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2010/04/12 (Mon) 08.6月25日(水)~6月26日(木)

名前:あいこ 日付:6月25日(水) 11時23分
俺なんかの場合、音を出す必然性がないんだよ。ただ音を出してるだけになってしまう。それは俺の知っている音楽ではない。音楽をけがしているように感じられる。実際けがしてるんだろう。俺に音楽はできない。いまは音を出したいとは思わない。というか、音を出しちゃいけないんだよね。音を出すと、俺がいちばん痛いんだから。誰の益にもならないでしょ。

こういう風に考えるのはおかしいのかな?気違いだっていわれるのかな?誰もこういう風に言っている人、見たことないもの。みんな楽しく楽器をやってる。まったく理解できない。

名前:あいこ 日付:6月25日(水) 13時7分
Pの席。死にそう
http://www.nhk-sc.or.jp/nhk_hall/frame_bottom_kyaku.html

名前:あいこ 日付:6月25日(水) 23時21分
音楽をやろうと思った。

名前:あいこ 日付:6月26日(木) 0時22分
aikoの音楽は、自分の中のいちばん奥のほうで常に、音のない音楽として鳴り続けていたんだなあ、と改めて思った。村上春樹の「風の歌を聴け」が、自分の中のいちばん奥のほうで音のない音楽として鳴り続けているように。それだけで充分じゃないか、という気もする。それだけで、生きていく価値のようなものは充分にある。

名前:あいこ 日付:6月26日(木) 12時32分
全体性、ひとつの部分が欠ける、全体の意味合いが変化する(他の部分もすべて間違いになる)
AとBとCを愛しているとする。Aを愛するためにBとCをないがしろにするとする。するとAさえも愛せなくなるだろう。BとCも愛しているのなら、その愛も開放しなくてはならない。自分が何を愛するのかというのは自分で選ぶことのできるものじゃない。俺はaikoだけを愛してるんじゃない。ジャズと無縁にはなれない。美しいと思うものは生活の中に、aiko以外の音楽の中にもある。世界を愛する。世界とaikoは無縁ではない。俺は世界を愛する。aikoは世界を愛する。俺は世界を見る。

名前:あいこ 日付:6月26日(木) 12時33分
当然というか、俺は音楽ぜんたいを愛しているんだ。音楽ぜんたいとは、世界そのもののようなものだ。悲しみぜんたいのようなもの。自分の悲しみじゃない。世界にある、いろんな悲しみ。ひとりひとりが生きていく中で経験する悲しみ。街を歩いていて、そのような街を行く人の、ひとりひとりの悲しみを感じられるようなときがあって、涙が出ることがある。みんな悲しいというか、生きているということは悲しいことなんだな、と思う。でも、なぜか愛おしい。街行く人たちに、「君が好きだ」と、ひとりひとりに言いたくなることがある。俺にとって、音楽ってそういうものだから。そういう悲しみを愛している、「人間」を愛していることが、そのまま音楽への愛になっているような気がする。

だから、aikoの音楽であるかそうでないか、というのはそんなに問題ではないというか。「人間」が好きなのかも。

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