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2012/01/07 (Sat) 09.5月2日(土)~5月3日(日)

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 1時11分
「楽しい」ということがもう何年も思い出せないのだけど、「楽しい」というのは、境界のはっきりしたものではなく、もっと空気みたいなもの、雰囲気を指すのかも知れないな、と折りに触れて思う。懐かしい感じとか…胸の暖かさとか…「保証されている」感じとか…胸の痛みとか…俺が「リアリティ」とか呼んでいるものも、楽しさと関わりがあるんだろう。「楽しさ」というのは「これをしているから楽しい」とか、俺にとってはそういうのではなく(そういうのもあるんだろうけど)、何もしてなくても楽しいとか、空気に近いものなんだろうな。俺はそういうのをいままでに「正しいことをしている」という風に表現していたかな?俺はずっと「正しいこと」を追っかけてきた。ある種の楽しさ、世界の心地よさを感じられる世界だね。こういうのは、他人に説明しちゃいけないんだ。というのも、「世界の心地よさ」ってのは普通の人には理解できないから。普通の人は、常に24時間365日、その「世界の心地よさ」の中にいるから、それを「求める」なんてことはおろか、それが存在していたことにすら気付くことはないんだから。経験していれば分かるし、していなければ分からない。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 2時2分
当たり前なんだけど、「これがなければ生きていけない」というのは本当にあるんだよね。物理的に死ぬわけではないけど、何かを手放すことで、死んでいるのと同じような状態になることはある。物理的に死んでいるわけではないけど、それは場合によっては一日を生きるのも不可能であるかのような苦しさを感じることにもなりうる。

「人はパンのみのために生きているにあらず」とかいうけど、これは道義的な問題ではなくて、もっとフィジカルな問題だと思うね。

人は絶対に自由ではないと思うね。いや、自由にさせられてはいけない。自分の意志から束縛されないと駄目だ。自由だと誤解してはいけないよ。自由になったつもりでいるだけだ。でもそれはおまえの生なのかい?俺は手放したくないよ。

つまり、何が言いたいのかというと、俺はアイコが好きだってことだよ。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 9時39分
俺はもう一ヶ月間も、音楽に触れるのが怖くて、意味のない音楽を聴き続けていたようである。長い間逃げていると逃げているという自覚もなくなる。改めて音楽を耳にすると、音楽を聴いてなんらかの意味で動かされても、かえって「自分は何をすればいいのか」という失うことの恐怖を感じる。まあそれを感じるのが怖いから、「音楽を聴いて動かされる」ということを避けていたのだろうけど。音楽を聴いて動かされても、そのような世界?その、自分を動かす要素?それを手にしたいと思うわけだよ。それを手にするためにはどうすればいいのか。漠然としているわけだよ。何が自分を動かしているのか?せいぜい、その「自分を動かしているもの」をひたすら見続けるしかないよね。その中で、自分を動かしているものの成り立ちが少しは理解されるのかも知れない。どのみち、見ていないと駄目なわけだよ。俺は見てすらいないわけだよ。「生きているのか死んでいるのか分からない」とか言ったけど、俺は自分で進んで自分をそういう状況に追いやっているわけだよ。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 11時20分
逃げる権利が与えられているのは「自由」とも言えるけど、自由な環境で意志のままに生きるのはとても難しいとも言えるね。環境が制限されていればされているほど、自分の「好きな」ものに向かっていきたいという力が強くなってくるからね。一日のうちに10分しか会えないと分かっていれば、その10分に賭けるわけ。逆に、「いつでも会える」と思っていれば、「いまは会わなくてもいいや」という風になりがちなんだね。人間は柵を作った時に文明を手にしたというが、同時に自由を手にしたんだね。自由というものは常に制限を伴うものだ。つまり終わりを連想させるものが、人間にはどうしても必要なんだよ。死ぬことだとか、何かを失うことだとかね。終わりはないかのように思いながら日々を過ごすことも出来るけど、それはまやかしだからね。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 12時33分
よく言われる「子どもの持つ純粋さ」というようなものがあるだろ。あれを突き詰めるとその人は哲学者になる。結果としてだけど。ある時期までは誰もが哲学者なのだというのもよく言われる話。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 14時11分
ある状況において、最も読むのが苦痛なのは、日常的な事実の記述。「どこどこで~を食べた」「夕方~に行った」理解ができないのだ。それがどういう物事なのか、自分がそれをしたらどういう気がするものなのかがまったく想像出来ないのだ。それよりも、非現実的な事柄、哲学書に近いような内容の文章、詩だとかの方が抵抗が少ない。それは、自分が(悪い意味で)観念的な生活をしていることの証左なのかも知れない。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 16時46分
解った。二月にセブンイレブンを辞めた時、その時、自殺。

名前:あいこ 日付:5月2日(土) 18時16分
スーパーで母の日ということで、子どもの絵がずらっと展示されている。小学校高学年くらいの絵がいちばんいい。その中で漫画家の井上三太の絵にそっくりなのを発見。名前を見ると井上翔太。息子?

名前:あいこ 日付:5月3日(日) 1時55分
解りきってるんだけど、俺は何かを認識するのに物凄く時間がかかるみたいなの。「これがなんなのか」ということをね。それがある程度認識できるようになるまでは、それが存在しているようには思えないのね。リアルじゃない。実感がついていかない。ものによっては普通に数年かかるわけよ。安心できないわけよ。慣れないわけよ、世界に。

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