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2011/11/08 (Tue) 09.4月1日(水)~4月2日(木)

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 3時27分
音楽が聴こえる!!いつ以来だろう?一年以上振りだろうか?頭ではなく、音楽を感じられる。佐野康夫は怖ろしいということだな(笑)。この人の演奏は、無感覚な中では理解できない。符割は理解出来るがね。しかしこの人の最もすぐれた点は、音色だとか、符割にあるわけではない。それは「生き生きとした感じ」だ。スピード感なども含めて。こんなに生きている感じのするドラムを叩く人はいないだろう。たんなる音ではなく、叩いている人間が目の前に見えるような。俺は無感覚な間は、佐野の生き生きとしたリアリティとは切り離された、一種フィクションの音しか聴いていなかったわけで、それでも凄い演奏だと思っていた。しかし、佐野康夫の演奏に「感動」したことはない。佐野康夫のドラムには、感動させるような力はないと思っていた(というか、ドラムの演奏そのもので感動させることは不可能であると思っていた)。佐野康夫の演奏はかっこいいだけであり、俺はそのかっこよさに引かれていた。しかし、いま、佐野康夫の演奏の最も凄い点は、その生命力にあるのではないか、と気付き始め、びびっている。佐野康夫は、俺の考える「芸術」とはかけはなれたものだと考えていたが(つまり、かっこいいだけであり、生き生きとした生命力がないと思っていた)、実は佐野康夫以上に、俺の信じる「芸術」に近いドラマーはいないのではないか。

完璧なドラマーではないか。俺は佐野康夫を、基本的に獰猛なところに欠けた、「振り pretend」をすることしか出来ない、それを補うために如何に精緻に音を構築していくかということを究めた、ある意味で「欠けたところのある」、悲しい音楽家なのだと思っていたが、いま、これ以上獰猛なドラマーがいただろうか?と感じて、自分のいままでの、一年間以上の認識が覆されて、びびっている。

彼は技術ではないよ。技術的に余りにも抜きん出ているから、そっちに目が行っていたけど、彼にとっては技術なんて些末なことだ。いや、彼のドラムにとっては、だな。いま初めて佐野康夫のドラムを多少なりとも理解した気がする。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 4時1分
俺は無感覚というさ、感覚障害があったから分からなかったんだけどさ、普通の人が佐野康夫のドラム聴いたら、やっぱり目を見張るのかな?明らかに異質なんだよ。他のドラマー誰一人としてやっていないことをやっているわけ。人間の生きていることがそのまま演奏になっているような、人間の一生が、一曲の中で表現されているような、そういうことをドラムでやってるわけよ。ドラムって呼べるようなものじゃねーんだよ。音楽聴いてるやつは、佐野康夫のドラムを聴いたことがあるわけ?ブライアンブレイドとかスティーブガッドに対してギャーギャー言ってる癖に、佐野康夫の名前が挙がって来ないなんて音楽聴いてないってことだろ。

いや、これは世界一般の話なんだよ。例えば、みんな「今日は誰々と飲みました、楽しかったです」とか、「今日は夕飯に誰々と焼肉しました、おいしかったです」とか、そういう日々を送ってるわけでしょ?そういう事柄を楽しいと感じられるということは、世界や人間に対して親しみや、「好きだ」という気持ちを少なからず感じているということでしょ?普段から、人間の、生き生きとした感じというか、「人間の生きている感じ」と接しながら生きているわけでしょ。だから、音楽だけが殊更に生き生きと聴こえるわけでもないんでしょ?俺なんか、「人間が生きている感じ」とか、人間に対する親しみをまったく感じることがないわけ。心に入って来ない。だから、いまみたいに、佐野康夫のドラムを聴いて、「人間の生きている感じ」を、人間の生々しさというのかな、「人間がいる」っていうのを感じて、揺らいじゃってるんだけど(笑)、いままでそういうのを感じられない中で生きてきたから。知らない世界なわけよ。そういう、人間が生きているのを感じられるような世界ってのはさ。ただ、佐野康夫のドラムは、すぐれて、「生きている」と思うよ。もしかしたら、「人間の生きている感じ」とか、人間に対する親しみが感じられることが余りにも当たり前になっていて、それを意識もしたことのないような人たちには、佐野康夫のドラムはまったく理解できないのかも知れない。生きていることが当たり前なら、生きていることを最も力強く表現している佐野康夫のドラムも「当たり前」に聴こえるってわけだ。(もちろん、俺は人間が生きているということを感じられること、人間に対して親しみを感じられることに憧れているわけだ。ある種、当たり前のことをね。)

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 5時1分
俺はアイコを通してしか世界にアクセスすることが出来ない。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 5時17分
いつもさ、音楽に謝ってばかりなの。「あなたのことを誤解してました」ってさ。全然音楽に近づけないの。自分の思ってるのと違うの、いつも。好きだから聴いている訳では決してない。まだ好きになってすらいない。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 7時10分
複雑な状況に陥っているように見えるが、なんてことはない、俺は自分の恐怖するものから目をそむけ続けている、それだけのことではないか。

名前:あいこ 日付:4月1日(水) 7時46分
俺は確かに常に焦っていた部分はあるよ。一秒一秒、失っているように感じられた(いまだってそうだ)。しかし、俺はここまで来るのにこんなに時間がかかったし、逆にいうとこれだけの時間が必要だった、ということなのかも知れない。俺が焦ろうが焦るまいが、俺がいま、この数年間の間に直面している問題が、ある程度に収束するまでにかかる時間というのは、最初から大体決まっていたのかも知れない。まあ、こんな風に考えられなくはないかな、と思ったけど、考えられるわけがないね。そんなに落ち着いて見られる訳がない。ここまで来るのにこんなにも時間がかかったこと、これを肯定的に捉えられる訳がない。もちろん、これだけの時間がかかるのは仕方のないことだった、一日のうちに出来ることなんて知れているんだから、と考えることも出来る。一日のうちに100の仕事をこなそうとしていたわけで、100のうちの20しか出来なかったことで「自分の人生はもう取り返しがつかなくなったんじゃないか」とか、毎日のように悲観していたわけで。でも、100の仕事のうちの100をこなさないと駄目だよ。そりゃあ、塵も積もればなんとやらだけどさ。大切なのは、自分がやれるだけのことをやったと思えるかどうかなんだけど。失った側面しか見られないよ。人情としてさ。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 14時3分
メリークリスマス。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=f6bfOQCdoHA

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