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2011/11/04 (Fri) 09.3月21日(土)~3月22日(日)

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 3時21分
世の中のいろんな物事について興味を持てない(持たない)というのは、自分にとって失いたくないものがあるからだ。自分にとって大切なものがあるからだ。「大切だ」という気持ちが強ければ強いほど、「失いたくない」という気持ちも強くなる。その大切な物事に関係しないことに関わることに恐怖を感じる。

逆に、何にでも興味が持ててしまうというのは、結局大切なものなんて何もないってことじゃないの。この半年間、いや、一年間か、俺はどんな本を読むことにも、何をすることにも恐怖を感じなかったよ。なんでもいいわけ。「いろんな物事に興味を持たないと駄目だ」という彼の治療方針は成功したと思うよ。俺は、「何に対する興味もなかったから」、どんな物事にも手を付けることが出来たわけ。自分にとって大切なものがもう大切であると感じられなくなっていたからね。「失いたくない」という気持ちそのものがなくなっていたから、抵抗なしに失うことが出来たわけ。

この一年間を振り返ってね、「間違ったものが入り込んできていた」としか考えられないのね。この一年間は、ぺらぺらの紙切れのようなものにしか感じられないの。一行で言い表せそうだ。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 3時26分
こんな一年間を過ごしたことが、これからの人生に「役立つ」んだろうか?「役立つ」だって(笑)、馬鹿じゃねーの。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 4時25分
俺は何を手にしてる?これから何かが手に入るのか?俺だけがこのまま何も手にしないで死んでいくのか?

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 13時20分
だってアイコ以外に好きなものなんて何もないことなんて分かりきってることじゃないの…なんでアイコに向かって行きたいという欲を自分で抑えつけたり、どこかに追いやらなければならない?アイコを見ていない間に俺は何を手にしたんだ?こんなことを考えていることが奴に知られたら、また「なんでもポジティブに考えないと駄目だ。悪いこともポジティブに考えろ」とか言ってきて、俺がこう考えたり感じたりしていること自体を否定してくるのだろうか?悪いこと?悪いことは起こったよ。俺の直面している、「悪くないこと」を「悪いこと」として排斥しようとする、そいつの試みが成功してからね。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 16時19分
つまりね、欲ってのは部分部分の継ぎ接ぎで出来ているのではない。一部分の欲望が抑圧されれば欲望全体のバランスが崩れる。これは当然のことだと思うね。欲望なんてのは機械の部品のように交換可能なものではあり得ないわけ。

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 16時32分
愛を失ってまで生きていたくねえってことだ。生の欲望を失ってまで生きていたくねえってことだ。異論あるか?

名前:あいこ 日付:3月21日(土) 18時44分
やっぱり駄目だ…楽器は。こんなに虚しい思いをしてまでやる義務はない。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時29分
ただ、人間としての憧れがあるだけ。いま自分のいる場所が馬鹿に思えてくるような。そういう人間としての憧れ。実際、俺の手にしているものなんて、すべてくだらないわけ。俺の好きなもの(好き「だった」もの?)を挙げていくと、反吐が出るわけ。それは自分自身の反映でもあるわけ。自分の好きな(好きだった)小説とか漫画を挙げていくと、くだらないわけよ。

昔は、村上春樹の小説読んで、コーヒー飲んで煙草吸って、明け方にジャズを聴くっていう自分の生活がかっこいいと思ってたわけ。整頓された部屋で天気のいい日にキースジャレットを聴きながら、コーヒーを飲んでクッキー食べて、古本屋で買ってきたフランス文学を読むっていうの、そういう生活をしてたわけだから。

どっちかというと「ワイシャツ」が好きだったの。けど、「Tシャツ」が好きになったの(服のことはわからん)。サブカルチャー的なものに惹かれるようになった。ジャズを聴いてフランス文学を読んだりして文学青年を気取るのを辞めた。ECMよりも、ヴァーヴを聴くようになった。キースジャレットやパット・メセニーよりも、チェット・ベイカーや、アニタ・オデイを聴くようになった。呪術的で、生理的なものを重視するようになった。漫画は台詞がなくても表現できるんだということを知った(自分は言葉を過信していたと自覚した)。

言葉の下にあるものが重要なのだと知った。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時32分
俺の知っていた「芸術」は、ごく限られた意味での美しさだ。それは、人が何かを当たり前のように欲しがったり、望んだり、それを喜んだりするような…人々の、そういう「希望」を目にすると、目頭が熱くなった。当たり前のように何かを求めること…自分にとって、当たり前のように何かを求め、喜ぶことの出来る瞬間というのは、人生においてごく限られた瞬間にしかないからだ。だから、人々のそういう「希望」を目にすると、自分のことのように、喜ぶことが出来ることがある。

実際に、俺の目にしたような美しさというのは、そういう美しさだ。このような美しさは、透明で、強い意志を孕んでいるように思われる。例えば、パット・メセニーの音楽、大貫妙子の音楽、ドビュッシーの音楽のような…

俺は、このような美しさしか知覚できていない自分を愚かだと感じる。もっと、生理的で、死に迫ったような美しさ、そのような美しさがあると知って以来、自分は果たして、そのような美しさを「実際に」どれだけ経験したことがあるというのか?セックスの存在。俺はもう、セックスの存在していない美しさには、殆ど価値を感じられないのだ。生理的で、死に迫ったような、孤独。

名前:あいこ 日付:3月22日(日) 1時42分
俺の知っている、芸術に於ける「ストイシズム」は、「失った『世界』、或いは『人間性』というものに対する切実な憧れ」、(「憧れ」=saudade:サウダージ;自分の失ったものを求めること=「想」)であったと思う。つまり、『世界』であり、『人間性』であって、飽くまで「自分対世界」であって、誰か特定の人を想っているわけではない。つまり、そこにある孤独とは、「世界、或いは人間性というものが自分から離れていった故の孤独」なんだ。

俺は、世界や人間性ではなく、「『誰か特定の人』が自分から離れていった故の孤独」というものを知らないんだ。俺は、「世界」や、「人間性」というものを愛したことはあったかもしれないが、誰か特定の人間を愛したことはない。

俺は自分がそのような種類のストイシズムを持っていないことに欠乏感を感じる。「人間性」を求めてはいても、「人間」を求めてはいない自分に対して。このまま死ぬことは出来ない、と。「人間性」ではなく、「人間」を求めて、死にたい。

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