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2011/06/20 (Mon) 08.11月14日(金)~11月15日(土)

名前:aiko 日付:11月14日(金) 21時6分
自分を理屈に従わせたくなかったんだよ。頭で「こうする」って考えて自分をそれに従わせると、どうしても耐えられなくなる。「学校へ行く」とかね。頭だけで作り出したものに自分を従わせるのに物凄く強い抵抗を覚えるんだよね。直感というか、体が抵抗する。神経症というのは、まさに上に書いたようなことを言うんだけど、神経症とは、自分の直感だとか実感、体の反応を無視して、頭だけで作り出したものに自分を従わせること、とも言えるんだよね。7月に働き始めたことは、初めてだよ、初めて自分の実感だとか直感を無視して、理屈に自分を従わせたんだよね。面接を受けた直後、体が物凄く抵抗した。頭で、「俺は間違ったことをしたんじゃないか」って考えたわけじゃない。直感だとか、体が強く抵抗したんだよね。「絶対に間違ってる」と思った。考えるまでもなくわかるんだよ。わかるでしょ。そういうことってあるでしょ。直感なの。明らかなの。しかも、その理屈ってのが、俺の考えた理屈じゃなくて、他人の考えた理屈に従わせられたの。そいつは俺の神経症を治そうとして、テレビで見たような安易な、「精神病の奴は家の外に出しさえすれば上手く行く」、というような理屈に俺を従わせたんだよね。あいつらから見たら、神経症も鬱病も分裂病(統合失調症)も境界性人格障害もみんな「精神病」でひとくくりなんだからな。それで「精神病」のやつは家の外に出さなければいけないだとか、テレビで仕入れた情報を適用してみてそれだけで自分が医者にでもなったと勘違いするんだ。医者気取りするんだったらさあ、せめて医学の専門書十冊くらい読んで、自分も神経症になって何年間か苦しんで、それからやって欲しいよね。森田理論も禅もユング心理学も仏教もろくに勉強してない奴がどうしたら他人の神経症を治せると思い上がることが出来るんだ?

名前:aiko 日付:11月14日(金) 21時7分
かと言って、いま7月に仕事を始める以前の実感に立ち戻ろうとすること、それを取り戻そうとすることが正しいのかもわからないんだよね。あの時の自分の感じることの出来る実感が、あそこにあったわけで、もう終わっちゃったことなんだよね。俺は自分の実感を積み重ねて生きてきたように思うけど、あそこで途絶えてしまった。途絶えてから三ヶ月以上経った。仕事を始めてからの間、ずっと自分の中のあたたかさのようなもの、実感、自分の人生を生きているのだという実感を感じることはなかった。実感に従って生きるというのなら、いままたゼロから始める必要がある。しかし、学校を行くのをいま中断すると、現実問題として七年で卒業することが出来なくなる。親は七年までしか金を出さないというから、ここで大学へ行くのを中断すると、もうここで退学しなければならなくなる。後期、一週間くらい、バイトをくびになったあと、やっとチャンスが戻ってきたと思って、学校へ行くのを中断して、ゼロから物事を「感じて」いようと思った。あまりにも長い間、自分の「実感」を離れていすぎた。だからその時はそうせざるを得なかった。大学に復帰することを考えれば一週間が限界だと思った。その一週間の間に、体はしっかりと(充分とはとても言えないが。体の声を納得できるまで聞くには一ヶ月は必要だ)反応した。世界が真っ黒になって何も見えなくなったりした(本当に見えない)。学校に行きたいのか、いや、卒業したいのかどうか、その一週間で「考えて」みた(「感じる」には一週間は短すぎる)。その時に感じたのは、大学をここで辞めれば、自分の体の一部をここに置いたまま、これから先一生生きていかなければならない、自分にはその肌寒さに耐えられる自信がない、ということだった。簡単な質問に自分はどのように答えられるのか、考えてみた。「大学を卒業したいのか?」「はい」(即答)。理由を考え出すと、いろいろ理屈をつけられるから簡単には「はい」とも答えられないだろうが、「考えずに答えろ」ということなら「卒業したい」ということだった(もちろん、それを信じるかどうかはまた別の話だ)。「卒業したい」理由をもっともらしく挙げていくなら(もちろん推測だけど)、退学すると決めたときに、それが俺が高校の時に「早稲田に入ろう」と考えたことを、その時の自分を、否定することになるんじゃないか、と考えたからだ。

しかし、実感としては、大学が自分にとって必要なのか、卒業したいのか、そういう気持ちが自分の中にあるのか、ということに納得がまだ出来ていない。だから、いまは実感よりも、でっち上げられた理屈(「自分は大学を卒業したいのだ」、という考え。この考えは充分に実感から出てきたものではない。充分な実感を引き出すだけの時間はもうない。だから実感から離れた「考え」に依存せざるを得ない。それは自分の人生を離れることだ。いまは急かなくてはならなくなっている。急いてはことを仕損じるのは明らかだけれども、いま急かなくてはもっと取り返しがつかないことになるんじゃないか)によって自分を大学に「行かせている」ように思う。いまは、「大学を卒業したいのかどうか、他のいろんなことに対する実感を納得行くまで感じたい」という実感と、「大学を卒業したい」という実感を戦わさなければならない。どっちか一方しか取ることは出来ない。どちらかを取ればもう一方を失う。あまり考えている時間もない。

名前:aiko 日付:11月15日(土) 0時36分
i wish YOU were HERE.

名前:aiko 日付:11月15日(土) 1時19分
結局こういうことなのだと思う。”完全な打撃”を最初につかんだときは、ただひたすら夢中なのだ。そして、その状態が何かの拍子で維持できなくなったとき、初めて「あの感覚がベストだったんだな」と気づく。再びその状態を目指して努力するが、そう簡単に完全な打撃はできるものではない。再び初心に帰って一から努力を始める。そして、再びあの”完全な打撃”が甦ってくる。今度は比較的冷静だ、自分に「神」が宿っていることを十分に意識できている。どうなれば、それが逃げていくのかも分かっている。これこそ「神の域」ではないか。
http://ww1.tiki.ne.jp/~sisho007/jinmei_j/enomoto.htm

名前:aiko 日付:11月15日(土) 3時28分
人間!あひゃひゃ。うふふ。

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