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2012/02/20 (Mon) 09.9月9日(水)~9月10日(木)

名前:あいこ 日付:9月9日(水) 21時19分
去年の7月から、音楽が楽しく聞こえないのに、無理矢理楽器にコミットしようとする習慣が再び生まれた。そして、それから一年間経って、気が付いたのは、音楽が楽しく聞こえないのに、楽器をやろうとしても不可能である、ということだった。それは、俺が大学二年か三年くらいのころに、気付いた事実でもあった。

名前:あいこ 日付:9月9日(水) 23時48分
あなたが私に生きて欲しいと「望んでいる」ことは、私にとって助けになっていると思う。「人間は何がなんでも生きなければならない」とか「死ぬことはいけないことだ」とかいうような、教科書的な言葉を並べられても、「そんなことは分かり切っている」と思うだけだが、「私はあなたに生きていて欲しいのだ」「あなたが死んだら私は悲しいのだ」ということを言われると、おれは死んではいけない、と思う。

名前:あいこ 日付:9月10日(木) 0時34分
あとね、俺は基地外だから。他人が自分を本当に心配してくれているのに、それに対して陰湿なやり方で攻撃するんだ。人を愛するということが、その人が俺のことを好きでいてくれているということが、いかに事実ではない、その人の勝手で傲慢な、親切のお仕着せの思い込みによるものであるかを、俺はいちいち説得して、その人を黙らせるんだ。

名前:あいこ 日付:9月10日(木) 12時24分
自分は、まだ血の通っていた時の自分を残していたいと思う。そのために、自分は、何も、取らない。

名前:あいこ 日付:9月10日(木) 16時16分
病院行ってたんですけど、次の診察一ヶ月先とか言うし、なんか病院行ってる意味というか、自分が病院に何を求めているのかがワカランチンなので、キャンセルしました。だからいまはフリー。でも、病院へ行かないことで、何が得られるか、何が変わるのかって、分からないんですけど。でも、あのまま毎日続いていくのは、意味があるのかって。もちろん、毎日微妙な変化はあるのでしょうけれど…なんか、自分のしていること、すべて無意味に思えるので、キャンセルしようが、すまいが、どちらでも同じなんじゃないかなーって。だから、病院があんまり意味のあるものだと思えなくても、キャンセルしたりしないでいたんだけど。わざわざキャンセルすることないかなーって。でも、死にそうなんで、病院行ってる方が楽だ、ってんなら、病院に行きたいとか、キャンセルしたくないって思うでしょうけれど、分からんのですよ。何かが見えてくるというか、「こうしたい」というような、ものが見えてくるまで、じっとしていようと、していたんだけど、わざわざ待ってる必要あるのかなーって。本当に見えてくるの?だから、別に、病院キャンセルしたいと思っていたわけではないけれど、でも別に行きたいと思っているわけでもないよなーって。だから辞めたの。それに、行きたいんだったら、またそのうち行きたいって気持ちが出てくるでしょ。出てこないんだったら、別に行きたくないってことだから、行かなくってもいいし、惰性で行っててもしょうがないもんね。行っている理由が分からなくなったら、一度、行くのを辞めてみる。そうすることで、自分がそれを本当に求めているのかが、分かるでしょ。自分の気持ちがね。要は、自分が何を望んでいるのか、ということだから。俺にとっては、生きることは、自分が何を望んでいるのか、を常に探し続ける、感じ続けることだから。それ(探すこと)を邪魔する要素は、生きることを邪魔するものでしかない。だれにとっても、「生きること」がいちばん重要なのであって、ぼくにとっては、それは、自分にとって、何がいちばん重要なのか、を常に探し続けることでもあるんだな。探すというか、感じるというか。

名前:あいこ 日付:9月10日(木) 16時51分
ごく私的なことを書いてしまえば、自分の意志というものが問題になっている中で(つまり、自分が何を求めているのかということを探っている最中に)、家族によって、ある医者への通院を勧められたんですね。それで、行ってやった。行けば安心するだろ。それで、散々な目に遭った。それ以来、自分の意志というものを取り戻そうという力が、弱くなってしまったように感じているのです。家族の意志に従ってやったから。自分は、自分の意志を取り戻そうとしているのだということを忘れてしまった。ただ、流されるように、日々を過ごすだけになり、くすりを飲まされたりして、主体性というものが、いままででいちばん失われていた。

家族は、病院へ行くのを勧めはしても、病院へ行くということがどういうことなのか、治療とは何か、俺の中にどのような病理があると認められるのか、それらは病院へ行き、医学的な介入によって改善できると言い切ることが出来るのか、出来ると思うのならその根拠を挙げることは出来るのか、出来ないのなら何故勧めるのか、それらについて俺に一切説明しないまま、ただ俺に医者へ行けと勧めていたのだった。

俺は、他人が、何の根拠もなしに、自分に対して病院へ行くべきであると勧めたり、また、それが正しいと信じているなどとは思いもしなかった。他人に、それも重要な事柄を勧める場合、それなりの根拠、知識があってするものであると思っていた。俺は他人を信じていたのだろう。しかし、他人と話せば話すほど、その他人が明確な考え、最低限必要な知識も持たずに、意見をしていたのだということが分かってくる。(人は)分からないことに対しては、口を閉ざさなければならない。それは、誰にとっても当然のことであると、俺は思っていた。しかし、すべての人間がそう思っているわけではないようだ。多くの人間は、自分がよく知りもしないことに対してほど、喋りたがるものなのだ。「世界が自明である」と考えている人間ほど(実際は「考える」までは至らず、無自覚に信じているだけなのだが)、俺にとって脅威的なものはない。「人間は愚かなのだ」、そのことを、俺は常に意識していなければならない。

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