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2011/07/08 (Fri) 08.11月20日(木)~11月21日(金)

名前:aiko 日付:11月20日(木) 23時17分
俺は「aikoの音楽を自分のものにすること」をいちばん自分にとって重大なことと考えていた。「aikoを納得のいくまで見ること」を。aikoを知らないということが堪えがたかったんだろう。aikoを知ることなしに自分の人生は進まないと思っていたんですね。いまもそれはおそらく変わらないんだけど。

でも「音楽を自分のものにする」ってことがまだわかってないんだ。とりあえず100回聴けば自分のものになると短絡的に考えてた部分もあるけど、それだけじゃないこともわかってるし。

実際に自分のものになっていようがいまいが、自分で「aikoの音楽はもう自分のものになっている」と納得出来るということを求めていたんだろう。

「aikoの音楽を自分のものにする」ということが人生の最重要課題みたいになっていて、それによって他の物事があまりにも犠牲にされてきた部分はあるかも知れない。それだけ自分にとって重大だったし、それしか考えられなかったし。「生活を続けながら、aikoの音楽を自分のものにしていく」ということが考えられなかったんだな。それだけ焦っていたの。

そりゃあね、aikoの音楽を聞いていてね、俺がそこで何を見たのか、どんなものを感じたのか、そういうことを客観的に考えてみると、「俺はaikoを好きなんだ」、と言ってみることは可能だとは思うよ。でもね、aikoの音楽を聞いて、そういうものを見た以上、俺はここでじっとしているわけにはいかない、と思うの。じゃあどうしたいのかっていうと、「この人の音楽を知りたい」って思うわけね。だから、好きと言うことは可能かも知れない、だけど全然充分ではないってことだね。

ぜんっぜん充分ではないよ。aikoを好きだとは思わないもん。

そういうaikoを知りたいっていう気持ちがあったから、いろんなものを犠牲にしなければならなかったんだろうね。それで自然な生き方が出来なくなったんだろうね。

名前:aiko 日付:11月21日(金) 20時33分
たとえばねえ…「俺はまだ本気出してないだけ」って漫画があるけど、この漫画の中にaikoのCDが背景として出てくる。で、居酒屋「くにわけ」と言うのも出てくる。その居酒屋「くにわけ」の中で、aikoに似せたと思われるおかっぱ前髪一直線の鼻が上を向いた(決してかわいくは描かれていない)、名札に「こくぶ」と書かれた店員さんが出てくるのね、背景として。aikoがこの漫画を好きな漫画に挙げてたけど、これについてはどう思ったのかなあ、と思った。かわいく書かれてればいいんだけどなあ。aiko似の店員、名前は「こくぶ」、居酒屋「くにわけ」。うーん。凄くいい漫画だよ。

名前:aiko 日付:11月21日(金) 21時17分
いろいろな実感がある。ある時は、「人間」というものがリアルに感じられていた。ある時は、aikoの音楽を知りたいのに、その一方で佐野康夫の演奏を理解したいという気持ちもあったので、ろくにaikoの音楽を聴いていないことにいらいらしてた。ある時は、楽器をやりたいという欲も消え失せていた。ある時は、aikoを見てもかわいいとは感じなくなっていた。ある時は、aikoの写真を見たとき、息が止まるようなリアルな痛みを覚えた。ある時は、aikoの音楽を聴いて、自分のいままでの人生が否定されたように感じた。ある時は、押し入れに追いやったドイツ語の辞書が何かを訴えるような眼差しで俺を見ていたのを感じた。ある時は、aikoの音楽の中にある「これ」、この中にしか俺の人生はないのだ、と思った。ある時は、aikoの表情の中に俺の人生があると感じた。ある時は、学校に通っていることが明らかに正しくないことのように感じられた。ある時は、学校にもバイトにも行かずに数ヶ月を過ごし、天井も地面もない空間を永久に落下し続けるような無重力の中で自分の背中の後ろがむずむずするような、自分がどこにも結び付けられていないような落ち着かない肌寒さを感じながら、自分にとって何が重要なのか、つまり物事の軽重を量っていた。ある時は、学校に行きたいと思った。ある時は、講義をしている先生の声の響きの中に人間を感じ、涙を流した。ある時は、英語の授業の帰りに、道を歩いている人たちの無数の希望のようなものを感じ、目がしらが熱くなり、喉が痛くなり、歩いている人たちひとりひとりに向かって「ぼくは君が好きだ」と言って回りたいと思った。人が生きていることはなんて悲しくていとおしいことなのかと思った。ある時は、語学の先生が、授業に出なくなった俺に対してどのように感じているのかについて考え、申し訳なく感じた。ある時は、授業を懐かしく感じた。ある時は、いねやの弁当を懐かしく感じた。ある時は、もう二度と授業に出ることもないのかと考え、寂しく思った。ある時は、数ヶ月振りに授業に出て、先生の話に耳を傾けているあいだ、この数ヶ月分の自分の人生に中身が与えられていく様子を見ることが出来た。

名前:aiko 日付:11月21日(金) 21時32分
ある時は、泣きながら楽器を殴っていた。ある時は、楽器をやることになんの喜びも見出せていない自分に気付き、世界が空っぽになったように感じた。こんな思いだけはもう二度としたくないと思った。だから楽器はもう辞めようと思った。楽器を見ることも出来なかった。ある時は、表面上は「社会的な」生活を演じてはみたが、これは自分の人生ではない、というような胸の中が空っぽになったような感覚を感じながら過ごしていた。ある時は、自分に対して劣等感を感じ、人間をリアルに感じ、焦りを感じていた。ある時は劣等感も「こうなりたい」というのも何も感じなくなり、かと言って毎日学校に通って試験勉強をして、という生活を続けることも出来ず、かと言って人生を諦めたわけでもなく、かつて痛みや希望を感じていた所の周辺をうろうろとしていた。しかし、もうかつて感じていた痛みや希望、劣等感や実感はなくなっていた。ある時は、「俺は語学の授業を、学校の授業の中でも特に求めているんじゃないか」と思った。ある時は、学校を中退すると、自分の体の一部分をここに置いたまま、これから先ずっと歩いて行かねばならなくなるというような肌寒さを感じた。ある時は、経営学の教科書の表紙をいろんな角度から眺めることで自分の人生を取り戻そうとしている自分を発見していた。経営学の教科書の紙の触り心地を感じながら、俺はこれを捨てようとしていたんだと思った。

いろんな実感がある。

名前:aiko 日付:11月21日(金) 21時39分
ある時は、aikoの音楽を聴いている間は正しい判断が出来ていると思った。いざaikoの音楽に戻って来ると、aikoから遠ざかっていた間に自分の考えたこと、したことはすべて間違っていることのように感じられた。ある時はaikoの音楽を聴いて吐気しか感じなかった。

そして明日の課題はまだ終わっていない。

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