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2012/01/04 (Wed) 09.4月28日(火) ~4月29日(水)

名前:あいこ 日付:4月28日(火) 20時52分
俺は楽になりたかったわけでもない。苦しいわけでもなかったしね。楽でもなかったし、苦しくもなかった。でも何故か、俺を見て「こいつは苦しんでる。だから楽にしてやらないといけない」とか考えるやつがいるわけよ。俺がいつ苦しんでるなんて言ったよ。勝手に苦しんでる人間にしてんじゃねーよ。それでてめーの考える「楽」ってのを俺に押し付けてんじゃねーよ。その時までは、苦しくも楽でもなかったが、「生命の自立性」というのがあった。理屈ではなく、生命の方向性に委せていくことが出来た。その生命は、力を持っていた。いまは、自立した生命を感じることはない。あるとしても、殆んど見ることが出来ないくらいに微かなものだ。これも、彼が俺を「楽に」してくれたおかげだろう。苦・楽という二元論を押し付けてくれたおかげだ。「楽を求めてもいない」なんて言っても、殆んどの人間には一生理解できないんだろう。そして、俺はそういう人間とは会話をすることが出来ないだろう。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 0時49分
まあ、俺は一種のクリエイティビティを捨てて、というか強引に捨てさせられて、「健康」を手に入れたわけだ。いちばん大切なものを失ってまで手にしたその「健康」とやらはそんなに素晴らしいのか?この、何を見ても痛みも喜びも感じない、なんの希望もない状態がその「健康」ってやつなんだろうな。だからもう、人生が終わってるわけだから。もうこれ以上生きていたって、蛇足というか、後日談というか、もう終わった人生について考える時間でしかない。もし、「終らせられなかったら」、どのような人生になっていたかを考え、あとは死ぬ準備をするだけ。死ぬ準備をするにしても、いい思い出のようなものが必要なんだけど、始まる前に終らせられたからね。思い出したいことなんて何もない。だから昔を思い出さないようにする。なるべく、昔を思い出さないようにしながら、死ぬ準備をする。そもそも、記憶をなくせば、死ぬことも考えなくなるのかもしれない。この世にどんな素晴らしいものがあるのかを忘れることが出来るし、自分はそれを見ることが出来たのだということも忘れるから。そうすれば、「自分は失ったのだ」という認識もなくなる。いま俺の毎日目にしているものは、なんの意味もないものだ。「意味がない」と思うのは、この世界にある「ある素晴らしいもの」がもうそこには見出せないからだ。俺はそれをかつては見ていた。いまはもう見えない。だから「意味のない」ものとしてしか映らない。これを「意味のない」ものと思わずに、単純に楽しむことが出来れば、俺は生きていけるかも知れない。けれども、そうなるためには、俺の中にある、世界にある「ある素晴らしいもの」を見たという記憶を消さなければならない。この世界で最も美しいものを見た、その記憶を消さなければならない。俺の夢は、その世界で最も美しいものを追いかけることだった。俺の夢もろとも、俺のこの人生に最も求めているものもろとも、その記憶を消すことが出来れば、俺は生きていけるだろう。しかし、それが正しいことなのか?
記憶があるために、何を見ても何も感じなくなった。ある時期までは、世界は意味のないものではなかった。いまも毎日、世界に意味が戻るように頑張っているつもりだが、まったく戻ってくる気配がない。意味のない、認識。毎日が「そこそこに心地よい」だけで過ぎていく。そこから抜け出せる気配がない。ある時期まで常に自分にあったものは、もうなくなった。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時0分
いまの俺は、「たまたま生き残っているだけ」と言った方がしっくりくる。別に生きてるわけじゃない。ただ肉体がここにあるだけ。何故か判らないけど、まだ死んでないっていう、それだけ。おまけの人生を生きているという感じがする。もう死んでいるはずだから、いつ死んだっていい。そういう意味で自由。執着がない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時7分
壁を殴ったりしても、そもそも疲れ果てていてそれすらも。ナイフか?ナイフであいつの顔をぐさぐさに刺しまくればいいのかな?そういう想像が俺を救うのだろうか?壁を殴ってもキリがないんだ。だからただこらえるしかない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 1時37分
もういまここで死んでもいいかなとも思う。何故か恐怖を感じない。でも考えてみたら、これは究極のポジティブ思考ではないか?やつのいう「おまえはもっとポジティブにならないと駄目だ」というのが奏効しているわけか。やつの望み通りだ。ポジティブシンキングなどというのは、結局は生の欲望の否定だからな。本当にポジティブシンキングをすれば、その人はその場で自殺をすることになる。死ぬことだって前向きに捉えればいいわけだ。なんでも前向きに捉えなければいけないからな。じゃあ死のう。

そもそもなんのために「ポジティブシンキング」などをするのか?「生きるため」だろう?なんでも前向きに捉えて、つまり誤魔化して、問題なく生きていける人ってのは、よっぽど楽な人生を生きてきた人だろう。「前向き?」「そっちは後ろじゃないのか?」前、後ろ…言葉の遊びだ!前を向かなければならない…「前」というのはどのように規定している?「前」なんてのは酷く曖昧なものじゃないか(そもそも前とか後ろとかそういう概念を持ってくる時点で馬鹿げてる。)。ポジティブシンキングをしてるやつはなんで自殺しないのだろう?なんでもポジティブに考えろよ。自分の首を剃刀で切ってさ、喉から血が吹き出してるのを見て、それを前向きに捉えろよ。生の欲望関係なしに前向きに捉えるんだろ。馬鹿になれば最高なんだろ。だったら馬鹿になって死ねよ。電車に飛込めばいいじゃねーか。最高にポジティブじゃねーか。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 13時2分
いろんな比較が溶けていた。おそらく俺はそれが耐えられなかったんだろうな。例えば、いま自分のしていることが間違っていると思う。それで、正しいことに戻ってくるためには、正しいことがどんなことだったのかを覚えていないといけない。もともとぼくは黒のところにいました。白のところにいきました。なんか違和感を感じます。黒のところに戻りました。こっちの方が正しいと思いました。白はぼくには合わないと知りました。これは簡単でしょ。いまの俺は、そんな単純な比較をすることの出来ない状況に置かれているようだ。

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