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2012/01/03 (Tue) 09.4月24日(金)~4月25日(土)

名前:あいこ 日付:4月24日(金) 23時34分
俺は環境の変化をとても嫌う。部屋の棚の位置を少し動かしただけで頭痛がして吐き気がするのはよくあること。アイポッドクラシックを学校へ持って行った時も死にかけた。「自分はここにいるんだ」というのをしっかりと認識した上でないと、次の環境にはいけないですよ。俺の場合は、いまいる環境が、どういう場所なのかが判らないから、新しい環境が入り込んでくると、「自分はどこにいるのか」っていう風に自分はどこにもいないようになってしまう。だから、俺のやるべきことは、いま自分のいる場所がどういう場所なのかを理解すること。それまでは、ここからは一歩も動くべきではない。というか、この作業?はもう2年くらい続けているんですけど。

慎重にならないといけない、本当に。この1年間で、俺がいままで慎重に作り上げてきたものすべてが壊されたわけだから。それまでは、慎重に、自分に必要なものだけをまとってきた、そういう方向に努力してきたんだけど。でもこの一年間で不必要なものばかりを手にして、それらと時間を共にしてきたから、自分に必要なものが判らなくなった。

「適当に生きればいいのだ」とかいう、わけのわからない考えを押し付けられたわけ。その結果がこれなの。

だから、また、自分にとって本当に必要なものだけを選んで、身の周りに置くようにして、それらとだけ時間を過していかないといけない。自分の周りにある、時間をかけて築き上げていった無駄なものたちをすべて捨てて。膨大なんだ。一年間だから。

まだ「一年間を失った」と後悔する段階にも来ていない。まだ身の周りには無駄なもので溢れているから。それらと共に過している限り、自分の人生は戻ってこない。無駄なものをすべて捨てて、その時にはじめて、「1年間を失った」と後悔できるのだと思う。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 0時14分
考えてみたら、生まれてから去年の7月まで、俺は一貫して慎重に生きてきたんだな。自分では意識していなかったけど。そういう生き方が当たり前だったんだ。常に、「いま自分のしていることは間違いなんじゃないか」という疑問を持ちながらやっていたと思う。

だから、自分が何かを選んでいても、いつでもそれを捨てることが出来るようなところに自分の身を置いていたと思う。「これに没頭する」とか、頭で決めたことは一度もなかったと思う。だから、ずっと夢みたいなものも持ったことはなかった。

自分が、ずっとそういう生き方をしていたことすら、忘れていた。

ずっと、「自分が間違ったことをしている場合、その間違いに即座に気付かないといけない」と考えていたんだけど、間違ったことを一年も続けていると、もう正しいところに戻ってくるのは容易じゃないね。

というのも、何を「正しい」と感じていたのかすらもう覚えていないんだから。

俺は、自分の価値観から照らし合わせて、明らかに間違っていると思われることを選択して、案の定というか、取り返しのつかない状態になっているわけ。

アルバイトの面接を受ける前から、明らかに間違っていると判りきっていたし、親なんかにもそのことを話していたのに、何故誰も止めてくれなかったのだろう?「明らかに間違っている」と3時間くらいに渡って親にも話していたのに、何故、親は「じゃあ面接になんか行かなけりゃいい」と言ってくれなかったのだろう?

親は、「ばっくれるのはよくない」とか考えていたようだったが、それは自分のいままで取ってきた価値観を捨ててまで遵守しなければならないものなのか?

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 0時23分
俺は、親の「ばっくれるのはよくない」とかいうくだらない価値観と引き換えに、自分の人生を失ったともいえるな。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 1時7分

http://www.youtube.com/watch?v=3DWYnlkKIpk&feature=related

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 21時53分
やはり、部屋の中の棚などの配置は、中立的でないといけないのか。というのも、いまの俺に必要なのは、いろんな物事との距離を測ることだからだ。すべてを並列に並べること。しかし、環境の変化を嫌っている割には、自分から進んで環境の変化を作っているように見える。俺には、世界において、それが自分にとって何を意味しているのか、どれだけ重要なのかが、何一つとして判らないのだ。判らない以上、何かを優先的に扱うことに抵抗を覚えるのだ。部屋の中の見えやすいところに置いているものは自分にとって本当に重要なものか?自分にとって重要なものが、押し入れの奥に追いやられていたりする。例えば、いま、本棚をひとつ、オーディオの横から、部屋の隅の方へ移動した。その代わりに、LPとその上にテレビを置く台をオーディオの横に持ってきた。これで、オーディオの目の前にいて音楽を聴きながら、テレビを(正確にはアイコのDVD、テレビの録画などを)消音して見ることが出来ると考えたのだ。LPも、オーディオの真横に来たので、いちいち聴きたいレコードを部屋の隅まで取りにいくちょっとした移動を省くことが出来る。しかし、やはりこれは大きな環境の変化だ。大判の漫画を入れた本棚が部屋の隅に追いやられたことが気に障る。あれは明らかに、自分にとって重要なものだ。あれらの漫画とは、これからもじっくりと付き合って、背表紙をいつでも視界に入るようにしていかなければならない。そうしないと、自分が、自分のいるべき世界から遠ざかっていくような恐怖を感じるのだ。部屋の、見た感じも、そわそわして落ち着かない。それが「慣れていない」せいなのか、それとも上に書いたような恐怖によるためなのかは判らない。いや、恐怖はあるんだ。けれども、この環境によるプラス面もあるわけだし、その恐怖も、日々を過ごしていくうちに、「俺は自分のいるべき世界から、少なくともこの環境のせいで離れていくことはない」と安心できるようになるのではないか。そう信じてみて、この環境でしばらく「我慢」して、生活してもいいのではないか。しかし、怖い。怖いことを敢えてやる必要があるのだろうか?一応、「よりよい世界」を求めてのことだったのだろうが、環境を変えなくても、世界をよりよくしていくことは出来る。却って、環境の変化がそれを邪魔することもある。しかしその逆もある。環境が変われば行動も変わる。なんにしても、変化は怖ろしい。怖いよ。

名前:あいこ 日付:4月25日(土) 22時6分
なんでこんなことしちゃったのだろう。自分のちょっとした気まぐれに耐えることは出来ない。なんで苦しいんだろう。部屋を眺めているから?生活していて楽しくというか便利になれるのだったらいいんじゃないの?いま慣れていないから苦しいだけでしょ。だからもう切り上げて、さっさと自分のやるべきことに戻ったらいいんじゃないの?音楽聴いたり本読んだり。それで何日か気にしながら過ごしてみて、それでも苦しいんだったら、考え直せば。まだ生活の変化の影響を受けていないでしょ。実際にその新しい環境である程度過ごしてみなければ。最初はどこだって慣れないんだから。でも切実に望んでいたわけではないよね。こうして環境を変化させなければ死ぬってわけでもなかったでしょ?生きていけたでしょ?ってことはどっちでもよかったってことでしょ?それでいま無駄に苦しくなってるわけ。なんでこの程度のことで苦しくなるんだ?いや、これは大したことだよ。無駄な不安を自分で作って、馬鹿みたい。怖い。怖い。慣れていない世界って怖い。そうだよ、俺がずっと求めていたことは、「この世界に慣れること」じゃないか。変わらないものを見付けること。ここにいれば安心していられるという場所を見付けること。そう、慣れることだ。変化は避けなければいけないんだ。

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