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2012/01/06 (Fri) 09.4月29日(水)~5月1日(金)

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 16時7分
交尾である以前に交接でなければならない。例えば、恋人同士が視線を交わし、一種の雰囲気が生まれる、あれも交接だ。接触を伴った交わり。接触というのは精神の接触を伴ったものでなければならない。挿入が本番なわけでもない。果てたあとでも、お互いの身が物理的に離れていても、交接は続いている。挿れるか挿れないかはたいした問題ではない。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 16時17分
つまり、執拗な内向性が、他者の同様に執拗な内向性と結果的に出会い、繋がる。外を見るのではなく、内を見ることによって他者と繋がる。セックスに於いてもそのようなコミュニケーションが生まれるといいですね。セックスに限らないんだけどね。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 19時57分
相手の顔を見つめることを通して自分の内面深くに降りていこうと試みる。その結果、その相手と繋がることもある。コミュニケートというのは、自分の内面を通してなされるものだ。つまり、誰もが「外界」を見ているつもりでも、自分自身の内面を見つめているに過ぎないのだ。誰かを近しく感じるということは、自分の思考のプロセス、想像のプロセスがその人と共有されているということだろう。

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 22時30分
毎日毎日、初めての物事がいっぺんにいくつもやって来るのだ。気持ちがついていかない。この二年間?三年間?毎日だ。何故だ?

名前:あいこ 日付:4月29日(水) 23時47分
もし誰かから生きる意志を剥奪することが出来るのだとしたら、それはとても奨励されることであって、何も悪いことではないし、この世に生きている人間は一人残らず全員、誰かから生きる意志を剥奪されたり、剥奪したりしているわけであり、わざわざ話題にあげるまでもない、些細なことなんでしょ?みんなそういうこと言ってたよ。俺の会った人間はみんなそう言ってた。俺の会ってきた人間もみんなこのようなことを経験しているんだな。一人でも経験したことのないやつがいたとしたら、俺以外の人間は全員嘘つきだな。ありふれたことなんだろ?こういうの。みんな、この世に生きてる人間は全員、誰かから生きる意志を剥奪されて、あとは死ぬのを待っているだけなんだろ?その辺のガキも、大学生も、みんな一人残らず、誰かから生きる意志を既に剥奪されていて、死ぬのを待っているだけなんだろ?そうでなければ俺以外の人間は全員嘘つきということになる。笑ってるやつも全員、「死にたい」と思ってるんだろ?みんなそう言ってたよ。俺のいままでに会ってきた人間はみんなそう言っていたよ。俺だけじゃないんだよな?

名前:あいこ 日付:4月30日(木) 15時31分
認識されなければ、存在しないのと同じだ。人がいちばん生きている実感を感じられるのは、愛を伴った視線を受けている時なのかも知れないな。誰かの中に自分が存在しているんだと信じられることがね。

名前:あいこ 日付:4月30日(木) 19時59分
俺はふとしたきっかけで、去年の六月に時間が戻るのだと本気で信じているようだ。これは夢なんだと。夢だからいつか覚める。目が覚めれば、去年の六月。間違いに決まってる。またもとの世界に戻ったんだ、よかった。みたいにね。というのも、この一年間が、「言葉」にしか感じられないからなんだろうね。ぺらぺらの言葉。時間すら過ぎていないように感じる。だから、時間が去年の六月に戻ってから、それから人生を始めようと思っているみたいなんだよね。だから、いまは時間が去年の六月に戻るのを待っているのだと思う。それが起こると本気で信じてるみたいなんだよ。不可能なことだとは思わない、というか、これが間違いなんだと思う。時間が戻ってみれば分かるよ。やっぱり夢だったんだって。納得するんじゃないの。それを待っているんだと思う。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 1時12分
いまの俺にとって、「機能性」というのはまったく問題ではない。「自分は世界に対してどのような位置に在るのか」ということが理解しやすくなるような環境にいないといけない。それを理解することが自分にとって最も必要なことなのだから。

そもそも効率性や機能性というものは目的が明確な時に初めて意味を持つものであり、進むべき方向性を見失えば忽ち意味を失ってしまうものだ。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 1時42分
一人暮らしの人間が風邪を引くと心細いのと同じことなのか、離人症状を主症状とする精神障害を持っていて、日常的に言葉を交す人も一人もおらず、誰にも必要とされていると感じられない、いまここで死んでも家族以外には誰にも気付かれないままだろう(死んでも誰にも影響を与えない)、そんな人間が毎日を、過度の疲労にも関わらず、眠れずにいるのは、「誰も助けてはくれない」というのを強く感じるものですね。(でも、一人暮らしをしている奴が風邪を引いたって、どうせ友達とやらが冷やかしに来てくれたり、風邪が治れば、すぐに心細さなんか感じなくなるだろう?)毎日毎日、いつ終わるとも知れないんですよ。健康もない、金もない、友達もない。先もない。いや、先は信じてるけど…友達というのは、いろんな感情を共有するような、そういう関係を言っているんだけど…人間と話していても、まずすぐに「この人とは共有できない(自分の普段感じている感情はこの人にはまったく理解されない、この人の日常的に感じていることは俺にはまったく理解できない)」というのを感じるから、友達にはなれないね。当たり障りのない話するくらい。まあ当たり障りのない話だけでも価値があるのかも知れないけど。まあ当たり障りのない話をする相手すらいないんだけどね。そういえばもう一ヶ月以上、家族以外とは誰とも言葉を交してないな。いま俺がいなくなっても誰も気付かないだろう。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 3時48分
俺は去年の七月に殺されたんだな。死ぬ時期を逃したのだと思っていたけど、違うやり方で殺されただけだったんだな。いま何かの手違いで肉体だけここにある。去年の七月までは、俺は完璧過ぎるほど完璧な人生を歩んでいたと思っていたんだけど、もうそこから先はなくなっちゃったみたいだね。永久にないの。いまはもう流れみたいなものはない。無意味な瞬間が向こうから終りなくやってくるだけ。俺はいまは「死んでいない」というだけだよ。でも俺にも生きている時があったんだよ。あれから先もずっと生きていけるはずだったんだけどね。これから、自分の人生はよくなっていくんだと思っていたんだけどね。でも良くなる前に一人の人間によって潰されましたっていう。それで終わり。それでいまは後日談みたいな人生を送ってるわけ。それが死ぬまで続くんでしょ。いま死ぬか、あと60年、後日談を生きるか。どっちも同じだと思うんだけど。もう終わっているという意味でね。生きていれば、自分がどのような意味で殺されたのかということがこれから段々明らかになっていくだろうから、それを見るためかな。俺が殺される時、俺は親にも助けを求めたと思うけど、少なくとも親は救ってくれなかったね。問題は俺がもう生きたいと思っていないということかな?一人の人間が俺を殺したのに、そいつは罰せられていないんだよ。
明日も同じだろう。何の進歩もない日々が続いていくのだろう。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 3時51分
分かる?一秒一秒が地獄なの。それが終わる見込みがないの。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 19時5分
俺のしていることは常に実験であり、観察なんだということをこの四日間くらい、忘れていた。そのために死にかけた。俺は音楽を聴いていて「楽しい」と思ったとしても、「楽しいと思った自分」を観察してるだけなの。そういう意味で「これが本番だ」と思って何かをやることなんてまずないわけね。「これをやってみたらどんな気がするものかな」って思ってやるの。常に世界と自分との距離を測っていないと駄目なんだな。何が重要かって、「あれをした時にどんな気がしたか」っていうデータだな。そういう過去のデータから、いろんな予測をたてる。データを集めてるの。

名前:あいこ 日付:5月1日(金) 20時33分
たまに、自分のいまの生き方、日々の過ごし方は間違っている、つまり、「こうすればよくなるのではないか」という考えが浮かび、希望のようなものを持つことがある。けれど、いつも一時間もすればそれが妄想に過ぎないことに気付く。「絶望していない振り」をするのに耐えられなかったことを思い出す。束の間でも将来に対して希望を持っていたことを馬鹿のように思う。俺は間違ってはいない。俺は間違ってはいないということを信じられるまでは、俺はどこにも行ってはいけない。「自分で選択しているのだ」という実感を取り戻すこと。

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