない…ような気がする

109 :優しい名無しさん:2009/02/20(金) 18:53:05 ID:tdOyhTlK
>>108
それ、頭で考えた答えのような気がする。本当は悲しいことあるんじゃないの?

111 :優しい名無しさん:2009/02/20(金) 19:42:53 ID:T/VM9uGt
>>109
離人になった原因のことを考えると、当時の自分はかわいそうだなって悲しくなるが…
今の自分は、その当時とは別物だと思ってる

112 :優しい名無しさん:2009/02/20(金) 21:14:46 ID:waGkiB9p
>>111
何となく、私も同じかな?と思う。

以前の自分と、今の自分が一直線に繋がらないの。

116 :優しい名無しさん:2009/02/20(金) 23:39:38 ID:tdOyhTlK
>>111
あ~ありそうだ。
けど、自分のその頃を心から解ってくれる人がいたら癒されると思う。
思い出しても悲しいままだもんな。癒されるのは必要だと思う。
傷ついたままだろ?

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 22時59分
123 :優しい名無しさん:2009/02/21(土) 00:57:05 ID:EGCMS6Vq
何年もかけて離人を克服した人が
泣いたのは自分の感情を認識できた証拠なんだから
よいことだよって言ってくれたの思い出したよ
苦しくてもさみしくても
その感じを愛しくまで思えたらよくなるかな
わたしはうんと軽度で
隙あらばトランス感に逃げ込みたくなるだめなやつだから
書いてること無駄かも知れないけど
久しぶりの感触を味わってください
それしか言えない

124 :優しい名無しさん:2009/02/21(土) 01:03:35 ID:+gWUldwO
街を歩いても自分の目の前の景色はあるが、後ろに街が見えない感じ。
離人症は凄い病気だよ。医者でも病歴経験がないので、イマイチ伝わらない
のが悲しい。

126 :優しい名無しさん:2009/02/21(土) 01:11:58 ID:+gWUldwO
>112
時間さえも繋がらないので当然だよね。
カレンダーを見ないと何月何日かわからん。
神経症者は先を心配する、神経症の行き着く先が離人神経症だとしたら、
一日に区切られてしまう離人感って、先まで考えれないので、神がこの病気
を人間に与えた意味はあるなと考えてしまう。

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2011/12/29 (Thu) 09.4月22日(水)~4月23日(木)

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 12時8分
からっぽな心が埋まっていく

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 16時54分
俺は音楽と関係があるのかも知れない。俺は世界と関係していたいという意志を持ってはいても、自分と音楽になんらかの関係があると思ったことはない。それも、音の鳴っているところにある「音楽」に。CDなんかで聴くような、一般的な意味でいう「音楽」をわざわざ聴かなくても、世界と関わっていれば、自分の中に音楽の存在を感じるだろうし、自分はそれで十分なのだろうと思っていた。

しかし、俺がただ世界と関わろうとしていたのは、一般的な意味での「音楽」から目を背け続けるための口実でしかなかったことに気付いた。

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 17時45分
うん、そうでもない!

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 20時14分
例えば、アイコの写真を見てどきどきする。そのどきどきすることが、何を示しているのかが分からない。言語化出来ない。どきどきする。だからどうしたというのだ?息が出来なくなる。視界が白くなる。いまの自分に分かることは、アイコを見てどきどきしていること、ずっとどきどきしているしかない、ということだ。「何を示しているのか」は分からなくてもいいというか、多分ずっと分からないのだと思う。

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 23時39分
ふと思うことがあるんだけどね…俺はいま、もしかしたら自分が気付いていないだけで、とんでもない人生の窮地に立たされているんじゃないかってね。これからも人生が続いていくと考えれば、窮地かな。もうあとは死んでいくだけと思えば、あとはもう死ぬ準備だけすればいいから窮地という感じではないかな。

まあつまり、人生の目的があれば、夢とかね、窮地かも知れないけどね、目的とか、夢というか、希望みたいなものが何もない状態では、窮地って感じはしないね。

俺はいま、いまというかいまに始まったことではないけど、その日を過ごすことしか考えないで日々を過ごしてるけど、次から次へと新しいものがやって来るから、それと折り合いをつける。それしか考えていないんだけど、ふと、俺はいま、窮地なんじゃないかと。それはまあ、「一流の大学出て一流の企業に就職して云々」って人生を目指しているのだとしたら、窮地かも知れないけど。なんか、自分が「どこにいるのか」がまったくわからん。自分が何をどうしてきて、その結果どういうところにいるのかとか…いま周りに景色が見えるけど、それが過去からの流れというか脈略というか、ないんじゃないの。

「自分」っていうのも、自分が世界について、どのような認識を持ったか、その記憶の集合によって想像しているものでしかないように、「自分の人生」というのも、自分の印象に残っている記憶の集合を繋げていって想像しているものでしかないでしょ。いまの俺は、その「認識の集合」の間の脈略を上手く見出すことが出来ずにいて、そのために、毎日景色が通りすぎるのをやり過ごしているだけのように感じるのだろう。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 17時46分
音楽と呼べないようなものを聴いていると音楽がどんなものだったかを忘れてしまう。だから俺は音楽を聴かないんだけど。「音の使い方が面白い」というような音楽はいくらでもあるだろ。でもそういった面白さにはまったく興味がない。「楽しけりゃいい」とかいうけど、冗談じゃない。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 18時1分
自分の意思だと思っていて、いろいろものを買ったりする。それでそれらをそこそこ「楽しん」だりもする。しかし、すぐにそれが自分の意思ではないことに気付く。自分がそれらを買って、それらに時間を費やしているのは自分の意思によるものではなく、他人の意思によるものだと気付く。自分は疲れ果てている。自分の部屋には、さっき買ったばかりの、自分に「関係のない」、ゴミであふれている。それらを目にしているだけで、自分が自分の人生からどんどん離れていく恐怖を感じる。すぐに自分の視界に入らないところにそれらを撤去する。疲れ果てている。自分の人生に関係のない事柄に時間を費やすと、尋常ではなく疲れる。肩の緊張で首が痛み、心拍数が上がり、血管の音が耳元で聞こえる中、「自分がこうしているのはすべてあいつの意思なのだ」と思う。操られている。「これでいいのだ」というあいつの声が聞こえる。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 18時20分
俺が侵略を侵略と感じなくなっていることに問題がある。しかし、それは暗示にかけられているだけで、侵略は侵略だ。

名前:あいこ 日付:4月23日(木) 18時39分
生きていくためには、めじるしが必要だ。俺にとって、かつてめじるしはタイトで生き生きとしたものだった。いまはめじるしを失ったわけではないとは思うけれど、霧のようになって、認識しづらいものになった。自分にとって、めじるしが、形を持った、手に取れるものであって欲しいと思う。俺はいま前へ進んでいるのか?これは後ろではないのか?しかしどちらが前なのか。方向感覚がおかしい。

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2011/12/29 (Thu) 09.4月21日(火)~4月22日(水)

名前:あいこ 日付:4月21日(火) 18時6分
どう考えてもこの一年間は無駄でしかなかったんだよね。俺の場合は、「アイコが好きだ」という気持ちから出発しないと無意味だから。この一年間は、無意味だと分かっていることをわざわざやって、それが本当に無意味であること知りましたっていう、それだけだから。必要ないんだよそんなの。そういうのを逃げてるっていうんだよ。アルバイトを始めたりね。無意味なんだよ。最初から意味を持つのはアイコだけって分かりきってるんだから。例えば、「たくあんが好き」って気持ちから出発して、その気持ちに従って毎日を過ごしていれば、たくあんに近付いて行くんだよ。それを一生続けていれば、一生たくあんで終わるんだよ。俺はアイコに近付きたいの。「アイコが好きだ」っていう気持ちから出発した行動以外は何も信じられないの。俺はこの一年間、「アイコが好きだ」って感じられていた時間は殆んどなかったの。じゃあ何か好きになったのかっていうと何も好きになってないよ。「アイコが好きだ」っていう気持ちのないところから生まれた行動なんて空虚なの。時間を過ごしていただけ。

少なくとも去年の六月の時点では、「アイコを好きになりたい」っていう気持ちがあったんだけどね。「足りていない」っていう。自分の「好き」は、然るべき「好き」ではない、っていう。不自然な生活をしているから、100好きになれるところを20しか好きになれていないっていう、自分の「好き」が抑圧されているのを感じていたんだよ。だからそれを解放しなければいけないと思った。それで、アルバイトを始めさせられて、その希望は放置させられた。なんとか、「自分の意志で生きている」と僅かにでも感じられるようになってからは(一ヶ月前くらい)、もうその希望すらなくなっていた。もう「好きになりたい」とは思えなくなっていた。じゃあ何があるのか?希望はない。

希望がないのなら、毎日をどのようにでも過ごせるはずだろう。いや、過ごせていたんだ。でも、その希望のない生活を続けることも不可能だと思った。生きている必要ないもの。生存している以上、生きていてもいいはずだろう?

名前:あいこ 日付:4月21日(火) 18時11分
「どのようにでも過ごせる生活」から抜け出したということは、結局「どのようにでも過ごせない」ということじゃないか。まだ希望は生きている?そうだ、この「希望がない」という現実を全力で見ていたいと思ったんだ。「希望がない」という現実すら、直視しないで誤魔化しているのは俺には耐えられなかった。

この「希望がない」という、この希望のなさとともにあり続けるしか、ここに居続けるしかないと思う。希望はないんだ。

名前:あいこ 日付:4月21日(火) 18時34分
君がぼくのやることについて、「無理だ」とか断じるのなら、君は宇宙の仕組みについて理解していないということになる。何故なら、君はぼくが普段どのようなものを見て、どのように感じながら生きているのか、或いはぼくが今までにどのようにして生きてきたのかを、何も知らないからだ。何も知らないのだから、どのようにも断じることは出来ないはずだ。

だから、俺は誰とも話すことを好まない。

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 1時1分
「目に光がある」とかないとか、あれってどういうシステムになっているんだろう。生気がある場合、目に光があるんでしょう。でも、生気と目に光が反射することの直接的な繋がりが見出せない。俺は多分、ずっと目に光のないままだな。死んだ目ってやつ。

俺なんか、鏡を見ても、濁った目というのか判らないけど、ずっとガラスの作り物みたいな目に見えるもんな。ガラスみたい。目は心の鏡だとかよく言うけど、俺の心はガラスの作り物ってわけか(笑。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9B%AE+%E5%85%89+%E7%94%9F%E6%B0%97&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 3時4分
「どうして彼を愛しているかというと、ヒースクリフがわたし以上にわたしだからよ」
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」

名前:あいこ 日付:4月22日(水) 3時25分
俺はこんな感じの顔をした女と結婚するのだろうと、小学校から中学校あたりまでは思っていたよ。いまでもかわいいというか惹かれる部分はあるけど、なんかこの人の顔を見ていると、昔の俺を見ているような気分になる。まあでも…普通だよね。俺が恋愛というものにそれほど関心を持っていなかったら、「無難に」こういう女と本当に付き合うようになっていたかも知れない。でも、俺はいつの間にか、人生を踏み外しちゃっているんでね。既に無難な人生ではなくなってきているんで。

この女の顔を見ていても、俺の中に未だ欠けているものを、この女の中から見出すことは出来ない。人を好きになるということは、「自分自身よりも、既に自分以上に完全に自分である誰か」に出会うということではないか。つまり、「彼女は、本来あるべき俺の姿だ」と。「彼女は、俺よりも俺らしい」と。
http://hoshino-mai.justidols.com/

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2011/12/18 (Sun) 09.4月16日(木)~4月21日(火)

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 15時19分
でも「辛い」っていうのはどういうことだったっけな?俺はいままでに辛い経験をしたことは一度もないような気がするな。いま辛いのかとか聞かれても分からないな。失って苦しくなるようなものなんて何もないしな。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 20時8分
自分の人生を生きることって悪いことなの?

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 20時26分
あー、生きてるって感じがするなあーーーー

名前:あいこ 日付:4月17日(金) 10時50分
阿部薫。最後まで聴いてみるといいカモ。
http://www.youtube.com/watch?v=cxqq7TAl_ys

名前:あいこ 日付:4月17日(金) 12時35分
生命が解放されるためには生命が抑圧されている必要があった?

笑うことは痙攣的であり、泣くことにとてもよく似ており、悲しみに溢れたものであり、生命の直接的な表現である。

名前:あいこ 日付:4月17日(金) 17時39分
「傷付く」ってどういうこと?「ことあるごとにそれを思い出し、それによって不快や怒りや自己嫌悪を覚えるような記憶に残るようなことをされる」とか、そういうことかな?傷というのは分からないが、「汚れ」というのなら分かる。

名前:あいこ 日付:4月17日(金) 23時25分
演奏の何が面白いかというと、俺は演奏はアウトプットではないと思っているのね。つまり、恣意性と恣意性を超えたものとの間を探っていって、何が出てくるのかというのをリアルタイムで、知ることが出来る。その恣意性を超えたものが、自分とは独立した生命のように見えてくれば、面白くなってくる。演奏というのは、表出というよりも、表出を通した、知的理解に近い。何故演奏するのかというと、ただ単純にその行為を求めているからというのと他に、「知りたいから」というのがある。

名前:あいこ 日付:4月18日(土) 1時15分
精子の匂いをかぐと、「アイコの匂いだ」と感じる。
http://www.youtube.com/watch?v=Jdir6BdTZlI&feature=PlayList&p=B08ADCA4499DAFF9&playnext=1&playnext_from=PL&index=3

名前:あいこ 日付:4月18日(土) 22時35分
アイスクリームのことを思い出し、胸が締め付けられた。
何故、俺はアイスクリームを買うことすら、叶わない夢のように、
遠くに感じているのだろう?

そのような、当たり前の生活を営めていないこと、そのような当たり前の生活を営むことには資格がいるのだろうか。

こういう小さい事実に直面するたびに、「おまえは世界に参加することは許されていないのだ。アイスクリームを買って、食べて楽しむことも出来ないような人間を誰も好きになったりはしないんだよ」と言われているような気になる。

名前:あいこ 日付:4月19日(日) 2時29分
「ぎりぎりのところで生きている」というのはどういうことか。生きるか死ぬかという問題が切迫していること?俺なんか、そういう状況は経験したことないしな。経験がないんだもの。人を愛してさ、その愛に関わることで、自分が死ぬことが現実的になってくるところまで追い詰められたことがない、というかそこまで人を愛したことはないし、何よりも人と接触していないからね。

俺には「経験」がない。イマジナリーな経験しかない。これは「生きていない」と同じことでは?

つまり、生きてもいないし死んでもいない。俺は何も手にしていないし、何も失ってはいない…俺は何をしてきたんだろう。

名前:あいこ 日付:4月20日(月) 17時9分
二月だったかに辞めたセブンイレブンの近くまで自転車で通った。そのまま、セブンイレブンに入って行って、「おはようございます」と挨拶をして奥まで入って行くことに抵抗を感じないようだった。セブンイレブンで働いていたのを昨日のことのように感じる。

名前:あいこ 日付:4月20日(月) 21時47分
私は精神を病んでいて、薬を服用していますが、それは「中途半端」でしょうか。
悩んだ末に追いつめられて犯罪に走る人々が後を絶たない現状を「それも仕方ない」と言えるでしょうか。
ある歌手の歌に「きっと本当の悲しみなんて自分一人で癒すものさ」というものがあります。それは本書のテーマに共通しているものがあると思います。それは確かに一面の真実ではありますが、同時にそれを言ってしまっては「おしまい」のような気がします。
この本に正解など求めてはいませんが、何が正しいのか誰も分からない現代、「正解など無い」と結論付ける本書の結論すらもどこかうさんくささを感じます。
本書に書かれている事は決して間違ってはいませんが、諸手を上げて賞賛するのも何か違うと思いますので、問題提起として☆一つにさせていただきます。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4087204448/ref=cm_cr_dp_hist_1?ie=UTF8&showViewpoints=0&filterBy=addOneStar

名前:あいこ 日付:4月21日(火) 2時13分
ロイヘインズは最高だ。嘘だらけ。八分音符叩いてる振りして叩いてない。シンバル叩いてる振りして実はこれはシンバルじゃないんだよ、みたいな。音出してるけどこれは演奏じゃないんだよ…って感じ。クリエイティブ。アンドリューヒルのブラックファイアね。

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2011/12/18 (Sun) 09.4月15日(水)~4月16日(木)

名前:あいこ 日付:4月15日(水) 0時15分
アイコとセックスしたい。精神的な繋がりというか、暖かさというか赦しというかが欲しい。
けど、音楽を聴くことは限りなくセックスに近いんじゃないかと感じることがある。いや、少なくとも音楽によって為しうる解放を伴わないセックスに価値はないと思うけど。音楽を聴くことは双方向になりうるが(両者が溶けあう)、オナニーは双方向にはなりえない。

俺がこの世界に於いて最も価値を見出しているのは、音楽と、セックスである。

名前:あいこ 日付:4月15日(水) 22時18分
久し振りにスタジオに一人で入った。録音を聴くと、聴けるんだこれが。というのも、「どこかに行こう」としたら駄目なんだな。「いまこの瞬間」が問題なのであってね。生きてりゃいいの。「いま自分は下手だから」とか、「だから上手くなろう」とか、違うの。いま、音出したい?うーん、どーなんだろ、チンチン、面白くねーな、床にゴロン。花粉すげー、便所行って鼻かんでこよーっと。じーんじーん。はー、さてと、んー、なんだこの楽器。いま何時?40分か。10分経った。はー緊張するなー、なんだこの楽器。しゃーんしゃーん。あんま楽器って気分じゃねーんだよな、椅子に座ってりゃいいや。時計を眺めていよう。んー。でも個人練習一時間取ったからな。折角だから。

そんな調子で、てっきとうに楽器をぶん殴ったりけとばしたりしたのを録音しっぱなしにしといた。録音を聴くと、「練習」してたのよりはるかに聴けるんだわ。その時、自分が何を考えて、何を感じていたのかが分かる。「あー、叩きたくねーんだな」ってのが分かる(笑)。黙っちゃってんの。でも金がもったいないからか、取りあえず一発タムをロールかましてみて、次に繋がるかどうか試していたりね。でも、クリック鳴らしてからの方がやりやすくなったかな。クリックに罵声を浴びせまくった。「なんでおまえはそーなんだ、この野郎」って、ハイハットをだしーだしーやりまくって、それでもクリックは相変わらず、カッチカッチ言ってやがるから、しょーがねーなー、どんどん。ちょっと俺も機嫌を直したの。録音聴いてると、全体的に困ってるのがよく伝わってくる(笑)。でも結果的に、いままでの自分の演奏の中で一番いい演奏、かつ上手い演奏が取れた、と思ってる。生きてるだけでいいじゃん。生きてるんだから。

名前:あいこ 日付:4月15日(水) 22時47分
ドラムマガジンを久し振りに眺めてみたら、おそろしく空虚な気持ちになった。「ドラム道場」やらなんやら、楽譜がたくさん並んでてね。俺は音すらもどうでもいいって思ってる部分が大きいから。うんざりした。音なんか出したって出さなくたって同じだっつーか。上手くなりたいっていう気持ちは俺には微塵もない。下手じゃないし。誰だってそうだけど、「上手くなりたい」ってのは妄想だろ。「上手い演奏」ってのが存在すると仮定するから、みんなつまらない演奏になるんだろ。その時に望んでることをやってりゃいいんだよ。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 1時34分
上手くなりたいとは思わないというのは、単純に楽器への興味がなくなってるだけだろうな。楽器に興味が持てている時は、音楽聴いてても佐野康夫かっけーとか思うし、研究したいって思うし、自分の演奏の駄目さに苛々するし。いまは楽器に興味が持てていないんだよな…一時的なものかな…いろいろあったしな…どんな時に楽器に興味を持っていたっけな…切実な危機感もない。かと言ってなんの問題もないのかと聞かれても「ない」って答えそうなんだよな…

あー、一月の録音聴いたら今日のくそ録音よりも全然生き生きしてんじゃねーか。今日のは無理してる感全開だけど。楽しくなさそーなのね。結局誤魔化してんだよ。

問題すら見えてない、変に中立的になってる。今日だけかな…いま風邪引いてるし。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 1時45分
いろんなものを手放すのが怖くなくなってる。学校なんかも、行かなくなるのに抵抗がない。必死さがない。直感として「やばい」というのを感じない。学校行ってた時に「学校へ行ってるとやばい」と直感的に感じたな(気力を吸い取られるかのような、充実感とは真逆の感じと、「こんなことをしている場合じゃない」というような、逃げているような落ちつかなさを感じた)。そのあとも、その直感も無理矢理に押さえ付けようとしたから(「学校へは行かないと駄目だ」と自分に言い聞かせた)、直感が弱っているのかな。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 10時49分
電車の中でアイコにそっくりな40代後半の女の人を見た。アイコのお母さんが東京に出てきてるのかな?

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 12時7分
「自分が何をしたいのか」なんて、考えたって分かるもんじゃない。そういうことを考えなければならないほどに自分が何を求めているのかが覆い隠されている「状況」そのものが問題なのだから、その「状況」から抜け出さなければしょうがない。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 12時11分
これは去年の六月に考えていたことだ。ちょうど一年を無駄にしただけってわけだ。他の人間の一時の医者気取りの自己満足に付き合わされたためにね。

名前:あいこ 日付:4月16日(木) 13時9分
電車、40~50代の男、白髪混じりの黒髪、ぼわっとした肩までのろん毛、髭面、ジャージにスエット、リュック姿、目つきが生き生きとしていて、身体全体から生気を発している。土に接触しているのをはっきりと感じる。コンクリートに立っているようには見えない。顔付きが若い。電車には慣れていないように見える。一見して、アーティスト。いるんだな、こういう人が。こういう人と関わっていられたら楽しいだろうな、と思った。アーティスト。生気のない人間に囲まれていると自分もそっちに引きずられる。生気のある人間は話さなくても雰囲気で分かる。純粋な好奇心や直感が生きている人。かと思ったら、電車の連結部に入って行って電話し始めた。自然だ。たかが電車なのにね。みんな誰かに言われた通りにやってるわけ。「この道を通りなさい」ってね。それでみんな機械みたいにそれに従ってるってわけ。こういう人を久し振りに見て、自分がいかにこの「機械化」に毒されているかに気付いた。「ここを通りなさい」という指示に無意識に従っているだけで、人間の本来持っている直感だとか、土に接触している感覚を失っていたのだと(しかし、この一年間、そうした「ここを通りなさい」という押し付けられた思想に対して強い抵抗を感じていたのは事実じゃないか)。みんな決められたことしかやっていない。まず「知識や教養を拡げ深めるためには、映画をたくさん見ることが大切です」というメッセージなり広告なりが流布される。それで映画を借りようってなって、家からレンタル屋まで真っ直ぐ行って借りてきて真っ直ぐ帰って来て、家で映画を見て、また帰しに行く。それで「知識や教養を得る」という「目的」を達した?或いはその目的に近付いていると理解する。機械と同じじゃないか。実在するのかも分からない思想に従って(ここでは「幅広い教養や知識を身に付ける」というやつだ。たんなるコピー、宣伝文句に過ぎない。)、自分をそれに従わせていく。それで疑問も持たずに毎日をそのように毎日同じ道を通って、「言われた通りに」歩く。

死んでいるんだったら、全力で死んでいるしかないだろう。そうすれば浮かび上がってくる。

俺はいま「何もしたくはない」。だからベンチでずっと横になっている。こうしていることが一番違和感を感じないからだ。思想に毒されている人間が多すぎる。こうした平和は簡単に邪魔をされる。

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2011/12/10 (Sat) 09.4月14日(火)~4月14日(火)

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 11時11分
自分の直感だとか、信じている通りに、感じる通りに行動することに無意識にストップがかかるようになってる。一年間そうやって過していたから染み付いたんだな。自分の直感を信じようとしたり、苦しいからやめようとか思ったり、楽しいことをしていようとか思ったりすると、すぐにあいつの声が聞こえてくる。「これでいいのだ」。「俺の言う通りにしていればいいのだ」。俺が自分の直感なりを信じようとしていることを病的なことと解釈して、嘲笑するような、あいつの言葉がすぐに頭に浮かんでくるんだよね。自分の直感を信じたりすることを押さえ付けて、現実から離れた空虚な言葉に自分を従わせていく、そういう価値観を植えつけられたわけだけど、それがまだ機能しているということなんだよな。その植えつけられた考え方の、物事の捉え方の習慣が、まだ俺の意志の中枢に位置している。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 12時25分
こうして俺はもうなんヶ月も無駄に過ごしていることに気付くわけだよ。俺を見て、俺が自分の好きなものだとか、自分がこうなりたいというような希望なり目標なりを持っていて、それに向かって努力しているとか思っていたり、誰もがそういう風に生きていて当たり前だと思っている人間がいるのかも知れないが、ふざけるなよ。確かに俺はこの人生において望んでいるものがないとは言えない。けど、この一年間には、それに関係したことは何もしていないんだ。俺が、何かを好きでいることを間違ったこととして自分で押さえ込まなければならない、とずっと他人から洗脳されていたんだからな。俺が何かに向かっていくのを阻むのではなく、俺が、何かに向かっていこうとする、その「意志そのもの」を作り替えようとされて、それが成功したわけだ。意志決定をする、人間の内部の方を攻撃すれば、わざわざ手を加え続けなくても、勝手に自滅してくれるからな。実に手の凝んだやり方だよ。リモートコントロールだ。まったく感心しないがね。まだ俺の中にあいつの意志が入り込んでいるのをありありと感じる。侵入というかね。首から胸にかけて、侵入しているのをリアルに感じる。それが俺の感じる最もリアルな感触の一つだ。寒々とする。それは、俺が、自分の好きなものに向かっていくのを、俺が何かを好きでいる、その「意志そのもの」を排除しようとしている。それは、俺の内側にある。

また、このようなことを認識出来るのは、多少なりとも洗脳から離れる方向に向かっている時だ。洗脳されている間は、洗脳が継続して機能している間は、ただ日々の行動で自分の気力を吸い取られていくだけで、抵抗するような自分の意志も機能せず、日々が過ぎていくだけだ。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 12時46分
また、そういう風に一年間を殆んど無意味に過ごしていた俺に対して、俺をそのような状態にした(俺の意志の中枢を無力化した)張本人が、「短時間睡眠法」を勧めるメールを送って来たりもするわけだよ。時間が勿体ないらしいんだよ。睡眠時間を削ってまで、一日に多くの本を読んだり映画を見る必要性を感じているらしいんだよ。そしてそれを俺に勧めてくるわけだよ。そもそも、俺には「これがしたい」というような欲望というか希望が機能しなくなっているんだよ。時間なんか増えたところでどうしようもないんだよ。睡眠時間を削って一日の時間が増えたところで無駄な時間がそれだけ増えるだけで、毎日が無意味なことには変わりがないんだよ。時間なんかじゃなく、もともと自分の中にあった、自分の希望のようなものを取り戻す以外に俺のやるべきことなんてなかったわけだよ。そこで俺は「時間が増えても、過ごし方を知らないんじゃ意味がない」と答えたら、「そんな綺麗事を言っているんじゃない。質より量だよ、量」とか言われた。「綺麗事」の一言で片付けられた上に、「質より量」とか言い切られちゃったのよ。もう何も言い返しようがないわけよ。こっちの話聞いてないというか、理解していないというか、理解しようとする意志なんて端からないわけだから(理解していると思ってるんだろうが。その上で「おまえは間違っている」ってわけだろ)。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 15時22分
俺の場合、音楽の才能だけが最後の望みというか、逃げ場だった気がするんだけどなあ。昔はあったんだよ。もうない。壊すように仕向けられた。この一年間をかけて努力して俺は人生を擦り減らして、音楽の才能も擦り減らしてきたってわけ。前から言ってるけど、俺はいろんな「当たり前」のことが欠けてるの。こんなこというの、あざといけど。それは音楽の才能で補われていたと思ってたんだけど。でももうそれもないの。ある一人の人間によって潰されたの。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 15時39分
俺が「音楽の才能」って言ってるのは、意志のことなんだけど。個人の意志を超えた意志ね。意志が生きていれば、意志は世界とコミュニケートするわけよ。頭で意志を押さえ付けている限り、人生なんてものは存在しないのよ。求められるものは求めるものであり、世界には個人を超えて、「全体」しか存在しないわけよ。「求め求められる関係」とかいうが、そもそもその二つはわかたれていないものなんだよ。求めることは同時に求められることなんだよ。何故俺がそれをするのかって、「それ」が俺にそうすることを望んでいるからだよ。意志の生きている人間と意志の生きていない人間とは交わりようがないんだよ。それぞれ違う世界に住んでいるんだから。意志が生きていれば、呼ばれあうというか、全体しか存在しないわけだよ。俺は、そういうところから引きずり出されたわけだよ、無理矢理にね。意志の生きていない人間からね。頭の言いなりになっている馬鹿からね。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 15時53分
そういう馬鹿の考えていることというのは、「日々いかに、どれだけの仕事をこなすか」、それだけなわけだよ。そして、その「仕事」の選択の基準になっているものは、「周りからどう思われるか」、「これを手にすれば評価されるんじゃないか」、それしかないわけだよ。頭で作り上げたものでしかないわけだよ。そうやって、そういう奴らは、一生、自分の人生というものにかすりもしないで死んでいくわけだよ。

そういう奴らがそうやって死んでいくことには俺にはまったく関心はないけれど、しばしば、そういう奴らは他の人間を巻き込んでいくんだな。頭によって支配された「生き方」をいろんな人間に押し付け、広めていくわけだ。そしてもともと生命の持っている自立した方向性を押さえ込み、なかったことにしていくわけだ。戦争などでは、こうした暴力が大規模で行われているわけだ。思考優位による、生命の自立性の抑圧。言葉しか存在しないわけだ。そこでは人生は軽薄な言葉と等価なわけだ。そういうことを、俺は脅威に感じているわけよ。脅威というか、もう実際に俺の人生は終わらせられてるわけだけど。

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2011/12/10 (Sat) 09.4月12日(日)~4月14日(火)

名前:あいこ 日付:4月12日(日) 22時33分
「健康的」になるのは簡単だ。俺はその方法も知っている。しかし、この「不健康」な中でしか見えて来ないものがある。まだ充分ではないから、健康になることに抵抗を覚える。いつだってなれるんだから。しかし健康になったら、もう不健康に戻ることはない。俺は美しいものを見ていたい。美しいと感じられることが、正しい。健康であっても、美しいと感じられないのなら、それは意味のないことだ。

名前:あいこ 日付:4月12日(日) 23時29分
結局俺は誰とコミュニケート出来るのか。世界に一人もいないんじゃないか。俺が生きていて、いろんな目に遭って、自分なりに頑張って毎日を過ごしていても、これから先、俺が見てきたものだとか感じてきたことを少しでも理解出来る人になんて一生巡り逢えないんじゃないか。俺と同じような精神的過程を通ってきて、かつ俺を好きになってくれる人なんて、これから先一生現れないんじゃないか。

9121.人生は素晴らしい。
名前:あいこ 日付:4月12日(日) 23時43分
アイコが自慢のお好み焼を皆に作る!ということだったが、火の具合が悪く、鉄板の上でお好み焼は違う物体に。「いつもはちゃうのにー」と半泣きで格闘。

愛娘の四歳の誕生日。ディズニーストアに誕生日プレゼントを一緒に買いに行って、そのままアンバサダーのシェフミッキーで食事。ここはご飯を食べてるとディズニーのキャラクターが各テーブルにまわってきてくれる楽しいレストラン。娘は大喜びしていたし、久しぶりにゆっくり家族団らんを楽しめました。

名前:あいこ 日付:4月13日(月) 12時52分
「またいやらしいこと考えているんでしょ」
「うん、考えてるよ。君の乳輪の毛穴の感触を舌の先で感じたらどのような気がするだろうって考えてたのさ」

俺のちん毛と彼女のまん毛がこすれあい、俺の下腹部と彼女の下腹部が密着する。俺はゆっくりと腰を動かす。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 4時1分
俺はこのまま死んでいくわけだけど、俺は結局、人間としてこの世界に生まれたけど、誰とも愛し愛されることなく死んでいくわけです。俺が死に、また永久の無がやってきます。二度と生まれることはありません。俺は生まれたのに、愛するという経験、少なくともその愛が保証されるという経験を一度もすることなしに死んでいったわけです。俺がこの人生というか一生になんの価値も見出していない以上、俺が生まれてきたのは何かの間違いだったのでしょう。

自分に愛というものがあるのなら、それが保証されたと感じることが出来たあとに死にたい。自分の愛それ自身が満足するのを見届けてから死にたい。結局この世界はからっぽなままで俺は近い将来に死ぬのかも知れないが。

愛が保証されなくてもいいから、常に「愛している」と、自分のうちに愛を感じていたい。愛するもののために常に胸を痛くして涙を流していたい。

名前:あいこ 日付:4月14日(火) 4時19分
どうすればアイコを抱き締めていられるのか?を考える。アイコの写真を見たり、アイコの写真を抱き締めて眠ろうとしても、抱き締めている感じがしない。自分はアイコと無関係になっているのではないか?それでは俺は何に関係しているんだ?くだらないことだ。アイコを自分のうちに感じるどころか、アイコはどこか、ここから見ることの出来ない別の世界にいるようだ。俺の周りにある無意味なゴミ。

アイコを見ていてアイコの存在を感じていたい。アイコの写真を抱き締めて眠る。アイコを抱き締めているという感覚は皆無だ。それはただの紙であるという風にしか感じられない。しかし、それを抱き締めるくらいしか出来ない。眠ろうとしている俺には。

自分の中には何もない。何も「愛している」と感じられないのだ。

何もない 死にたいとすら思わない
アイコもいない

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