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2011/11/09 (Wed) 09.4月2日(木)~4月4日(土)

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 19時56分
俺は自分が音楽をやっても、ドラムとかいう楽器で、アイコの音楽に並ぶようなものを表現出来るとは思わない。アイコ以外の音楽家は尚更、俺にとっては意味がない。俺がどんなにすぐれている音楽家と演奏しても、結局彼らの音楽は俺にとっては無意味であり、ただ俺が自分の音楽を作っていく上での手段として必要だから、共演するだけであって、俺は自分の音が出せればいい。しかし、俺がこんな態度をとっていることを誰も咎めはしないだろう。誰もが、自分の出す音だけを問題にしているのであって、「音楽性の一致」などというものがあり得ないように、お互いに自分の音楽をやるために必要であるから利用しあっているだけなのだし、それでいいのだと思う。各々の向かい合っている「音楽」という名の宗教は、それぞれ別個のものなのだから。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 20時22分
しかしね、when you hear music, after it's over,it's gone in the air. you can never capture it again. だ。音楽は聴かれている時のみに在るのではなく、形を変えて、いろんな形でその人に影響を与え続けるものであると思う。

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 20時52分
綺麗ごとだ

名前:あいこ 日付:4月2日(木) 23時44分
死を覚悟しながらも一回限りの生をまっとうしようと決意した人形が「哀しくてうれしい……」となげくとき、そこには紛れもなくわたしたちの人生が重ね合わされて聞こえてきたという。「映画は空気人形という存在を通して、人と人がつながっていく形をとりたい。そのつながりという関係の中で人は成長(変化)していく。そこにこそ生の本質があるという人間観の反映である。『空気人形』は表面上は恋愛映画であるが、作品の奥底にあるのは、人は自らの空虚感をどのように埋められるのか? 生きるとはどういうことか? 人間とは何か? といった本質的なことを問いかけている」とかなりメッセージを含んだ映画であることを明かした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090203-00000004-flix-movi

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 18時23分
一日の多くを多読に費やす人は、やがて自分の頭で物を考える能力を失っていく―ショウペンハウエル

頭ででっち上げた理屈に自分の生を従わせようとする生活を続けていくと、自分の直感を感じとる能力、それに従って生きる習慣を失っていく。残されているのは、生とは離れた、白々しい言葉のみ。

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 18時54分
人が変わっていくのは仕方のないことだ。いま自分がこれを求めている。明日も自分がそれを求めているかどうかは分からない。だから、欲している時にそれに取り組まなくては、その時のその欲求は取り残されたままになってしまう。「何もやりたくない」というのも、「これが欲しい」というのも、どちらがすぐれているというわけでもない。いま、「何もやりたくない」というのは、いずれなくなってしまう。「これが欲しい」という気持ちも、いつなくなるか分からない。その時々の、自分の気持ちを満足させるように、生きていかなければならない。

しかし、多くの人間は、自分を「これがしたい」という、ただのでっち上げられた「考え」に自分を従わせることにまったく抵抗を覚えないようだ。

俺はあの半年間の間に、本当の意味で神経症にさせられた。つまり、「その時にしかないもの」を常に押さえ付け、無視する生活を強制させられたのだ、半年間にも渡って。

人が変わっていくのは仕方がない。俺は去年の7月を境に、変わってしまった。しかし、問題はそれが自然な変化ではないということだ。腹が減っているのに、「お前は腹なんか減っていないんだ、だから何も食っては駄目だ」という風に「矯正」させられる生活を半年にも渡って続けたために、本当に何かを食べたいという欲求を失ってしまったわけ。

戻れるのかどうか?戻る意志すらどれだけ持っているのかどうか。「食欲なんかなくたっていい」と思ってたりして。じゃあ食欲以外に、何かこの世界において、かちのあるものはあるのかとかきかれても、何もないですよ。じゃあ死んでいいんじゃないですか?さようなら。あの時は死にたいとは思ってはいなかった?でもいまはあの時ではないです。あの時の自分はいまの自分の中に残っているのか?残っていれば、死ぬ時に思い止まるかも。

名前:あいこ 日付:4月3日(金) 19時18分
音楽を聴いた時に思うのは、この世界はまったく無意味であるということだな。かっこつけたような言い方をすれば、俺はこれから先も人を好きになれるとは思っていない。だからこそ、生き続けなければならないと思うの。無意味ってのはそういうこと。愛なんてものがあるとは思っていない。自分に愛する能力があるとも思っていない。これから先もずっとね。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 1時39分
ふと2月に辞めたセブンイレブンの人たちを思い出した。俺は彼らのことを誰一人として嫌いではなかった。この、どろどろとした日常。アルバイトをしていた時は、もっと生活に選択肢があった。しかし、このどろどろとした日常の中で、困りきることが必要なのだ。俺はいま、自分が困っているとは思っていない。楽ではないが、「何が問題か」と聞かれても、具体的に「これが問題だ」と言えるようなものはない。ならば、その「問題」が具体的な形として見えてくるまで、何もアクションを起こすべきではない。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時27分
しかし俺は何に困っているのだろう?耳栓をして生活してるみたいだ。家族の生活音が聞こえてきても、別の世界から聞こえてくるような感じがする。離人感か…。あると生活を「楽しむ」上では大きな妨げになる。生活の流れが阻害される。「楽しむ」ことのみを問題にしていたのであれば、わざわざこんな生活を選択してはいない。何を知ろうとしていたんだっけな?ああそうだ、何も見えないあの世界で物事の軽重を量るということだったな…軽重を量るという割には…世界が渾然一体としていて、何が自分にとって重みを持っているのかというのは、「実感として」あまりビビッドに伝わってくるものではないな。いまの自分には何も重大な決断は出来ない。実感に蓋がされているからな…何を取って何を捨てるべきかなんてわからん。すべてが渾然としている。どろどろ。あまり健康的な状態ではないようだな。何を捨てたくないのか…この状況でしか見えてこないものがある。それを求めていたはずだな。自分は神経症なのか?そういう疑問すら今はない。2月の終わりには「俺の問題にしているのは結局神経症なのではないか」という理解に達していたようだったが。しかし病院へ行くのも結局辞めて、今は自分が何を問題にしているのかがいよいよ分からなくなっている。何故病院へ行くのを辞めたんだっけな?思い出せないな。自分を病院へ行かせたのは、「洗脳されたままの自分」だと思ったんだ。自分の意志で選択したとは信じられなかったんだ、多分。だから「自分の意志で選択している」という実感が欲しかったんだ。自分の意志で選択して、痛みを受け、その痛みを自分の責任として痛み、その痛みに従って生きていきたいと思ってたんだ。自分の感じ方を自分のものとして受け入れることが出来ないでいたから、自分の感じ方を受け入れられるようにするためには、「本当にこの生活は、この行動は自分の意志で選択している」と自分で信じられることが、その時の自分には必要だったのだろう。だから一回、すべてを壊す必要があったんだろう。しかし、壊したあと、何かが浮かび上がって来るのには、最初に思っていたよりは時間がかかるみたいだ。いまのこの生活は、他人の意志によるものだとは最早思わないけど(それがもともと求めていたことだったか)、殊更自分の意志によるものだとも思わないね。自分に意志なんてものがあったのかすら思い出せない感じだな。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時39分
俺はもともと、自分の意志によって生きていて、そこで他人の意志が俺の意志に侵食してきて、俺の意志が力を失い、他人の意志が中枢を乗っとり、そこでなんとか、いまや自分の中心に位置している他人の意志をすべて取り除こうとしたら、自分には何も残らなくなってしまった。自分の意志によって再び生きることが出来るのではないかと期待していたのだけど。まあ、自分の納得行くように生きるのが最も重要だ。

名前:あいこ 日付:4月4日(土) 2時56分
あと病院へ行くのを辞めたのは、確かに病院へ再び行き始めてから、生活の妨げになっていた物事に対する姿勢を意識的に矯正するようになっていたから、楽にはなってはいたんだけど、どうも作為的な感じがしていたんだな。自分が本当に心からそれを望んでいるのか?という疑問があった。「そういう疑問を持つことが重要なのであって、だからと言ってその疑問の通りにいま自分の置かれている状況から実際に抜け出すのは間違っている。疑問を持ちつつ、自分の置かれている状況と付き合い続けるのが重要なのだ」とも考えていたが(結構説得力があるな)、結局俺は実際にその状況からも抜け出してしまったわけだ。疑問を疑問のままにしておくことが出来なかったのだ。しかし今の生活がそんなに価値のあるものか?楽なままでよかったのではないか?「楽だが、誤魔化しているように感じる」と思っていたが、それではいまのこの生活は誤魔化していないんだろうか?「楽でもないし、誤魔化している」だけではないか?楽までも手放す必要があったのか?

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