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2011/09/13 (Tue) 09.2月11日(水)~2月12日(木)

名前:aiko 日付:2月11日(水) 6時11分
今日私が寝られるのは、私が一日を生きたと感じられるからです。ただただ一日が続いていく…そのように日々感じていた間は、私は生きてはいなかったのでしょう。寝る時に、「取り敢えずは、今日で死んでもまあしょうがないか」と感じられる日々を生きていきたいです。私は生きるのが苦手なようです。

名前:aiko 日付:2月11日(水) 19時47分
おそろしいのは、自分が「こう生きるぞ」というような筋書きを自らに押し付けようとしていることだ。更におそろしいのは、自分以外の人間にも、俺に対して「こう生きろ」というように、なんの疑いもなく、そいつの考えた筋書きを押し付けてくる人間がいるということだ。

名前:aiko 日付:2月11日(水) 19時56分
半年振りに、「生き物」の存在を感じる。「生き物」が、段々と姿を現してきている。《人間は、絶対に、「生き物」の存在を否定してはならない。》

名前:aiko 日付:2月11日(水) 20時3分
つまり、この人間の身体や思考は「生き物」の乗り物でしかない。人間が生きているわけではない。「生き物」が生きているのだ。「生き物」を否定するのは最も馬鹿げた行為であり、暴力であり、殺人である。

名前:aiko 日付:2月11日(水) 20時48分
この半年間は、学校に行き、働いていた病人だったんだな。外から見れば、「現実的な生活」をしていて、「外の生活」とやらをしているように見えたのかも知れないけどな。あれが現実というのなら、俺に現実はいらないね。やつらの言ってる「現実」とやらは考えにしか過ぎないんだからな。つまり外に働きに出たり、「具体的」なことをやるのが「現実的」だと思い込んでるんだな。それで俺が不健康になれば更に俺のことを責めたてるんだぜ。つまり、やつは人間の意志だとか感情というものがすべて自分の思考でコントロール出来ると信じてるんだな。そしてそれを俺に押し付ける。苦しくなる場合、苦しくならないようにすることが(思考によって)可能なんだそうだ。それがやつのいう「プラス思考」というやつらしいんだけどな。

まず、やつの考えには、感情には良いものと悪いものとがある、という前提があるらしい。そして、「悪い」感情がやってきた場合には、「プラス思考」とやらでそれを排斥しなければならないらしい。やつのいう「悪い」感情というのは、苦しさだとか悲しさだとか、怒りとか、疑いだとか、そういうことをいっているんだろうな。それらがやってきた場合、思考によってそれらをなくすべくやりくりしなくてはならない。

名前:aiko 日付:2月11日(水) 21時4分
まあ多くの部分は言葉の使い方の違いに過ぎないんだけどな。「現実」という言葉の捉え方の違い。つまり、多くの人間は、現実感喪失という、医学的にいうところの離人症状というのを数年間に渡って経験したりはしていないわけでしょう。現実感というものを長きに渡って感じられなくなったことのない人間に、「現実感」というものが解るわけがないんだよ。だから、多くの人間は「現実感」というものを知らない。だから、「現実」という言葉も理解できないんだな。「現実」は当たり前なんだから。わざわざ話題に挙げるまでもないことなんでしょ。だから現実がどうのなんて言い回しを目にしたって、言葉遊びにしか聞こえないわけでしょ。具体的に「現実」というものを経験したことがないんだから。だから、多くの人間にとっては、「現実」というのはただの言葉にしか過ぎないんだな。「現実的」とか「非現実的」とかいうのはただの言葉遊びにしか過ぎない。「非現実的」というのを、「実現不可能な」とか、「シュールな」とか、そういう意味合いでしか使わないわけでしょ、多くの人間は。

だから、まあしょうがないんだよな。使ってる言葉が違うわけだから。当然、限られた少数の人間しか、離人症状というのを数年間に渡って経験することはないわけだからな。

名前:aiko 日付:2月12日(木) 1時25分
この半年間は本当に一瞬だった。未だ、今が去年の7月のような気がしてならぬ。しかし時間だけは進んでいる。カレンダーを見ると2月となっている。

名前:aiko 日付:2月12日(木) 2時0分
少なくとも、いまは、苦しいとか、現実感がないのは変わらないけれども、それでも「自分の人生を生きている」という感じはするのだ。現実感がないという事実を、自分の人生として見ることができるのだ。これさえなくなってしまったら、救いがない(この半年間がそうだった)。苦しくても、現実感がなくても、それを自分の人生として感じることが出来ていたから、「これから先はいい方向に向かうだろう」という希望的観測を持つことが出来ていたのだ。自分の人生でもない、現実感もない、これから先よくなる見通しもない、時を過せば過すほど取り返しのつかないことになる、失い続けることになる、というのでは本当に救いがない。この半年間は、何の誇張でもなく、地獄であったと思う。

相変わらず、現実感もない。苦しいことには変わりはない。しかし、この「現実感のなさ」や、苦しさを「自分の人生」として受け入れることが出来ている。少なくとも、この苦しさや、現実感のなさから始めることができる。少なくとも、自分の人生は進んでいくだろう。いくらでも救いはある。

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