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2011/11/04 (Fri) 09.3月23日(月)~3月24日(火)

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 21時9分
最後まで具体的な説明がなくて本当によかった。何が起こったか解らない方が読んでて怖いのだから。ストーリもさることながら、望月氏の個性的な画も読者の恐怖をあおる。本当に怖ぇぇ!人間は闇に恐怖し、理解できないものに恐怖し、自分を見失う。

この作品を読んでいると、恐怖は人が生きていく上で重要なファクターであるということに気付かされる。人間には希望が必要であるが、希望を生み出す土壌となっているのは恐怖という絶望であったりもする。また、その逆も言えるだろう。恐怖も生きるための糧なのだ。闇とは遠ざけるものではなく、受け止めるべきものだといえるだろう。

最終回については賛否両論あるだろうが、私はこれ以上ない終わり方だったと思う。希望という光も、恐怖という闇も、全ては人間の想像力によって生まれる。それらは表裏一体で、どちらかを切り取るような事はできない。結局は、全て自分次第という事であろう。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 21時21分
「闇とは遠ざけるものではなく、受け止めるべきものだといえるだろう」
「希望という光も、恐怖という闇も、全ては人間の想像力によって生まれる。それらは表裏一体で、どちらかを切り取るような事はできない」

まさにこの一年間の俺を指して言っているようではないか。森田理論でいえば、恐怖は欲望によって起こるものであるから、恐怖の否定は同時に欲望の否定になる、ということだ。「闇を遠ざける」とは、自分の生の欲望によって生じた恐怖を抑圧するということ、これはそのまま神経症だろう。「表裏一体で、どちらかを切り取ることは出来ない」とは、つまり生の欲望と、死の恐怖とは一体であるということだ。

「闇を遠ざけていた」この一年間は、つまり本来的に恐怖を含んでいる生の欲望を押さえ付けていたこの一年間は、闇よりも酷いものであった。

俺が「痛み」と表現していたものは、そのまま「闇」のことであった。「この痛みの中にしか俺の生を感じることはない」と言った。これは闇であり、すなわち希望である。

しかし、こんなことは、こんな一年間を過ごす前からとっくに承知していたのだ。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 22時25分
学校へ行くのか?行く理由も感じられないし、行かない理由も感じられない。つまり、俺は何も望んでいないのだ。学校へ行くのを辞めてまで手にしたいものはない。痛みもない。自分の生の欲望のようなものを余りにも長きに渡って押さえ付けてきたからだろう。俺がこのような目にあっているのはいくらかでも正当性があるのだろうか?いや、俺は単純に攻撃されただけだ。俺が余りにも迂濶だったのだ。誰か他の人間が、自分の人生をこんなにも簡単に破壊しうるということを知らなかっただけだ。俺の方があなどっていただけだ。自分のされたことは単なる攻撃であり、破壊だ。その事実を歪めて解釈してはいけない。

このまま学校へ復帰せずに過ごしていればいいのか?余りにも間違った時間を過ごし過ぎた。ここにいれば、取り敢えずは間違いではない。何もしたいことがない。何も求めているものがない。ならば死んだようにしているのは何も不自然なことではない。

とは言っても行くんだろうが。というのも、「学校へ行かない」ことの方が主体的なことだからだ。とは言っても、学校に対する憧れ、卒業に対する憧れはない。いや、あるのか…?何に対する憧れも感じられないのだ…鈍磨している。学校へ行っても、失うものはないと感じる。失う恐怖というものを、感じられなくなった。「これだけは失いたくない」とか…何もない。世界は何もない。でも、この「世界の何もなさ」を見届けるくらいしか出来ないんじゃないのか。向こうから何かがやってくるんじゃないか…常に、俺は向こうからやって来るものを生きていた。自分で何かを主体的に選択したことはない。或いは、避けていた。この一年間は例外だけれども…向こうから何もやって来なくなった。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 23時52分
俺は今までに不幸という程の物事は経験していない。何年間も現実の人間関係と呼べるようなものを持っていないが、自分はそれを一番望んでいるからそうしているだけであり、人と関わりたいと思うような時季がやってくれば、そうするだろう。不幸もへったくれもない。

名前:あいこ 日付:3月23日(月) 23時59分
俺はこれまで生きてきて、ハードな経験をしたことがない。生ぬるい環境で育って来たんだな、と感じることは度々ある。実際何を見てきたのか?俺がこれまでに見てきたものなんて何もないような気がするね。俺は今の今まで幽霊だったのではないか?

名前:あいこ 日付:3月24日(火) 0時16分
すべて頭の中の出来事でね。小さい頃から変わらないか。現実ってものがどこにあるのか分からないわけ。例えば、「ここにコップがあります。手で触ることが出来ます」。これがリアリティなのですか?これを現実だと捉えることが出来ないのよ。見ることが出来て、触ることが出来る、そのことによってそれが現実であるという風に判断することが出来ない。例えば、痛みとか、恐怖というものは殆んどが想像によるものだ。でも、その痛みや恐怖はその人にとっては何よりも「現実的」なのね。リアルなのね。喜びなども同じようなのね。人生そのものが夢のようなものにも思えてくるわけ。個々の頭の中で完結していて、すべては想像上のものであり、それが同時にリアリティだってわけ。スノーマンのようなものでね。スノーマンと遊んだ一夜は結局は夢だったわけだけれども、あの喜びは現実そのものだし、スノーマンを失った悲しみも現実そのものなわけ。でも、こんなのそのまま人生なわけよ。これが夢でないとどうしていうことが出来る?

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