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2012/01/31 (Tue) 09.5月30日(土)~6月1日(月)

名前:あいこ 日付:5月30日(土) 1時10分
誰でも、自分の人生にとっての中心的な問題を見据えて、それを追い求めているわけだよね。俺だって、ある時期までは、中心的な問題というのはある程度はっきり見えていたよ。それで、ある時期になって、中心的な問題を見失いかけていることに気付き、学校へ行くのを中断したりした。そこで、よくわからないやつが俺のところにやってきて、無理やりアルバイトを始めさせた。自分の問題を見失いかけているから、自分の問題に戻ってくるために学校へ行くのを中断したのに、なぜか週5で一日9時間働くことになったわけ。それで、自分は明らかにアルバイトなんて望んでいないわけ。やつが俺にアルバイトを始めさせた理由は一つだよ。俺にコミュニケーションスキルを身に付けさせるため。そんなもん望んでいないし、頼んでもいないのにね。

名前:あいこ 日付:5月30日(土) 2時1分
なんらかの感情を持って、なんらかにアクセスできなければ、生きていてもどこにも行けないものだからね。そのような世界に陥ることが起こりうるのだということは多くの人間には理解できないんだろうけどさ。逆に何をしようがすまいが、なんらかのものに対してなんらかの感情を抱くことができる限り、その人はどこかには近づいている、と少なくとも実感を持つことができるはずだからね。

例えば、「好き」っていう気持ちは、ただ存在するだけでその人をどこかに運ぶものなんだよ。それがなければ、その人はどこにも行けない。「好き」っていうことを問題にあげると、多くの人はすぐに、見返りとか、自己完結的以上のことを問題にする。つまり、「好き」という感情を持つこと自体にはなんの価値もないと考えているんだろう。なんらかの見返りが返ってこなければなんの意味もないと考えているんだろう。馬鹿げた話だ。

「好き」という感情を持つことが何故尊いのか、それはそれを持たなければその人はどこにも行けない、それを持つことによってはじめて、物事が動いていくからだ。俺は、「好き」という感情を感じることで、自分がどこに行くのかを見届けたいと思っているだけだ。俺は自然を観察しようとしているだけだ(人間には自己完結的なもの以上のものは無いじゃないか)。

それなのに何故、それについてあれこれ批評を加えたり、「正しい」とか「間違っている」とかいうような判断を下そうとしてくるやつがいるんだろう?空が青いことには何も批評を加えないくせに?木々の緑が緑色なのには、なんの批評も加えないくせに?

名前:あいこ 日付:5月30日(土) 13時28分
俺が仮にドラムという楽器をやるにしても、俺が求めているのは「ドラミング」なのかというと、絶対に違うと思うのね。ドラムに触るかもしれないけど、俺が求めているのはドラムなんかでは絶対にない。ドラムなんか下らないと思うし。音なんて結果的に出てしまったものでしかないしね。

名前:あいこ 日付:5月30日(土) 13時30分
間違いなくいえるのは、俺は「ドラミングをしよう」と思ってドラムをやることは絶対にないと思うのね。それは間違いなくいえる。

名前:あいこ 日付:5月30日(土) 13時36分
でも、ドラミングが嫌いだからといって、ドラムが嫌いだとは限らないんだよな。たぶん。俺はあれを楽器だとは思ってないし。もっとゼリーみたいなもん。

名前:あいこ 日付:5月31日(日) 17時2分
「人生に無駄なことは何もない」とかいう言い回しをよく聞くけど、一般化できることではないだろ。本人がそう思えるかどうかの問題でしかないんだから。そうは思えない人に対して、「人生において無駄なことは一つもないんだ」とかいうような考え方を押し付けることは、新たな暴力にしかならない。「人生に無駄なことがあると、過去を悔やんでいるお前は精神的に異常なのだ。だから俺が直してやる」ということだからな。過去を悔やむ主体すら破壊されるわけだ。

名前:あいこ 日付:5月31日(日) 17時43分
自分の意見のようなものを求められた場合、「1+1=2」と答えなければ、そいつは基地外だ。意見を求めるような連中は、まさにそのような答えを求めているんだからな。「論理的」というやつを。そういう説明を聞いて満足する連中がいるわけだよ。他人の人生を説明可能なものだと捉えている人間がいるわけだよ。説明できなければ、精神的異常だってことで治療しようとしてくる連中がいるわけだよ。そういうのを防ぐためには、説明を求められた場合、即座に「1+1=2」と答える以外にない。そうすれば、説明したことになるから治療されることはない。考え込んだら駄目だ。考え込んだら、精神異常者というレッテルを貼られる。「1+1=2」という答えを出しておけば、相手がそれについて理解できなくても、相手はそもそも「世界や人間というものは簡潔で明快な言葉で説明が可能だ」と信じているわけだから、その理由において相手を非難することもできる。最も簡潔で明快な言葉で説明しているのに理解できないわけがないだろう、と。おまえが一番求めているのはこういう答えなんだろう、と。

名前:あいこ 日付:6月1日(月) 1時50分
ええっと…A家にいるうちはいくら考えてみたってA家の考えを抜け出すことはないけど、B家に実際に出入りするようになれば、B家の考えは自ずから浮かぶようになるというか…机の上でいくら考えてみたって限界があるってこと。青い世界にいれば青い世界的な考えから抜け出すことは永久に不可能だけど、赤い世界に入ってしまえば、即座に赤い世界的な考えをするようになる。

名前:あいこ 日付:6月1日(月) 1時52分
考え方を操作しようとするのではなく、自分の居場所を変えていけばいいだけのこと。

名前:あいこ 日付:6月1日(月) 22時42分
これと同じやつをブックオフで500円で購入。運が良かった。
ピカソ全集 青の時代
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J804H2/sr=8-5/qid=1243863455/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&qid=1243863455&sr=8-5&seller=

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2012/01/29 (Sun) 09.5月25日(月)~5月27日(水)

名前:あいこ 日付:5月25日(月) 15時0分
無意味なことをやめなければならない。「無意味なことを続けるのが正しいのだ」と教わってきたので。自分の生きたいように生きてたら、何故か俺を治療しようとしてくる輩が現れたりね。そいつは俺に「お前の求めているものはくだらないものだ。だから俺の言う通りにしろ」と言葉では言わないけど、それを態度で表して、俺を「導こう」とするわけよ。常に、俺が俺の意志のままに生きてることを否定してくるわけ。俺は、未だに自分の意志のままに生きることを自ら否定しているわけ。それで意味のないことを続けているわけ。影響下にあるんだな。自分の意志のままに生きられるようになるまで、何年かかるかわからない。その間に、俺は失い続けるわけ。失うことの苦しみを感じながら、これから何年間も生きていかなければならないことはわかっている。ずっと、「あの七月のことがなければ」ということを思いながら生きていかなければならないこともわかっている。それで、何年か経って、やっと自分の意志のままに生きられていると思えるようになっても、そこでやっと去年の六月の時点に戻ってきたというだけに過ぎないわけ。そこでやっと、「俺はこの何年間かを奪われたんだ」と思えるようになるだけ。それで、その時には自分の人生が手遅れになっていることがわかるだろう。

名前:あいこ 日付:5月25日(月) 16時11分
誰かを愛せなければ自分を愛することも出来ないし誰からも愛されない。自分を愛せなければ誰かを愛することも出来ないし誰からも愛されない。

名前:あいこ 日付:5月27日(水) 16時31分
もう駄目かも知れません。病院へ行っていると、自分の体に余計なものがくっついているようで、振り払いたくなるのです。自分は何を求めているんだろう?本当にわからない。病院へ行くのを辞めると、自分が自分であるように感じ、自分は世界と生身で対峙しているのだと感じる。自分の内から叫びのようなエネルギーが常に外に出ようとしているのがわかる。怒りのようなものも強くなる。こっちの方が自然であると感じる。少なくとも、その不安は自分をどこかへ導くように感じる(病院へ行っている時の不安は先に繋がるような感じはせず、ただその時々に存在するだけだ)。

なぜ再び病院へ行きだしたのかというと、あの目が見えなくなる感じが現れたからだ(しかしこれは一時のもので、これが現れる度に病院へ行っていたらキリがないんじゃないか?)。病院へ行くのを決めたのは、今回病院へ行く五時間前だったと思う。衝動的なのだ。どの感覚が信用できるのかという問題だ。常に自分の感覚を凝視している。「何をするのか」というのは問題にしていなく、「これに対峙した時にどのような感じがするものか」、そういうのを知りたいというか、自分が世界においてどのような位置に立っているのかがわからないから、それを知りたいのだ。

「自分の人生」を生きることが、いまの自分の求めていることだと言ったのは何日前だったか?今日、再び病院へ行きだして、早くも、自分のいま求めていることは「自分の人生」を生きることだと再認識しだした。病院へ行くのを辞めたときは、病院へ行っている限り、「自分の人生を生きている」という実感を感じられることはない、と感じていた。

名前:あいこ 日付:5月27日(水) 16時59分
目が見えなくなる感じは地獄のようだし、しかし、その地獄が俺にとっての現実なんじゃないのか。その地獄を汚いものとして排除しようと試みれば、また別の部分で欠陥が出てくる。つまり、自分の現実をそのままに生きようとするのを中断することであるから、そのようなことをいつまでも続けていても、何を得たという実感も手にすることは出来ないだろう。

そして、俺はいま、もう早速、病院の予約をキャンセルしようとしている。どの感覚を信じられるかという問題。

あの、「一日を生きるのも困難な状況」がやってきても、病院に逃げ場を求めるべきではない。

例えば、昨日、俺は音楽の活動をしてみようかと思ったのよ。「俺はもしかしたら、音楽をやりたいんじゃないか」と思い出したというか気付いたのよ。

「音楽を聴いていて、人間が感じられるか、生き生きとしたものとして感じられるかというのは、自分の人生を生きているという実感に拠っているんじゃないのか」と思った。自分が具体的に音楽の活動をすることを少し想像してみた。それだけで、音楽の聞こえ方がまるで変わってきた。ライブのDVDを見ていて、「そうだ、この観客たちは、それぞれ自分の人生というものを生きているんだ。それぞれの人生を生きているんだ。その上で、このライブの会場に来ていて、ライブを楽しんでいるんだ」ということに気付いた。俺は自分の人生を生きているのか?と考えた。音楽を聴く。漫画を読む。学校へ行く(行かない時期も多い)。これだけで、「自分の人生を生きている」と言えるのだろうか?俺は、「これが俺の人生だ」といえるのだろうか?

ここにきて、「俺は楽器をやっていないと、自分の人生を生きていると感じることは出来ないんじゃないのか。楽器をやるということは、演奏活動をするということは、俺が自分の人生というものを生きる上で、とても(一番?)重要なものなんじゃないのか」と思った。

ライブ会場の観客の顔を一人ひとり見ていて、「この人たちはそれぞれ、違う人生を生きているんだよな」と思った。ある人は研究職かもしれない。ある人は薬剤師かも知れない。ある人は作家かもしれない。ある人は会社員かもしれない。じゃあ、俺は何をしている人なんだろう。

演奏の活動をすることは俺が逃げていることでもある。

名前:あいこ 日付:5月27日(水) 17時17分
「病院へいく」のも「病院へ行かない」のも三ヶ月は続けてみなければ、何もわからない。決意もないのに病院へ行くべきではない。逃げ込むのではだめだ。これから、三ヶ月、病院へ行き続けるか?すぐにキャンセルして、病院へはもう行かないことに決めるか(少なくともあと三ヶ月は)?どちらかだろう。

名前:あいこ 日付:5月27日(水) 20時8分
病院へは「助けを求めて」行っているはずなのに、病院へ行くことで、「病院が自分を救ってくれる」というような安心を感じることはなく、むしろ逆に「病院が自分を更に難しい状況へ追い込む」という恐怖の方が大きい。

俺の抱えている問題は、記憶の問題なのだ。自分の身に起こったことを上手く繋げられるか。それで、自分のいる場所を理解できるか。そのためには、変化しないことが最も重要なのだろう。

名前:あいこ 日付:5月27日(水) 20時20分
いまの自分の置かれている状況は、絶望よりももっと酷いと思う。絶望することも許されていないように感じる。自分に起こるどのような感想も、自分の感想として信用することが出来ない。絶望している?「絶望していないのでしょう」。希望を持っている?「希望を持ってはいないのでしょう」。そんな感じ。結果、感想なんてないのと同じ。しがみついていいものがない。

無理だ。

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2012/01/29 (Sun) 09.5月22日(金)~5月25日(月)

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 23時46分
ぼくの胸を抉ってくれ

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 0時3分
AVなんか見ていたってなんの意味もない。オナニーをする場合、まずアイコの顔を見ていなければ意味がないからだ。「アイコに似た人」が出ているAVを探して見てみたって意味がない。顔が違うんだからな。おっぱいが出ていようがまず顔がアイコだということが第一の条件だ。そうだろうが。AVを見ていたって人格なんてわからない。人格も好きになれない、顔も好きになれないような女のセックスを見て何が楽しいんだ?俺はセックスをしたいのであって、セックスを見たいのではない。(どうでもいい女のセックスほど醜いものはないしな。)

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 10時38分
執着するのも真実ですから、執着を取り除こうとすれば、その人を精神的に殺すことになります。何故執着するのかといいますと、生の欲望のあるために執着するのです。執着を否定し取り除こうとするのなら、それは生の欲望を否定し、取り除くことにもなるのです。「このような生き方が正しい」だとか、「このような生き方が健康なのだ」とかいうような考えを他人に押し付けるのはとんでもない暴力です。生の欲望のままにある時に、人間は進歩するのです。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 12時30分
結局この一年間に何の意味があったのかというと、「去年の六月に戻ってくること」。いまが去年の六月であるのなら何の不満もない。やりたくもないアルバイトをし、買いたくもないものを買い、食いたくもないものを食い、必要のないものに時間を費やすことに意味があるのなら、話は別だけれども(それが意味のあることだと教えられたわけだよ)。それから抜け出すのに一年間かかった。まだ抜け出していないかも知れない。いまは去年の六月なんだと信じなければいけない。いまがカレンダーに書いてある通りの月日なんだと考えても何のプラスにもならない。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 13時24分
これから日々を生きるにあたって、常に「今日、この一日でこの一年間よりも多くのことをしなければいけない」と考えなければならない(それは簡単なことであるはずだ)。「この一年間」から抜け出さなければならない。切り離さなければならない。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 13時25分
直感を押さえ続けていると、当然機能しなくなるから、何も選択できなくなる。何を飲みたいのか?何を食べたいのか?そういうレベルのことすら選択できなくなる。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 13時46分
運命論なんてのは信じていない。仮にあるにしても、簡単に狂わせられるのなら、ないも同じだ。人生を破壊するのはとても簡単なことだ。人を死に追いやるのも、とても簡単なことだ。人を殺すのなんて簡単だ。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 14時4分
ミュージシャンを目指している人って、ミュージシャンになればいい世界が待っているとでも思っているのかな?ずいぶん簡単な人生だな。ミュージシャンになったところで何も変わらないだろ。

名前:あいこ 日付:5月23日(土) 23時52分
意味のあることってね、とってもとっても怖ろしいんですよ。自分にとって、意味が重大であればあるほど怖ろしいんでしょうね。

名前:あいこ 日付:5月24日(日) 0時26分
ここまで来るのに何年かかってるの

名前:あいこ 日付:5月24日(日) 0時44分
というか、この何年間かの間に俺の置かれている状況は「悩み」と呼べるようなものではないね。「人間の生活というものが見当もつかないのです」というようなことだから。普通の人が「悩み」という言葉を使うとき、それは人間の生活をした上での悩みなわけだから。

名前:あいこ 日付:5月24日(日) 15時1分
「何をする」とかじゃなくて、自然に生きていた結果、それをしているっていうの、そうじゃないと意味がないでしょ。誰かが何かを頑張っているのを見て、じゃあ自分もそれと同じのをやろう、なんて真似しても意味がない。「刺激」とかいうけど、自分の生き方をかきみだすだけの刺激なんて必要ない。「自分にとって、何がいちばん大切なのか?」それだけを常に考えて頑張っていればいい。

名前:あいこ 日付:5月25日(月) 4時20分
去年の七月に、「自分の人生」というものから大きく引きはがされた。そのあと、ずっとその引きはがされたことの影響下にあった。「自分の好きなように生きることは間違ったことで、治療が必要なんだ」という考え方がずっとあった。その考えは間違ったことであると解っているのに、いろんな局面で自分でも気付かないうちにその考えに支配されていたように思う。自分の素直な感じ方を押さえ込むような方向へ自分でもっていくのね。信用できる感覚を取り戻すこと以外にないんだけど。

名前:あいこ 日付:5月25日(月) 13時1分
俺のこれからの人生は、俺の人生がどのように手遅れになったのかを見るものでしかない。「夢を持って」「主体的に生きる」というような選択はない。

他人の意志そのものを作り変えるというのは、他人の人生を破壊する際に最も有効な方法だ。本人は何を失ったのかも理解せずに死んでいくわけだ。

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2012/01/28 (Sat) 09.5月21日(木)~5月22日(金)

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 23時36分
サラリのぼる
主人公。性格は新聞4コマ漫画の主人公にしてはかなり短気。
趣味はテレビ鑑賞・パチンコ。阪神ファンで優勝した時は風呂に飛び込んだりもしている。
よく他人の家(特に社長宅)を窓の外から覗き込む癖がある。大阪出身らしい。
なお、一度改名している。改名前の名前はサラリ・アゲローだった。

咲子
妻。性格は短気で見栄っ張りでヒステリック。一見巨乳だがパット入り(たけし談)。
趣味は買い物・カラオケ。韓流ドラマにはまっており「日本海を東海ていうのよ」との発言も。
やたらサラリの手紙や日記やメールを勝手に読んではキレている。鹿児島出身らしい。
なお、夫と同じく一度改名している。改名前の名前はサラリ・ペッチャン子だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%AA%E5%90%9B#.E3.82.B5.E3.83.A9.E3.83.AA.E5.90.9B

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 23時39分
のりこ
長女。趣味は読書。ケータイにはまっており、出会い系サイトで見つけた男を家に連れ込んだりもした。
ハムスターを飼育してたが、飼育書を読んでる最中に死なせている。やや反抗期。

たけし
長男。勉強はあまり得意ではないが、一時東大進学を目指したことがある。一時期、九官鳥をペットにしていた。

社長(氏名不明)
サラリが勤務している会社の社長。家も近所。年齢60歳位。性格は偉そうな反面、真の実力者の嫁とは不仲で、よく夫婦喧嘩話や離婚話や別居話が出てくる。小学生になる孫がいる。
なお、経営能力には問題があり、過去に拳銃購入未遂・秘書の給料横領未遂や女優のスカートの中盗撮疑惑等やらかしている。また、ボーナスや社員の昇給も嫁の顔色をうかがわないと出来ないようだ。リストラには熱心(サラリもリスト入りしていた)だが、女性社員には甘い面がある。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 1時10分
例えば、アイコの画像を浴びまくることは必要である。それはつまり、自分がアイコをどのように認識しているのかを確認するということだ。「アイコが誰なのかわからない」ということは、つまり、「自分がアイコをどのように認識しているのかがわからない」ということだ。だから、常に確認していなければならないのだ。その中でも、アイコの画像を浴びることは、基本的かつ、重要なことなのだ。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 1時21分
エクササイズとして体系化するのがいいんだろうな。毎日、パソコンに入っているアイコの画像をすべて見る。一万枚くらいか?画像を分類していき、自分がそれぞれに対してどのように感じるのかも把握していかなければならない。そのためには、まずは何も考えずに見まくること。毎日毎日、その一万枚をすべて回していく。それを何日も続けていれば、自然に自分とそれらのそれぞれの画像との関係も見えてくる。俺の恐怖する対象、アイコ(言うまでもなく、アイコを見たときに起こる感情と直面するのが怖いのだ)。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 1時28分
というか、俺は逃げているものがあるということを、何ヶ月も忘れていた。肝心のものから逃げていて、どうでもいいことに時間を費やしていただけだった(学校とか楽器とか)。俺は少しでも近づいているのか?少しも近づいていない。未だにアイコの画像を見ることすら避けているじゃないか。避けていることすら、それに直面しなければならない(心の底ではそれを望んでいる)ことすら忘れていたではないか。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 1時35分
俺はアイコをどのように認識しているのか?それを知ること。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 1時37分
俺はいままで何をしていたんだ?2年前くらいから何も進んでいないではないか。未だにアイコのことは少しもわからないままではないか。

名前:あいこ 日付:5月22日(金) 2時6分
アイコを見たときに起こる感情を恐れていたということすら、なかったことにしようとしていたわけ。無意識のうちにね。「アイコを見ても何も怖いとは感じないんだ」とかね。少なくとも俺の場合、アイコを見ることから逃げているあいだは、人生は少しも前へ進まないし、何もないままに過ぎていくだけだ。いま、ふと気がつくと5月の中頃になっているわけよ。

怖ろしく空っぽな時間が過ぎ去っていたってわけ。俺はこの数ヶ月を三日間くらいにしか感じられないわけよ。それだけ無為だったってことだ。その渦中にいる間は、ただ苦しいだけで、自分が無為な日々を過しているということすら自覚していないわけ(自分を動かすものがまだどこかにあるということを知らないのだ)。だからただ死に向かうのを感じる。理由はわからない(その渦中にいる間は)。しかし、理由はある。ただ自分の逃げているものを覆い隠しているだけだ。自分が逃げているのだということを感じないで済むようにしているからだ。自分が逃げているという事実すらなかったことにしてしまえば、もうその世界には何もなくなるのは当然のことだろう。

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2012/01/21 (Sat) 09.5月18日(月)~5月21日(木)

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 10時9分
「うなぎの肝の佃煮」というのがあった。「なんで俺の肝じゃないんだ」と思った。うなぎがこのような目にあっているのに、なんで俺が助かっているんだ、と思った。俺の肝が佃煮にされないことにはどんな理由があるんだろう?いまのところは助かっている。けれども、非常に危うく感じた。命は非常に危うい。

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 17時33分
俺の手にしたのは一種の自由だった。自分の意志からの自由。自分の欲望からの自由。俺は何をすることもできた。何をしても痛みを感じることはなかった。すべては平板だった。それが彼のいう「救い」だったのだろう。自殺することにも抵抗を覚えないのは確かにプラス思考だろう。俺はこのプラス思考から自由にならなくてはいけない。疑うことを抑圧する習慣から抜け出さなければいけない(それは彼から植え付けられたものだ)。

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 23時54分
873 :名無しの歌姫:2009/05/18(月) 14:41:23 ID:N8wLkoJJ0
aikoなんでそんなたたかれるんだろな。
少なくともわたしよりは、可愛いw


しかし、10代の私がaikoのファッションを真似しても、あのロリっぽさは出てこない。
なぜだろう。

874 :名無しの歌姫:2009/05/18(月) 15:06:17 ID:BsNMI4H90
>>873
笑顔だ!

875 :名無しの歌姫:2009/05/18(月) 15:06:25 ID:djSzQl0u0
>>873
おっぱいうp

名前:あいこ 日付:5月19日(火) 0時38分
芸術家ってのはある種の闇を抱えているものだと思うけど、俺には闇と呼べるようなものはないんだよね(笑。ただの暗いだけの人間だから。自分の中に、重い何かがあるようには思えないし、「リアリティー」なんて欠片もないでしょ。それは周りから見てもそうなんだろうけど。深みとか、重みみたいなの、まったく感じられないでしょ、俺を見てても。いい悪いじゃないんだけど、俺は俺を自分で「透明だ」と思うわけよ。どろどろした部分が皆無なわけ。「愛憎」とかね、そういうところまでいかないしね。距離があるんだよ、世界と。というか、まず最初に「自分対世界」なわけよ。あまり情緒的ではないと思うのね。そういうところが、気に食わなかったりしてね。自分の透明な部分を受け入れることが出来ないでいることも多かったと思うけど。中性的というか、肌と肌との触れ合いを求めないような、自分の姿勢をね。どろどろとした部分というのは、俺にはないものだから。「結局は個個人が満足して生きられればいい」というように、お互いの生き方や生活を干渉すべきではないと思っているし。わがままな部分がないんだよ。「あなたがそうしたいのならそうすればいい」と言ってしまう。結局、他人は他人なんだ。だから、俺はどろどろとした部分に憧れていたんだろうけど。冷静でいられるということは、「他人は他人だ」なんて言っていられるうちは、まだ本当に人のことを愛したことがないんだって。本当にそう思うよ。まあ、俺の中には「激しさ」というのは皆無なんだよな。他人から見たらどうなんだろう。「他人に無関心な、孤独で学求的な人間」とか?芸術家肌とはとても言えそうにないな。でも他人に無関心なわけじゃないよ。「人間」に興味がある。というか、人間を愛したいのです。人間に対する愛を自分の内に感じていたいんだな。胸が暖かくなるんだ。知的好奇心が強いんだけどね。「美しいものを見たい」というね。そしてそれは人が人を愛することとか、そういう営みに関係していると思っているんだけど。

名前:あいこ 日付:5月19日(火) 22時21分
人生を失敗することなんて、とても簡単だと思うのです。この世界は何でも起こりうるんだと思います。ぼくはとりあえず、死なないで生きていたいですね…(笑)目標の設定が低いんじゃないかといわれるかもしれないけど(笑)、同じことです(笑)。

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 0時50分
一ヶ月先も自分が生きてるのか確信が持てない。もう溺れていて、手足を動かしてはいるが、もうじきに自分は死ぬんだということが判っているような、そんな感じがする。いろいろ抵抗をするが、どんどん苦し紛れになって来ているのが分かるからね。誤魔化せなくなった時に自分はどこに駆け込むのかということがね。最後の逃げ場のような場所が見付かっていない。医者にも行ったりもしたけど…医者に行っていれば、とりあえず「命を繋ぐ」ことは出来るのだろうか?それ以上かも知れない。

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 3時18分
かわいい
http://max-live.tv/_chat_main_livedoor.php?id=62880ff0c49ee0b&cmcode=livedoor

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 15時19分
ドラムに限って言えば、技術的な部分をクリアしているのは当然として、音楽的というのが重要なんだけど、音楽的というのは雰囲気に関わることね。音全体から伝わってくる雰囲気ね。この雰囲気がそのプレーヤーの良し悪しを分ける決定的な溝なんだよね。佐野康夫のドラムは、技術的な部分には関心があるが、雰囲気はまったく好きではない。クール過ぎるというか、じんと来る感じがない。

名前:あいこ 日付:5月21日(木) 21時53分
胸の奥にある 秘密の隠れ家
私の世界に 遊びに来て
春一番の花が咲いているよ
どんなときも笑顔 忘れないよ
思い出の旅が 動き始めたら
静かにページを 開けてみよう

友達のことや ふるさとの話
ほんのささやかな 出来事から
生まれてはじめて 燃えるような恋も
つづるこころ 長い長い夜に
愛の一文字が勇気をくれたよ
明日も私でいられるように

さよなら 私の大切な人たち
たった一人 決めた恋人
今度来るときは 鳥になりたいな
自由の翼に 風を受けて

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2012/01/21 (Sat) 09.5月17日(日)~5月18日(月)

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 16時17分
自分がかつて愛好していたものに接した時も、ある種の攻撃性を感じることが多くなった。つまり、自分の内部が、自分の胸のうちが、自分を支配しようとしてくる人間に対して開かれている。自分の剥き出しになった筋肉が刃物で切りつけられるような感覚。そのような感覚を、自分がかつて愛好していたものに接していても感じることが多くなった。「守られていない」という感覚が常に強くある。自分の内部に異物があるというような感覚。外部から侵入してきた異物が。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 16時24分
だからなのか、自分が選択することに対して躊躇することが多い。100円の菓子を買うのかどうか。迷っているというよりも、「それを買うことで自分が危険な状況に置かれるのではないか」という恐れがある。自分で自分を危険な状況に追い込むことに対する恐れがある。自分の意志を自分の意志として信じることが出来ないからなのか?というか、どれが自分の意志なのか?

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 16時50分
自分を傷付けるようなことをすることに対して抵抗を感じないというか歯止めがかからなくなっているのかな?慎重ではなくなってる。自分の世界を守ってない。自分から自分の世界を壊してる。いつだったか慎重に生きていることに対して妨害してくるやつがいたよなあ。結局これもあれの影響なのか。自分の生き方を忘れてるんだろうな。「慎重に生きろ」と四六時中、自分に言い聞かせないといけないんだろうな。ああそうだ、「これは自分の意志で選択しているんだ」と自分で信じられることが目標だったよな。だったらそう確信できないことは一つでもしてはいけないな。100円の菓子を買うにしろ、そういう積み重ねが、「自分が自分の人生を生きている」という実感を破壊し、自信も失わせるんだからな。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 16時51分
誰かの自信を奪いたい場合、その人が「自分の人生を生きている」という実感を破壊するのが、いちばん有効な方法なのかも知れないね。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 17時3分
自分が自分で日常的にしている行為が自分を傷付けているのは明らかなんだけど、どれが自分を傷付けているのか、区別がつきづらくなっている。だから何をするにも葛藤がある。自分で自分をもっと酷い状況に追い込んでいるのではないか?しかし、自分を酷い状況に追い込まないようにする方法は分かっていない。自分を害するものは、既に自分のうちにあるのだろう。俺に必要なのは、自分の中にある、自分の意志は、統合されるべきものではないと自覚し、「自分の意志」の中に、「外部から侵入してきた、自分を破壊しようとしている意志」と、それにあらがうべき、元々あった自分の意志との二種類の意志があり、「侵入してきた意志」を常に峻別し、これと戦わなければならない、ということだろう。いまは、明らかに「侵入してきた意志」が支配的になっていて、それが自分を死に向かわせている。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 22時4分
悲しみ
生活と繋がった悲しみ
生活とは
人間と人間が繋がるための
悲しみ 胸の痛み
彼女が泣きながら
飲んだもの
俺はスーパーにいて
オレンジジュースを手に取る
この地面
アスファルトの匂い
世界というもの
人々
生活

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 22時22分
このようなことを常に感じながら生きていられたら、どんなに幸せだろうと思った。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 23時52分
アイコが誰なのかわからない。未だにわからない。全然わからない。アイコは誰なんだ?

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 1時4分
去年の今頃だったか、六本木のスーパーデラックスっていう店で、ノイズギターのフェスティバルを見たのね。灰野とか内橋とかが出てるような。その時に、俺の近くに、5年前くらいのアイコにそっくりな人がいたんだよ。服装、髪型含めてね。激ロリ。女の子二人で、来てたのね。女の子二人で、ノイズギターのフェス(6時間ぶっ通し)に来てるわけよ。それで凄まじい音量のノイズに浸りながら、灰野敬二見て感激してるわけよ。休憩中に、「この本、面白いんだよー」って、となりの女の子に本を紹介してたんだけど、その本を覗き見たら、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。

いま思うと、あれは運命だったのかもしれないな。5年前のアイコ(「蝶々結び」のPVのアイコにそっくり)にそっくりな激ロリの女の子。村上春樹が好き。女の子二人で、ノイズギターのフェスに来る感性。アイコに激似ということは、当然アイコも聴いているだろう。

恋人とは言わずに、せめて友達になるというか、関係を保っておきたかった。もう二度と会えないのかな。間違いなくいえることは、俺はあの子にもう一度会いたいと思っている。

「興味深い」人間だ。5年前のアイコに激似(激ロリ)。村上春樹が好き。ノイズギターのフェスに女の子二人で来る感性。ここまで揃う女の子がどれだけいるというのか?

友達になっても楽しそうだ。というか、俺はこういう人を友達に持ちたいと思っていたのかもしれない。友達としても希有だし、恋人としても希有。

俺はまたあの子に会えるんだろうか?

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 1時49分
考えてもごらんよ。5年前のアイコにそっくりの激ロリで、アイコにそっくりな服装・髪型をしているということは、当然アイコを意識しているわけでしょ(偶然ああはならない)。つまり、あの子はアイコが好きなんだよ。それでいて、大友良英とか、内橋和久とか、グラウンドゼロなどのアヴァンギャルド音楽が好きなわけでしょ。それでいて、さらに、村上春樹が好きなわけでしょ。それで、歳は20歳前後。

こんな女の子が世界に何人いるんだ?

想像するまでもなくわかると思うけど、アイコを聴く層と、大友良英あたりを聴く層は重ならないんだよ。アヴァンギャルド音楽を聴く人はまずアイコなんて聴こうともしない。

だから、この二つが両立しているというだけで奇跡なわけよ。アヴァンギャルド、つまり「ジャズ」に興味があって、それでいてアイコが好きだという。それで5年前のアイコにそっくりの激ロリ。歳は20歳前後。村上春樹が好き。奇跡ではないか!!

名前:あいこ 日付:5月18日(月) 1時50分
俺は、ジャズと、アイコとの間をさまよっている。俺はアイコを聴く。日常的にジャズを聴くことはない。しかし、俺の出す音を最も生かすフォーマットはジャズなのだ。というか、俺が音を出す。その音に呼応して、他の人も音を出す。そうすると、何故か「ジャズ」が演奏されているのだ。おそらく、俺の出す音の中に、ジャズ的なものがあるのだろう。俺はジャズからは逃げられないというのを感じる。聴くのとやるのとは別だ。

そこへ来て、その女の子が俺の目の前に現れたのだ。

何故、あの時、あの子に声を掛けなかったのだろう?

その女の子は、俺自身がアイコを最も好きでいながら、自らはジャズを演奏するという一種の矛盾を、受け入れられるようになるための、重要な存在でもあったと思うのだ。あの子と出会い、あの子と付き合うことで、俺は、自らの矛盾をも愛することが出来たと思うのだ。アイコだけを好きでいることは、俺とジャズとの関係性を否定することになる。だから、アイコを好きだということ、ジャズとも関係があるのだということ、この二つを統合することを、肯定してくれる他者の存在が必要だったのだ。つまり、あの女の子と付き合うことで、俺は自己否定から自由になることが出来たと思うのだ。

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2012/01/10 (Tue) 09.5月15日(金)~5月17日(日)

名前:あいこ 日付:5月15日(金) 18時54分
さっき、小さな女の子が空高く飛んでいる飛行機に向かって大きな声で「ばいばーい」って言いながら手を振っていた。

名前:aiko 日付:5月16日(土) 12時46分
心身症の障害は加害者の攻撃から直接引き起こされるわけではない。被害者が身動きですることができないという状態から来ているのだ。被害者が何をしてもそれはまちがっていて、起こったことはすべて被害者の責任になってしまう、その状態から抜けだせないことから来ているのである。

名前:aiko 日付:5月16日(土) 12時55分
抑うつ状態に陥ると、被害者は疲れて、元気がなく、自分が空っぽになったと感じる。そうして、なんに対しても興味が持てなくなり、考えることもできなければ、ほんの小さなことに集中することもできなくなる。自殺の考えが生まれるのはこの時だ。その危険は被害者が騙されていたとはっきりと感じ、もうどうやっても自分の正当の権利は認められないと思った時にいちばん大きくなる。だが、思いあまって暴力的な行為に出た時と同様、被害者が自殺をしたり、あるいは自殺未遂をすると、加害者のほうは相手が頭のおかしい人間だったと確信を抱き、自分の行なったモラル・ハラスメントを正当化する。

名前:aiko 日付:5月16日(土) 13時15分
加害者から非難された時に、弁明をする必要もない。モラル・ハラスメントを受けた被害者は、いつも加害者に弁明をしつづける。相手の言葉は嘘と悪意に満ちている。それを考えれば、弁明したくなる気持ちはよくわかる。だが、そんなことをしても、泥沼にはまるだけだ。あげあしを取られたり、ミスをつかれたり、あるいは善意までねじ曲げられて、結局はあらたな攻撃の材料に使われてしまうからだ。モラル・ハラスメントの標的になった瞬間から、すべては相手に利用される。いちばんいいのは黙っていることである。

名前:aiko 日付:5月16日(土) 15時0分
苦しいと感じているのを「嘘だ」と抑えつけるのが習慣になっていたと思う。自分は苦しくないと思い込ませる。そういう習慣から、自分は苦しいと感じているのか、感じていないのかが本当に分からなくなってしまったというか、自分がどのように感じているのかを、自分でも分からなくなっているように思う。周りの人間から「お前は苦しくなんかないのだ」と言われ続けていたように思うのだけど(実際には言われていないのかも知れない)、そのように「言われている」と常に感じていたように思う。「苦しい」と思う。そこで誰か他の人間の「お前は苦しくなんかないのだ」という声が頭に浮かぶ。「そうか、苦しくないのか」と思う。そういうプロセスが日常的に繰り返されていたと思う。

名前:aiko 日付:5月16日(土) 15時32分
素直な感想として、これから先、自分は生き残るとしても、「死んではいない」という状態から抜け出すことはできないような気がするのね。同世代の人間は、就職をどうするかとか、将来やりたいことがどうとか考えているんだろうけど、俺はその段階にまで一生到達できないような気がする。死んだら終わりでしょ?だから死なないでいるんだけど。だけど、自分の人生を良くしていこうとか、自分の希望を達成しようというような視点はないの。自分ってものが、「これが自分の考えだ」とか、「これが自分の感じ方だ」「これが自分の価値観だ」というように、信じることが出来ないのね。日々は過ぎていくけど、自分の感じ方や価値観が存在しているようには感じられない。「これが自分の感じ方だ」とか、一生信じられないで終わるのかもしれないな。耐えられればの話だけど。「なんで生きなきゃいけないのか」という考えの方が強いからね。死の方へ向かっているのは感じる。「収入はどうするのか」とか、そういう話を聞いても、それは自分が生き残るために必要なものでしょ?或いは、自分の人生上の希望を達成するためにね。俺には関係がないように感じられるというか、食っていくのに困るようになったところで、俺は死なないように踏ん張れるのかどうか、自信がない。「収入」とか、なんでそんなくだらない話をするんだろう。これから、自分に、より良い人生が待っていると信じている人がそういうことを考えるんでしょう?自分の人生上の目標とか…それを達成できないと困るから、努力するんでしょう?だって明日死んだっていいんじゃないの。死にたくないわけ?俺にそういう話をしてくるってことは、俺が死にたくないと思っているとでも思っているのかな?まだ生きるつもりでいるとでも思っているのかな?その日その日を誤魔化しているだけなのにね…なんで死ぬのが嫌なの?

名前:あいこ 日付:5月16日(土) 18時10分
一つ言えることは、俺はアイコの顔など、姿を「アイコ」として見てはいないということだ。俺にとってはアイコの音楽が「アイコ」であって、そこから想像される人間を恐らく愛しているだけなのだ。だから、アイコの写真などを見ても、俺にとっての「アイコ」と一致しない。まあ当たり前だな。だから、俺はアイコの姿を見たいとは思ってはいないと思う。

名前:あいこ 日付:5月16日(土) 18時41分
つまり、俺にとって、アイコってのは姿や形をとってはいないんだよ。もっともやもやしたものなんだよ。だから、「人間」の形をまとったアイコをテレビなどで見ても、俺はそれをアイコだとは思わない。俺にとっての「アイコ」とは、もっと液体みたいな形をしている。そもそも視覚じゃないし。聴覚を通したイマジナリーな存在でしかない。というか、人間の形が想像されるんだったらそれは芸術ではないしね。「音楽は視覚的なものだ」とかいう人がいるけど、俺は音楽にそういうものは求めていない。俺は「人間」に出会いたくて音楽を聴いているだけ。俺は生身の人間には殆んど興味はないんだと思うよ。もっとね、ぐしゃぐしゃしたものを追い掛けていきたいと思っているだけ。やはりそれは音楽の中にしかないんだけど。

名前:aiko 日付:5月17日(日) 0時46分
もっと言えば、「人間」なるものは、人間の姿かたちをとってはいない。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 1時57分
人はいつかは「必ず」死ぬのだという考えが浮かんだ。恐ろしくなった。しかし、そのことをずっと忘れていた。永久に生きるものだと思っていた。

名前:あいこ 日付:5月17日(日) 3時30分
生きている間に何が出来るか?それしかない。

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2012/01/09 (Mon) 09.5月9日(土)~5月15日(金)

名前:aiko 日付:5月9日(土) 3時21分
俺にはこの世でいちばん大事な音楽のCDがあって、俺はずっとそれから逃げていたんですね。俺のいままでにしてきたことは(学校へ行くのを辞めたりアルバイトを辞めたり始めたりすること、漫画を読むことを含めて)、すべてその音楽を理解するためのものであったと思う。その音楽を理解するためにいろいろなことを始めたりするわけだけど、そのうちに最初の目的を忘れてしまい、その音楽そのものから目を背け続け、その音楽が存在していたことすら忘れてしまう。その音楽を理解するために、学校へ行くのを辞めたり、1000冊以上の必要な漫画を読もうとしているのに、かえってその努力のために、その音楽の理解から遠ざかる結果になっている。俺は漫画を読んではいても、その音楽が存在していたことをなかったことにしていた。なんのために漫画を読んでいるのか?それを忘れてしまっていた。しかし、俺が結局、学校へ行くのを辞めたり、それによって死にかけたり、バイトを始めたり、それによって死にかけたり、バイトを辞めたり、それによって死にかけたり、音楽を理解どころかどんな音楽も聴こえなくなったり、どんな希望もなくなったり、それらはすべて、この音楽、この音楽を理解するためのものであったことに、いま気がついた。結局、この音楽が聴こえる世界が意味のある世界であり、この音楽の聴こえない世界は意味がない。

名前:aiko 日付:5月11日(月) 9時49分
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名前:aiko 日付:5月11日(月) 9時51分
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  /::::::::::::::::       || |      もしもし、母ちゃん?
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  \::::::::::::::::       | ー ノ
   | :::::::::::::::    | i j  ̄ ̄ ̄|  いや別に用って訳でもないんだけどさ
   |  :::::::::::::    ゝ__/____i  どうしてるかなって思って
   |  ::::::::::     /      /
  (__(__   ヽ⌒⌒⌒ヽ   うん、それじゃ
  /  ,_/  ___ノ    /    いつまでも元気で長生きしてな
  `ー'  `ー'       /     父ちゃんにもよろしくって伝えて


名前:aiko 日付:5月13日(水) 21時25分
5月13日(水)18:36
治療の求め場所はいろいろあると思うのです。クリエーションに求めるか、それ以外に求めるか。クリエーション以外に求めた場合、当然クリエーションの代替となるわけですから、それを望んでいない場合は結局不幸です。しかし何をもってクリエーションというのか?クリエーションとそれ以外を分けることは難しいと思いますけれども、どんな形であれ、本人が満足し、幸せに生きられるのが大切であると思います。

名前:あいこ 日付:5月14日(木) 11時0分
おしりというのは二個の球体なのだな。今日、ティーシャツにリュックにスニーカーにスカートに黒たいつ女子が俺の前を歩いていたんだけど、かわいいと思って、けつを見たら二個の球体があるわけよ。なんだこれと思ったけど、おしり。黒たいつごしに二個の球体。柔らかそうな二個の球体。黒たいつの下にぱんつ。ぱんちらとは違うよね。二個の球体が見えた。おしりって柔らかそうなんだね。知らなかった。二個の球体なんだね。女の子のけつには例外なくあれがついているわけでしょ。二個の球体が。不思議だなー。おしりって二個あるからいいんだよね。なんで二個あるんだろう。がに股気味に歩いてたんだよ。脇が開いてるわけ。で、かわいいっていう。結婚候補。ていうか俺は顔は見ないな。服装とか振る舞いとか髪型、雰囲気で結婚候補に入れる。スカートが上に上がってたんだけどね。途中で気付いて下ろしてた。かわいい。別れるのが惜しくて目に焼き付けたよ。ずっと忘れないでいようと思った。あの黒たいつごしのおしりを人生の目標にした。

名前:あいこ 日付:5月14日(木) 12時16分
自分の中にまだ生きていたいという気持ちが残っていることをはっけんしました!おめでとう!

名前:あいこ 日付:5月14日(木) 17時57分
彼に会ったあと、その会っていた時間が五分くらいであろうと、そのあと一時間から二時間くらいは、生気を吸い取られたように感じ、身動きが取れなくなる。また、ある時は、彼と会っている最中、または会った後に、世界が恐ろしく空っぽであるというような、この世界には何もないというような、希望のないような状態になることが何度かあった。あれは恐ろしい感覚だった。というか、あれ以上恐ろしい感覚は経験したことがない。自分は生きるための努力を必死にしてきたが、それらがすべて無意味だということを感じ、これから先も、生きるための努力をすることは意味がないと感じるのだから。彼と会うことでそれを感じたのは二回だったと思うが、あんなのは一度だって経験したくはない。だから彼と会うのが恐ろしくなった(だから会っていない)。あとで思ったのだけど、あれは彼の心の闇だったのではないか。彼は、自分の心の闇を俺に押し付けたのではないか。自己愛性パーソナリティ障害によるモラルハラスメントというものに関する本を読んでいたら、自己愛の人間は、被害者に自分の心の闇を押し付け、抑鬱状態にすることで、自分は心の葛藤を感じないで済むようにしている、と書いてあったから(加害者=自己愛者が、第三者から見ると不自由なく生活しているように見えるのは、自らの心の闇を被害者に押し付けているからだ)。もうずっと会ってはいないが、いまも生活の全般に渡って、そのような空虚のようなものは常にある。空虚というか無関心な攻撃性というか…世界がね。普通の人が「のどかだ」とか「おだやかだ」とか感じるような、音だとか景色だとか状況を前にしても、ただ自分を無関心に攻撃してくるものにしか感じられないことが多い。

名前:aiko 日付:5月15日(金) 11時3分
目標を持つこと

キイワード:アイコ、佐野康夫、アイコの聴いていた音楽

アイポッドクラシックの使い方が分からない。不必要な音楽も大量に持ち歩くことになるし、自分自身、何が自分にとって重要な音楽であるかを把握していないのだ。それはすなわち目標を見失うことでもある。アイポッドナノに最小限の音楽を取り込み持ち歩くことは、自分の目標を常に確認し続けることでもあった。「目標を確認し続ける」ということが必要なのだ。目標を見失いながら日々を過ごすのは不安なものだ。

名前:aiko 日付:5月15日(金) 11時13分
キイワード:アイコ、佐野康夫、アイコの聴いていた音楽、ティンパンアレー周辺による歌謡曲

名前:aiko 日付:5月15日(金) 11時16分
ティンパン、はっぴいえんど周辺というのが重要だ。ずっとこの辺からは離れていたからな。

名前:aiko 日付:5月15日(金) 11時33分
あと、ペレスプラードなどのラテン音楽。スカパラもよい。
ソウルミュージックは和田アキ子など。50年代~60年代のソウルのドラミング。レイチャールズも含む。ジミヘンドリックス。プリンス。

名前:aiko 日付:5月15日(金) 11時35分
いまのわたしのしていることは、努力になっているのか?将来わたしをよりよいところへ運んでくれることを保証してくれるものなのかどうか?常にそのことを確認していたい。

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2012/01/08 (Sun) 09.5月3日(日)~5月4日(月)

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 9時54分
関係ないけど、いい曲。由利あけみ。
http://www.youtube.com/watch?v=au7njw4nzWw&feature=related

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 14時20分
俺は苦痛を苦痛として認めることが苦手だ。というよりも、日常的に苦痛を無意識に認識しないようにする習慣がある。「苦痛なのか?」と聞かれても「わからない」としか答えられない。でも、楽であるわけがない。

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 17時25分
アシッドだ。からだの中を酸が焼いていく。かあーっとなっている。目の内側に黒い膜がべったりと張り付いているみたいで、世界が何も見えない。もちろん何もやりたいことなどない。世界の何もかもが攻撃的で、神経に障る。だから目をつぶり、耳を塞ぐ。目をつぶっても、視覚からは逃れられない。世界がうるさい。ここ何日間か、一日じゅうこのような状態が続いている。目をつぶって息をしていないでいるのがいちばん楽かな。一秒一秒を耐えしのぶ。

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 17時36分
そんな感じなのでぼくはもう無理です。次の段階に行きます。

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 18時10分
というか、「苦しい」と言ってはいけないわけでしょ。苦しい人間なんてこの世に一人もいないんだから。楽しいって言わなきゃいけないわけでしょ。この世に生きてる人間はみんな等しく楽しいんだから。だから「苦しい」って言ったらそいつは嘘つきってわけ。

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 23時47分
ぼくはそろそろ生きるのを始めようと思ったわけ。

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 0時26分
現実(=リアリティー)とは何か?現実とは、「現実である」と感じられるものを指す(と考えていた)。現実にもいろんな形がある。安易な実感を手にし続けることに抵抗を覚えていた。確かに、これは、無重力、真っ暗闇だ。俺は「戦い」を辞めることになるのか?俺は本当に、ただ単に「リアル」から逃げていただけだというのか?目まぐるしくエネルギーが通う感じ…あれが怖かっただけ?ただ単に、俺はアイコから離れているのが怖かった…学校へ行って…アルバイトをして…一日の大半の時間、アイコから離れなければならないのが怖かった。アイコに関することで未整理の問題が多すぎるのだ。だから、忙しさから解放されて、aikoの問題とじっくりと向き合ってみたいと考えていたのだ…そうだ、環境には環境の求める行動がある…俺はこの環境、学校もアルバイトもない…この環境は、「aikoと向き合うため」に選んだものじゃないか。だから、一日の大半をaikoのために費やさなければ、苦しくなるのは当たり前じゃないか。なんのために学校やなんやかやを犠牲にしているんだ?aikoを起きている間じゅう見ていなければならないはずだろう?別に学校へ行くのを辞めたことや、アルバイトを辞めたこと自体はそんなに間違ったことではないはずだよ。問題は、aikoを見ることに一日の大半を費やしてはいないことだよ。つまり、aikoと一対一になりたかったんだろ?言ってみれば、真剣勝負の一騎打ちがしたかったんだろう?学校へもアルバイトへも行かなければ、自分の「本当に大切なもの」が自分に対して揺さぶりをかけてくるはずだからな…当然命懸けにもなるわけ…だからこれからが勝負なんじゃないか?いま、この異常な症状が起こっているということは、俺の無意識が本格的に姿を現したってわけ…aikoを見続けていれば、緩和される?つまり、aikoによってコントロールされていると感じる…それが、とても嬉しいわけ。aikoを見ていないことによって、死ぬような苦しみを受ける。aikoを一日じゅう見ていなければ、文字通り「生きて」いけなくなる(比喩的な意味ではなく、身体症状のために、自殺に追い込まれる可能性がある)。しかし、自殺をする必要はない。aikoに戻ってくれば、aikoが助けてくれる。苦しみも、aikoがいるためにあるのだから。問題は、俺が「aikoが必要なんだ」と思っていなかったこと?

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 1時37分
ていうか無理。ここは駄目だ。学校へ行こう。アルバイトも始めよう。その前に病院へ行こう。

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 18時58分
人体模型みたいに皮膚が全部剥がれて筋肉や眼球がそのままむき出しになっていて、周りの人間の話す声がとがった刃物になって、その赤い筋肉やむき出しの眼球を直接に攻撃し、「いちじくいちじく」という音がする。耳を塞いでも駄目。

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 19時23分
自分が、間違っていると思う観念、植え付けられた観念も含めて、それが間違っているんだと、俺以外の誰かも、俺に言ってくれないと、俺はその誤った観念に縛られ続けるんじゃないか。俺一人が、それを「間違っている」と思っているだけでは、俺はその観念から自由になれないんじゃないか。俺が「これは間違っているよね」と言って、それに対して「うん、間違ってるよ」と言ってくれる人というか、言ってもらえることが必要なんだと思う。そういう人が一人もいないから、俺はその考えに支配され続けているのかも知れない。俺が「間違っている」と言っても、この世界の俺以外の人間は全員、「間違っていない、間違っているのはそれを間違っていると思っているお前の方だ。お前は正しい考え方に導かれたのだ。いまのお前は最高に楽しいのだ。楽しくないというのなら、お前は嘘をついているのだ」と言うと思うから。「間違っている」と思っている俺のことを、「可哀想な病気の人間」と見なして、俺の考えや価値観を矯正しようとしてくると思うのね。「間違っている」と言っている人間は世界に俺一人だと思うの。味方は誰もいないと思うの。「間違っている」と言っても誰も同意してくれないもの。

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 19時46分
俺はここで死んでも何かを失うのだろうか?もともと生まれる前はゼロだったし、またゼロに戻る。それだけのことじゃないか。

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 19時47分
助けてよ

名前:あいこ 日付:5月4日(月) 20時2分
助けなくていいよ。というかここに何を書いても何の意味もないな。気付くのが遅い。

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2012/01/07 (Sat) 09.5月2日(土)~5月3日(日)

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 1時11分
「楽しい」ということがもう何年も思い出せないのだけど、「楽しい」というのは、境界のはっきりしたものではなく、もっと空気みたいなもの、雰囲気を指すのかも知れないな、と折りに触れて思う。懐かしい感じとか…胸の暖かさとか…「保証されている」感じとか…胸の痛みとか…俺が「リアリティ」とか呼んでいるものも、楽しさと関わりがあるんだろう。「楽しさ」というのは「これをしているから楽しい」とか、俺にとってはそういうのではなく(そういうのもあるんだろうけど)、何もしてなくても楽しいとか、空気に近いものなんだろうな。俺はそういうのをいままでに「正しいことをしている」という風に表現していたかな?俺はずっと「正しいこと」を追っかけてきた。ある種の楽しさ、世界の心地よさを感じられる世界だね。こういうのは、他人に説明しちゃいけないんだ。というのも、「世界の心地よさ」ってのは普通の人には理解できないから。普通の人は、常に24時間365日、その「世界の心地よさ」の中にいるから、それを「求める」なんてことはおろか、それが存在していたことにすら気付くことはないんだから。経験していれば分かるし、していなければ分からない。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 2時2分
当たり前なんだけど、「これがなければ生きていけない」というのは本当にあるんだよね。物理的に死ぬわけではないけど、何かを手放すことで、死んでいるのと同じような状態になることはある。物理的に死んでいるわけではないけど、それは場合によっては一日を生きるのも不可能であるかのような苦しさを感じることにもなりうる。

「人はパンのみのために生きているにあらず」とかいうけど、これは道義的な問題ではなくて、もっとフィジカルな問題だと思うね。

人は絶対に自由ではないと思うね。いや、自由にさせられてはいけない。自分の意志から束縛されないと駄目だ。自由だと誤解してはいけないよ。自由になったつもりでいるだけだ。でもそれはおまえの生なのかい?俺は手放したくないよ。

つまり、何が言いたいのかというと、俺はアイコが好きだってことだよ。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 9時39分
俺はもう一ヶ月間も、音楽に触れるのが怖くて、意味のない音楽を聴き続けていたようである。長い間逃げていると逃げているという自覚もなくなる。改めて音楽を耳にすると、音楽を聴いてなんらかの意味で動かされても、かえって「自分は何をすればいいのか」という失うことの恐怖を感じる。まあそれを感じるのが怖いから、「音楽を聴いて動かされる」ということを避けていたのだろうけど。音楽を聴いて動かされても、そのような世界?その、自分を動かす要素?それを手にしたいと思うわけだよ。それを手にするためにはどうすればいいのか。漠然としているわけだよ。何が自分を動かしているのか?せいぜい、その「自分を動かしているもの」をひたすら見続けるしかないよね。その中で、自分を動かしているものの成り立ちが少しは理解されるのかも知れない。どのみち、見ていないと駄目なわけだよ。俺は見てすらいないわけだよ。「生きているのか死んでいるのか分からない」とか言ったけど、俺は自分で進んで自分をそういう状況に追いやっているわけだよ。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 11時20分
逃げる権利が与えられているのは「自由」とも言えるけど、自由な環境で意志のままに生きるのはとても難しいとも言えるね。環境が制限されていればされているほど、自分の「好きな」ものに向かっていきたいという力が強くなってくるからね。一日のうちに10分しか会えないと分かっていれば、その10分に賭けるわけ。逆に、「いつでも会える」と思っていれば、「いまは会わなくてもいいや」という風になりがちなんだね。人間は柵を作った時に文明を手にしたというが、同時に自由を手にしたんだね。自由というものは常に制限を伴うものだ。つまり終わりを連想させるものが、人間にはどうしても必要なんだよ。死ぬことだとか、何かを失うことだとかね。終わりはないかのように思いながら日々を過ごすことも出来るけど、それはまやかしだからね。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 12時33分
よく言われる「子どもの持つ純粋さ」というようなものがあるだろ。あれを突き詰めるとその人は哲学者になる。結果としてだけど。ある時期までは誰もが哲学者なのだというのもよく言われる話。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 14時11分
ある状況において、最も読むのが苦痛なのは、日常的な事実の記述。「どこどこで~を食べた」「夕方~に行った」理解ができないのだ。それがどういう物事なのか、自分がそれをしたらどういう気がするものなのかがまったく想像出来ないのだ。それよりも、非現実的な事柄、哲学書に近いような内容の文章、詩だとかの方が抵抗が少ない。それは、自分が(悪い意味で)観念的な生活をしていることの証左なのかも知れない。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 16時46分
解った。二月にセブンイレブンを辞めた時、その時、自殺。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 18時16分
スーパーで母の日ということで、子どもの絵がずらっと展示されている。小学校高学年くらいの絵がいちばんいい。その中で漫画家の井上三太の絵にそっくりなのを発見。名前を見ると井上翔太。息子?

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 1時55分
解りきってるんだけど、俺は何かを認識するのに物凄く時間がかかるみたいなの。「これがなんなのか」ということをね。それがある程度認識できるようになるまでは、それが存在しているようには思えないのね。リアルじゃない。実感がついていかない。ものによっては普通に数年かかるわけよ。安心できないわけよ。慣れないわけよ、世界に。

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2012/01/06 (Fri) 09.4月29日(水)~5月1日(金)

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 16時7分
交尾である以前に交接でなければならない。例えば、恋人同士が視線を交わし、一種の雰囲気が生まれる、あれも交接だ。接触を伴った交わり。接触というのは精神の接触を伴ったものでなければならない。挿入が本番なわけでもない。果てたあとでも、お互いの身が物理的に離れていても、交接は続いている。挿れるか挿れないかはたいした問題ではない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 16時17分
つまり、執拗な内向性が、他者の同様に執拗な内向性と結果的に出会い、繋がる。外を見るのではなく、内を見ることによって他者と繋がる。セックスに於いてもそのようなコミュニケーションが生まれるといいですね。セックスに限らないんだけどね。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 19時57分
相手の顔を見つめることを通して自分の内面深くに降りていこうと試みる。その結果、その相手と繋がることもある。コミュニケートというのは、自分の内面を通してなされるものだ。つまり、誰もが「外界」を見ているつもりでも、自分自身の内面を見つめているに過ぎないのだ。誰かを近しく感じるということは、自分の思考のプロセス、想像のプロセスがその人と共有されているということだろう。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 22時30分
毎日毎日、初めての物事がいっぺんにいくつもやって来るのだ。気持ちがついていかない。この二年間?三年間?毎日だ。何故だ?

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 23時47分
もし誰かから生きる意志を剥奪することが出来るのだとしたら、それはとても奨励されることであって、何も悪いことではないし、この世に生きている人間は一人残らず全員、誰かから生きる意志を剥奪されたり、剥奪したりしているわけであり、わざわざ話題にあげるまでもない、些細なことなんでしょ?みんなそういうこと言ってたよ。俺の会った人間はみんなそう言ってた。俺の会ってきた人間もみんなこのようなことを経験しているんだな。一人でも経験したことのないやつがいたとしたら、俺以外の人間は全員嘘つきだな。ありふれたことなんだろ?こういうの。みんな、この世に生きてる人間は全員、誰かから生きる意志を剥奪されて、あとは死ぬのを待っているだけなんだろ?その辺のガキも、大学生も、みんな一人残らず、誰かから生きる意志を既に剥奪されていて、死ぬのを待っているだけなんだろ?そうでなければ俺以外の人間は全員嘘つきということになる。笑ってるやつも全員、「死にたい」と思ってるんだろ?みんなそう言ってたよ。俺のいままでに会ってきた人間はみんなそう言っていたよ。俺だけじゃないんだよな?

名前:あいこ 日付:4月30日(木) 15時31分
認識されなければ、存在しないのと同じだ。人がいちばん生きている実感を感じられるのは、愛を伴った視線を受けている時なのかも知れないな。誰かの中に自分が存在しているんだと信じられることがね。

名前:あいこ 日付:4月30日(木) 19時59分
俺はふとしたきっかけで、去年の六月に時間が戻るのだと本気で信じているようだ。これは夢なんだと。夢だからいつか覚める。目が覚めれば、去年の六月。間違いに決まってる。またもとの世界に戻ったんだ、よかった。みたいにね。というのも、この一年間が、「言葉」にしか感じられないからなんだろうね。ぺらぺらの言葉。時間すら過ぎていないように感じる。だから、時間が去年の六月に戻ってから、それから人生を始めようと思っているみたいなんだよね。だから、いまは時間が去年の六月に戻るのを待っているのだと思う。それが起こると本気で信じてるみたいなんだよ。不可能なことだとは思わない、というか、これが間違いなんだと思う。時間が戻ってみれば分かるよ。やっぱり夢だったんだって。納得するんじゃないの。それを待っているんだと思う。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 1時12分
いまの俺にとって、「機能性」というのはまったく問題ではない。「自分は世界に対してどのような位置に在るのか」ということが理解しやすくなるような環境にいないといけない。それを理解することが自分にとって最も必要なことなのだから。

そもそも効率性や機能性というものは目的が明確な時に初めて意味を持つものであり、進むべき方向性を見失えば忽ち意味を失ってしまうものだ。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 1時42分
一人暮らしの人間が風邪を引くと心細いのと同じことなのか、離人症状を主症状とする精神障害を持っていて、日常的に言葉を交す人も一人もおらず、誰にも必要とされていると感じられない、いまここで死んでも家族以外には誰にも気付かれないままだろう(死んでも誰にも影響を与えない)、そんな人間が毎日を、過度の疲労にも関わらず、眠れずにいるのは、「誰も助けてはくれない」というのを強く感じるものですね。(でも、一人暮らしをしている奴が風邪を引いたって、どうせ友達とやらが冷やかしに来てくれたり、風邪が治れば、すぐに心細さなんか感じなくなるだろう?)毎日毎日、いつ終わるとも知れないんですよ。健康もない、金もない、友達もない。先もない。いや、先は信じてるけど…友達というのは、いろんな感情を共有するような、そういう関係を言っているんだけど…人間と話していても、まずすぐに「この人とは共有できない(自分の普段感じている感情はこの人にはまったく理解されない、この人の日常的に感じていることは俺にはまったく理解できない)」というのを感じるから、友達にはなれないね。当たり障りのない話するくらい。まあ当たり障りのない話だけでも価値があるのかも知れないけど。まあ当たり障りのない話をする相手すらいないんだけどね。そういえばもう一ヶ月以上、家族以外とは誰とも言葉を交してないな。いま俺がいなくなっても誰も気付かないだろう。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 3時48分
俺は去年の七月に殺されたんだな。死ぬ時期を逃したのだと思っていたけど、違うやり方で殺されただけだったんだな。いま何かの手違いで肉体だけここにある。去年の七月までは、俺は完璧過ぎるほど完璧な人生を歩んでいたと思っていたんだけど、もうそこから先はなくなっちゃったみたいだね。永久にないの。いまはもう流れみたいなものはない。無意味な瞬間が向こうから終りなくやってくるだけ。俺はいまは「死んでいない」というだけだよ。でも俺にも生きている時があったんだよ。あれから先もずっと生きていけるはずだったんだけどね。これから、自分の人生はよくなっていくんだと思っていたんだけどね。でも良くなる前に一人の人間によって潰されましたっていう。それで終わり。それでいまは後日談みたいな人生を送ってるわけ。それが死ぬまで続くんでしょ。いま死ぬか、あと60年、後日談を生きるか。どっちも同じだと思うんだけど。もう終わっているという意味でね。生きていれば、自分がどのような意味で殺されたのかということがこれから段々明らかになっていくだろうから、それを見るためかな。俺が殺される時、俺は親にも助けを求めたと思うけど、少なくとも親は救ってくれなかったね。問題は俺がもう生きたいと思っていないということかな?一人の人間が俺を殺したのに、そいつは罰せられていないんだよ。
明日も同じだろう。何の進歩もない日々が続いていくのだろう。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 3時51分
分かる?一秒一秒が地獄なの。それが終わる見込みがないの。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 19時5分
俺のしていることは常に実験であり、観察なんだということをこの四日間くらい、忘れていた。そのために死にかけた。俺は音楽を聴いていて「楽しい」と思ったとしても、「楽しいと思った自分」を観察してるだけなの。そういう意味で「これが本番だ」と思って何かをやることなんてまずないわけね。「これをやってみたらどんな気がするものかな」って思ってやるの。常に世界と自分との距離を測っていないと駄目なんだな。何が重要かって、「あれをした時にどんな気がしたか」っていうデータだな。そういう過去のデータから、いろんな予測をたてる。データを集めてるの。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 20時33分
たまに、自分のいまの生き方、日々の過ごし方は間違っている、つまり、「こうすればよくなるのではないか」という考えが浮かび、希望のようなものを持つことがある。けれど、いつも一時間もすればそれが妄想に過ぎないことに気付く。「絶望していない振り」をするのに耐えられなかったことを思い出す。束の間でも将来に対して希望を持っていたことを馬鹿のように思う。俺は間違ってはいない。俺は間違ってはいないということを信じられるまでは、俺はどこにも行ってはいけない。「自分で選択しているのだ」という実感を取り戻すこと。

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2012/01/04 (Wed) 09.4月28日(火) ~4月29日(水)

名前:あいこ 日付:4月28日(火) 20時52分
俺は楽になりたかったわけでもない。苦しいわけでもなかったしね。楽でもなかったし、苦しくもなかった。でも何故か、俺を見て「こいつは苦しんでる。だから楽にしてやらないといけない」とか考えるやつがいるわけよ。俺がいつ苦しんでるなんて言ったよ。勝手に苦しんでる人間にしてんじゃねーよ。それでてめーの考える「楽」ってのを俺に押し付けてんじゃねーよ。その時までは、苦しくも楽でもなかったが、「生命の自立性」というのがあった。理屈ではなく、生命の方向性に委せていくことが出来た。その生命は、力を持っていた。いまは、自立した生命を感じることはない。あるとしても、殆んど見ることが出来ないくらいに微かなものだ。これも、彼が俺を「楽に」してくれたおかげだろう。苦・楽という二元論を押し付けてくれたおかげだ。「楽を求めてもいない」なんて言っても、殆んどの人間には一生理解できないんだろう。そして、俺はそういう人間とは会話をすることが出来ないだろう。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 0時49分
まあ、俺は一種のクリエイティビティを捨てて、というか強引に捨てさせられて、「健康」を手に入れたわけだ。いちばん大切なものを失ってまで手にしたその「健康」とやらはそんなに素晴らしいのか?この、何を見ても痛みも喜びも感じない、なんの希望もない状態がその「健康」ってやつなんだろうな。だからもう、人生が終わってるわけだから。もうこれ以上生きていたって、蛇足というか、後日談というか、もう終わった人生について考える時間でしかない。もし、「終らせられなかったら」、どのような人生になっていたかを考え、あとは死ぬ準備をするだけ。死ぬ準備をするにしても、いい思い出のようなものが必要なんだけど、始まる前に終らせられたからね。思い出したいことなんて何もない。だから昔を思い出さないようにする。なるべく、昔を思い出さないようにしながら、死ぬ準備をする。そもそも、記憶をなくせば、死ぬことも考えなくなるのかもしれない。この世にどんな素晴らしいものがあるのかを忘れることが出来るし、自分はそれを見ることが出来たのだということも忘れるから。そうすれば、「自分は失ったのだ」という認識もなくなる。いま俺の毎日目にしているものは、なんの意味もないものだ。「意味がない」と思うのは、この世界にある「ある素晴らしいもの」がもうそこには見出せないからだ。俺はそれをかつては見ていた。いまはもう見えない。だから「意味のない」ものとしてしか映らない。これを「意味のない」ものと思わずに、単純に楽しむことが出来れば、俺は生きていけるかも知れない。けれども、そうなるためには、俺の中にある、世界にある「ある素晴らしいもの」を見たという記憶を消さなければならない。この世界で最も美しいものを見た、その記憶を消さなければならない。俺の夢は、その世界で最も美しいものを追いかけることだった。俺の夢もろとも、俺のこの人生に最も求めているものもろとも、その記憶を消すことが出来れば、俺は生きていけるだろう。しかし、それが正しいことなのか?
記憶があるために、何を見ても何も感じなくなった。ある時期までは、世界は意味のないものではなかった。いまも毎日、世界に意味が戻るように頑張っているつもりだが、まったく戻ってくる気配がない。意味のない、認識。毎日が「そこそこに心地よい」だけで過ぎていく。そこから抜け出せる気配がない。ある時期まで常に自分にあったものは、もうなくなった。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時0分
いまの俺は、「たまたま生き残っているだけ」と言った方がしっくりくる。別に生きてるわけじゃない。ただ肉体がここにあるだけ。何故か判らないけど、まだ死んでないっていう、それだけ。おまけの人生を生きているという感じがする。もう死んでいるはずだから、いつ死んだっていい。そういう意味で自由。執着がない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時7分
壁を殴ったりしても、そもそも疲れ果てていてそれすらも。ナイフか?ナイフであいつの顔をぐさぐさに刺しまくればいいのかな?そういう想像が俺を救うのだろうか?壁を殴ってもキリがないんだ。だからただこらえるしかない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時37分
もういまここで死んでもいいかなとも思う。何故か恐怖を感じない。でも考えてみたら、これは究極のポジティブ思考ではないか?やつのいう「おまえはもっとポジティブにならないと駄目だ」というのが奏効しているわけか。やつの望み通りだ。ポジティブシンキングなどというのは、結局は生の欲望の否定だからな。本当にポジティブシンキングをすれば、その人はその場で自殺をすることになる。死ぬことだって前向きに捉えればいいわけだ。なんでも前向きに捉えなければいけないからな。じゃあ死のう。

そもそもなんのために「ポジティブシンキング」などをするのか?「生きるため」だろう?なんでも前向きに捉えて、つまり誤魔化して、問題なく生きていける人ってのは、よっぽど楽な人生を生きてきた人だろう。「前向き?」「そっちは後ろじゃないのか?」前、後ろ…言葉の遊びだ!前を向かなければならない…「前」というのはどのように規定している?「前」なんてのは酷く曖昧なものじゃないか(そもそも前とか後ろとかそういう概念を持ってくる時点で馬鹿げてる。)。ポジティブシンキングをしてるやつはなんで自殺しないのだろう?なんでもポジティブに考えろよ。自分の首を剃刀で切ってさ、喉から血が吹き出してるのを見て、それを前向きに捉えろよ。生の欲望関係なしに前向きに捉えるんだろ。馬鹿になれば最高なんだろ。だったら馬鹿になって死ねよ。電車に飛込めばいいじゃねーか。最高にポジティブじゃねーか。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 13時2分
いろんな比較が溶けていた。おそらく俺はそれが耐えられなかったんだろうな。例えば、いま自分のしていることが間違っていると思う。それで、正しいことに戻ってくるためには、正しいことがどんなことだったのかを覚えていないといけない。もともとぼくは黒のところにいました。白のところにいきました。なんか違和感を感じます。黒のところに戻りました。こっちの方が正しいと思いました。白はぼくには合わないと知りました。これは簡単でしょ。いまの俺は、そんな単純な比較をすることの出来ない状況に置かれているようだ。

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2012/01/04 (Wed) 09.4月26日(日)~4月28日(火)

名前:あいこ 日付:4月26日(日) 20時30分
俺は「一年を失った」と言ったけど、その一年というのがどれくらいの長さなのか判らない。記憶がないというか、三日くらいにしか感じられない。だから、俺は実感としては三日間を無駄にしたくらいにしか感じない。けれども、自分の周りの世界を見ると、三日間ではなくやはり一年間が過ぎている。俺は三日しか過ごしてない。けれども、カレンダーを見ると一年が過ぎているし、世界はこの一年の間にもいろいろと変わったようだ。

いまはこんなにも生きている実感がある。一秒ごとにクリエイトしている。俺がクリエイトするんじゃない。世界の方が勝手に形作られていく。

名前:あいこ 日付:4月26日(日) 20時35分
肯定的なことを書いたけど、世界ってのは、まあ自分の生き方次第で酷くもなるし、よくもなるっていう、それだけなんだけど。成功もすれば失敗もする。

名前:あいこ 日付:4月26日(日) 21時51分
テレビの音声が消音にされていると、テレビの映像の持つ視覚的訴え自体の力も弱くなる。音声があることで、映像と音声の関係が示され、映像と音声それぞれの意味合いが強固になる。よりdefineされる。意味というのは、或るものそれ自体では存在しない。他との関係があってはじめて意味性が生まれる。

もっとも、俺は視覚よりも聴覚の方が発達しているので(比較したらだよ)、AVを見る時も、映像だけを見るよりも、音声だけの方が抜ける。やはり、音というのは物凄く大事。唾液の音とかね。キスする時の、ちゅっぱちゅっぱ、ぶちゅぶちゅ、ぴちゃぴちゃした音が素晴らしいの。舌と舌の絡み合う音がね。お互いの唾液の混ざり合う音がね。お互いの舌を舐め合う音がね。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 11時5分
俺は所謂「アート」というもの(美術手帖的なもの)から、ずっと離れているのだけど、相変わらず、自分の関心の中心のひとつはそういう所謂「アート」にあるのだと再確認した。美大生的なやつよ。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 17時8分
どのような形であれ、人間にはファンタジー(=空想)が必要なのだ。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 17時32分
現実というのはすべて頭の中で起こっていることだ。その人が表面上は、学校へ行っていたり、アルバイトをしていたり、「普通の」生活をしているように見えても、その人の認識している「現実」がどんなものなのかは、他の人には誰にも判らない。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 17時37分
俺はいま、去年の六月をやり直してるだけなの。いま、2008年の六月だと思ってるんだけど、違うのかな。時間については考えないようにしている。いまは2008年だから。時間は過ぎてないから。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 19時19分
ある種の記憶をなくせば、それによって呼び起こされる現実もなかったことになる。それを喜べるかどうかは、別問題。なくなったとしても、人生は続いていく。死ななければね。

名前:あいこ 日付:4月27日(月) 19時55分
ある種の記憶をなくせば、それによって呼び起こされる現実もなかったことになる。それを喜べるかどうかは、別問題。

名前:あいこ 日付:4月28日(火) 0時1分
記憶―現実
頭の中=随時、時と場所を選ばない
記憶、現実

名前:あいこ 日付:4月28日(火) 1時38分
やはり、いまのところ、「前向きに生きている」というのはまったくなくて、死ぬのを先伸ばしにしているという感覚しかない。いつまで続くのか。

名前:あいこ 日付:4月28日(火) 19時20分
「恋人と毎日セックスしている」というのは全然猥褻な感じがしないのに、「恋人もいないで毎日一人でオナニーしてる」というと猥褻というかうしろめたい感じがするのはなんでだろう?むしろ生身の人間と体液を溢れさせながら交接してるって方がよっぽどすけべじゃんか。

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2012/01/03 (Tue) 09.4月24日(金)~4月25日(土)

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 23時34分
俺は環境の変化をとても嫌う。部屋の棚の位置を少し動かしただけで頭痛がして吐き気がするのはよくあること。アイポッドクラシックを学校へ持って行った時も死にかけた。「自分はここにいるんだ」というのをしっかりと認識した上でないと、次の環境にはいけないですよ。俺の場合は、いまいる環境が、どういう場所なのかが判らないから、新しい環境が入り込んでくると、「自分はどこにいるのか」っていう風に自分はどこにもいないようになってしまう。だから、俺のやるべきことは、いま自分のいる場所がどういう場所なのかを理解すること。それまでは、ここからは一歩も動くべきではない。というか、この作業?はもう2年くらい続けているんですけど。

慎重にならないといけない、本当に。この1年間で、俺がいままで慎重に作り上げてきたものすべてが壊されたわけだから。それまでは、慎重に、自分に必要なものだけをまとってきた、そういう方向に努力してきたんだけど。でもこの一年間で不必要なものばかりを手にして、それらと時間を共にしてきたから、自分に必要なものが判らなくなった。

「適当に生きればいいのだ」とかいう、わけのわからない考えを押し付けられたわけ。その結果がこれなの。

だから、また、自分にとって本当に必要なものだけを選んで、身の周りに置くようにして、それらとだけ時間を過していかないといけない。自分の周りにある、時間をかけて築き上げていった無駄なものたちをすべて捨てて。膨大なんだ。一年間だから。

まだ「一年間を失った」と後悔する段階にも来ていない。まだ身の周りには無駄なもので溢れているから。それらと共に過している限り、自分の人生は戻ってこない。無駄なものをすべて捨てて、その時にはじめて、「1年間を失った」と後悔できるのだと思う。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 0時14分
考えてみたら、生まれてから去年の7月まで、俺は一貫して慎重に生きてきたんだな。自分では意識していなかったけど。そういう生き方が当たり前だったんだ。常に、「いま自分のしていることは間違いなんじゃないか」という疑問を持ちながらやっていたと思う。

だから、自分が何かを選んでいても、いつでもそれを捨てることが出来るようなところに自分の身を置いていたと思う。「これに没頭する」とか、頭で決めたことは一度もなかったと思う。だから、ずっと夢みたいなものも持ったことはなかった。

自分が、ずっとそういう生き方をしていたことすら、忘れていた。

ずっと、「自分が間違ったことをしている場合、その間違いに即座に気付かないといけない」と考えていたんだけど、間違ったことを一年も続けていると、もう正しいところに戻ってくるのは容易じゃないね。

というのも、何を「正しい」と感じていたのかすらもう覚えていないんだから。

俺は、自分の価値観から照らし合わせて、明らかに間違っていると思われることを選択して、案の定というか、取り返しのつかない状態になっているわけ。

アルバイトの面接を受ける前から、明らかに間違っていると判りきっていたし、親なんかにもそのことを話していたのに、何故誰も止めてくれなかったのだろう?「明らかに間違っている」と3時間くらいに渡って親にも話していたのに、何故、親は「じゃあ面接になんか行かなけりゃいい」と言ってくれなかったのだろう?

親は、「ばっくれるのはよくない」とか考えていたようだったが、それは自分のいままで取ってきた価値観を捨ててまで遵守しなければならないものなのか?

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 0時23分
俺は、親の「ばっくれるのはよくない」とかいうくだらない価値観と引き換えに、自分の人生を失ったともいえるな。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 1時7分

http://www.youtube.com/watch?v=3DWYnlkKIpk&feature=related

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 21時53分
やはり、部屋の中の棚などの配置は、中立的でないといけないのか。というのも、いまの俺に必要なのは、いろんな物事との距離を測ることだからだ。すべてを並列に並べること。しかし、環境の変化を嫌っている割には、自分から進んで環境の変化を作っているように見える。俺には、世界において、それが自分にとって何を意味しているのか、どれだけ重要なのかが、何一つとして判らないのだ。判らない以上、何かを優先的に扱うことに抵抗を覚えるのだ。部屋の中の見えやすいところに置いているものは自分にとって本当に重要なものか?自分にとって重要なものが、押し入れの奥に追いやられていたりする。例えば、いま、本棚をひとつ、オーディオの横から、部屋の隅の方へ移動した。その代わりに、LPとその上にテレビを置く台をオーディオの横に持ってきた。これで、オーディオの目の前にいて音楽を聴きながら、テレビを(正確にはアイコのDVD、テレビの録画などを)消音して見ることが出来ると考えたのだ。LPも、オーディオの真横に来たので、いちいち聴きたいレコードを部屋の隅まで取りにいくちょっとした移動を省くことが出来る。しかし、やはりこれは大きな環境の変化だ。大判の漫画を入れた本棚が部屋の隅に追いやられたことが気に障る。あれは明らかに、自分にとって重要なものだ。あれらの漫画とは、これからもじっくりと付き合って、背表紙をいつでも視界に入るようにしていかなければならない。そうしないと、自分が、自分のいるべき世界から遠ざかっていくような恐怖を感じるのだ。部屋の、見た感じも、そわそわして落ち着かない。それが「慣れていない」せいなのか、それとも上に書いたような恐怖によるためなのかは判らない。いや、恐怖はあるんだ。けれども、この環境によるプラス面もあるわけだし、その恐怖も、日々を過ごしていくうちに、「俺は自分のいるべき世界から、少なくともこの環境のせいで離れていくことはない」と安心できるようになるのではないか。そう信じてみて、この環境でしばらく「我慢」して、生活してもいいのではないか。しかし、怖い。怖いことを敢えてやる必要があるのだろうか?一応、「よりよい世界」を求めてのことだったのだろうが、環境を変えなくても、世界をよりよくしていくことは出来る。却って、環境の変化がそれを邪魔することもある。しかしその逆もある。環境が変われば行動も変わる。なんにしても、変化は怖ろしい。怖いよ。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 22時6分
なんでこんなことしちゃったのだろう。自分のちょっとした気まぐれに耐えることは出来ない。なんで苦しいんだろう。部屋を眺めているから?生活していて楽しくというか便利になれるのだったらいいんじゃないの?いま慣れていないから苦しいだけでしょ。だからもう切り上げて、さっさと自分のやるべきことに戻ったらいいんじゃないの?音楽聴いたり本読んだり。それで何日か気にしながら過ごしてみて、それでも苦しいんだったら、考え直せば。まだ生活の変化の影響を受けていないでしょ。実際にその新しい環境である程度過ごしてみなければ。最初はどこだって慣れないんだから。でも切実に望んでいたわけではないよね。こうして環境を変化させなければ死ぬってわけでもなかったでしょ?生きていけたでしょ?ってことはどっちでもよかったってことでしょ?それでいま無駄に苦しくなってるわけ。なんでこの程度のことで苦しくなるんだ?いや、これは大したことだよ。無駄な不安を自分で作って、馬鹿みたい。怖い。怖い。慣れていない世界って怖い。そうだよ、俺がずっと求めていたことは、「この世界に慣れること」じゃないか。変わらないものを見付けること。ここにいれば安心していられるという場所を見付けること。そう、慣れることだ。変化は避けなければいけないんだ。

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