--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2012/02/20 (Mon) 09.9月11日(金)~9月14日(月)

名前:あいこ 日付:9月11日(金) 15時30分
また私的なこと書いちゃいます。ぼく、病院ダブルで行ってたり片方だけ行ってたりというのをやってたんです。病院と関わってると、病人らしく振る舞ってしまうように思います。病院に「守られてる」と思っているのか、病院に支えてもらおうという意識が出てしまうんでしょうね。関わっていないと、守られてる感じは、比較すれば、薄くなります。しかし、「自分」というものは、こちらの方が、より感じられる気がします。病院に行っていようが、苦しい部分はありますよ。行っているかいないかで、世界の知覚のされかたが違うですからね。要は、ぼくがどちらを取りたいかなんですけど。どっちなんでしょうね。

名前:あいこ 日付:9月11日(金) 15時44分
病院へ行っていると、自発性のようなものは抑えられますね。そりゃ守られているわけですからね。段階として、そういう時期が必要なのかもな、とも思うのですけど。なんの病気とも診断されていないですからね。

名前:あいこ 日付:9月11日(金) 15時54分
つまり、「病む」期間も、回復の段階として必要なのではないか、とね。

名前:あいこ 日付:9月11日(金) 19時19分
よいニュースは小さな声で語られる

名前:あいこ 日付:9月11日(金) 19時30分
「こうあるべき」ではなくて、「そこにあるもの」を生きるしかないわけだから、目標を持つのは間違いだと思うのね。例えば、俺はいま音楽が聞こえないんだけど、「聞こえるためにどうすればいいのか」と考えてしまうと、この「音楽の聞こえない状況」を、悪いもの、排斥すべきものとして考えているでしょう。ただ、人間はその時その時の状態が続いていくだけであって、どの状態が「いい」とか「悪い」とかいえない、というかそうすると生命を制限することになると思うのね。「音楽が聞こえない」というのは、結果的にそういう状況がやってきたわけであって、それがいいか悪いかなんて分からないし、音楽が聞こえなくなることで、何かを促しているとも捉えられるしね。音楽が聞こえない状況を経ることで、そのような同じ状況を経験した人と、ある種の共感を共有できるわけであるし、それは結果的に見て、悪いことであるとは思わない。そこを無理に、「音楽を聞こえるようになるべきだ」なんて考えて妙な努力をしてしまえば、そこで得られるべき経験も得られなくなってしまう。こちらの方が、損失であると思う。

名前:あいこ 日付:9月12日(土) 3時3分
こわい

名前:あいこ 日付:9月12日(土) 12時2分
なかなか面白い。というか、4分15秒あたりに出てくるおかっぱの女の子が超絶にかわいい。
http://www.youtube.com/watch?v=D2BXodPcs5s

名前:あいこ 日付:9月12日(土) 16時55分
いわゆる、森田正馬のいう「あるがまま」「事実唯真」、「無所住心」、禅でいう「初一念」、「自然(じねん)」というのは、状態ではなく、動きの中にある。例えば、何かに憧れ、その憧れているものに近づきたいという希望に衝き動かされ、努力している人は、その努力している最中に、真実に生きているのであり、彼はそのほかに生の在り所を求める必要性はない。彼は動いている状態であり、同時に静止した状態にある。

名前:あいこ 日付:9月12日(土) 22時4分
目標、ひとつだけあるよ。それは、「生き残ること」。

名前:あいこ 日付:9月14日(月) 11時45分
林立夫。改めて思うのだけど、この人はミュージシャンですらない。ここに聴かれるドラムの演奏は、「音楽」という言葉でくくれるようなものではない。この人自身も、自分が音楽家であるとは思っていないだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=jof1-E0Vyks

スポンサーサイト

未分類 | trackback(0) | comment(0) |


| TOP | 09.9月9日(水)~9月10日(木)>>

comment











管理人のみ閲覧OK


trackback

trackback_url
http://blue1528.blog6.fc2.com/tb.php/170-1717c47f

| TOP |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。