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2010/04/01 (Thu) 08.5月22日(木)~5月22日(木)

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 21時8分
仔牛は私の指を吸う。。。
チャッチャッチャッチャと音をたてて、力強く吸う。
http://aiko.can-d.com/diary.shtml

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 22時41分
しっかりと過去の作品やエッセイを読み込んでおけば分かることなのだが、村上春樹という人物は食えない。本当に食えない人物である。自分の本音をさらけ出しているかのようで、根本的な部分に関しては煙に巻く。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 22時43分
しかし、食えない人物が書いたものでなければ小説など面白くない。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 22時46分
「思想」というほどのものがあるのかな?このひと
きわめて「感覚的」「情緒的」な文士さんだと思う。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 22時47分
埴谷は、感情や情緒に先立って思想があるのではないんだ。感情や情緒が、思想という仮面をかぶっているだけなんだ。だから蓮實や浅田や柄谷には馬鹿に見えるんだ。つまり吉本隆明と同じ扱いなんだ。だが、文学というものは、結局そういった馬鹿がつくりあげていくものなんだ。どんなに思想上位が頑張っても、文学を作ることはできないんだ。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 23時17分
そして村上氏は主人公に常に自問させる。この人生は確かに順調かもしれない、でも本当に俺の本当の人生なのか、と。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 23時30分
ある意味では楽な生活でした。一切の主体的な選択がなかったのですから。「これをやっていれば大丈夫」というような行動を自分に与えていただけです。逆に言うと、「これ以外をやってはいけない」ということでした。機械的ではありました。柔軟性に欠けてはいました。それがどういう点において悪いと言うことができるのか、まだわかりませんが。楽しかったような気もするし、ただ苦しかったような気もする。ただ、自分の背中のすぐ後ろ、すれすれのところに壁が迫っている、という感覚が常にありました。余裕はなかったです。生活の隅々にわたって、自分の作り出した規範に支配されていました。それはほんらい、自分を救うための規範だったのですが。

名前:あいこ 日付:5月22日(木) 23時32分
例えば、ぼくはゴダールの映画の映像はかっこいいと思う。カルティエブレッソンの写真はかっこいいと思う。カレンカーペンターなんかを聴くと普通に楽しいわけ。

アイコの映像を見ると、息苦しくなり、吐き気がする。アイコの写真を見ると、息苦しくなり、吐き気がする。アイコの音楽を聴くと自分の中の何かが削られていくのを感じることが出来る(そして、それはおそらく削られるべきなのだ)。アイコを聴こう、と思うと、いつも心拍数が上がる。いまのところ、まだ自然に聴けないようである。

この両者の違いはなんだろう?

それはおそらく、以前も書いたように、「こちらの生きかたそのもの」を問いかけてくるか否かの違いなんじゃないか。切実だってことだ。アイコを見ると、自分の生きかたを否定せざるを得なくなる。こういう存在に出会えることは、とても喜ぶべきものである、と思う。

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