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2011/08/16 (Tue) 09.1月5日(月)~1月9日(金)

名前:aiko 日付:1月5日(月) 0時57分
明日から仕事なんだけど。死ぬわけではないと判っていても、それでもやっぱりおそろしい。もう3ヶ月も働いていないんだからな。死ぬわけではないと判っていても、明日仕事が終わったあとの世界が想像できない。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 1時5分
「仕事が終わったあとも、自分が生きているのか確信が持てない」だな。そういうふうに感じる。死ぬことはありえないんだけど。たぶん。「死ぬとしたら、その要因はなんなんだ」と訊かれても、逆に「生きていられるとしたら、その要因はなんなんだろう?」って訊き返してしまうだろうね。死ぬことがありえないのなら、生きていることもありえない。

そういうふうに感じるってだけだよ。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 1時9分
結局、「仕事に行っただけで死ぬわけがない」というのは、「経験的に」そうだと信じているだけだろう。「仕事に行ったが、死ななかった」という記憶があるからそういうふうに考えることが出来る。おそろしい。

名前:aiko 日付:1月5日(月) 23時36分
死にたい。これは「生きたい」という意味ではなく、純粋にそう思うのです。死ぬくらいならすべてを放り投げればいいのだけど、周りの人に申し訳ないとか思ってしまい、死ぬしか他にないと思ってしまうのです。自分の生きている世界に自分の助けになるものが何もない、という感が強くなるとそう考えます。人間の形をしたものがみんなおそろしいのです。自分には「愛」があるにしても、その愛は自分の人生を不自然にねじ伏せてしまうものでしかないと感じられる時に上のように考えてしまうのです。自分の中にある、「自分の人生を不自然にねじ伏せているもの」というのが「愛」であるのか、まだ確信は持てないのですけど。しかし、それはぼくの人生をここ2年くらいの間に大きく歪めてしまっているのは事実です。いま俺がここで死ねば俺は自分の愛によって死んだということになるのだろうか…などと自己陶酔のような想像も生まれます。実際には自己陶酔などしていなくて、「愛のために死ぬ」なんて甘ったるいものはないのです。いま現在のぼくは何に対しても愛なんて感じないんですから。しかし、自分の人生が狂ったり、いまぼくが何に対しても愛を感じない、毎日寝る時に死ぬことしか考えていないのも(というよりも、寝る時に、明日あたりが限界なんじゃないか、もう無理なんじゃないか、と毎日のように感じているんですよねえ。)、そもそも自分には何かに対する愛というか、希望のようなものがあって、そのために起こっていることなんじゃないかとか考えるんですけど。もとをたどってみれば、自分の中の愛のようなものによって自分の人生が不自然になって、いまは何に対しても愛を感じることがないという。生き延びることは難しいですよね。一日を生き延びることはこうも難しいのか。寝る時にいつも思うんですけど。「明日あたりもう駄目かも」それでまた一日生きて、また寝る時に同じことを考える。人間の写っている写真を見てもおそろしいだけ。「生きることは難しい」なんて言説は至るところで耳にするけれど、彼らは「自分の望み通りに生きるのは難しい」と言っているように聞こえるんですけど。「その日一日を生きること」は彼らにとって容易いことのようにぼくには映る。正直に言って、ぼくは「一日を生き延びるのは難しい」と感じます。まあぼくも自分の内にある希望というものが生きているからこのように感じているわけで、彼らと同じなんですけどね。

名前:愛子 日付:1月6日(火) 0時4分
「希望がある限り、生きることは難しい」ということに集約されるんでしょうが。それはすべての人間において同じだ。「苦痛の大小は希望の大小に比例する」なんてね。ぼくはね、いま頭が痛くて血管がこめかみを脈打っているんだ。正月でね、兄貴二人と親父が帰って来て五人家族全員が揃って、普段と違う環境になっちまったもんだから、その三人が帰って、また母さんと二人暮らしに戻った途端、体調を崩して風邪をひいちまったわけだ。それで今日初仕事。それでいま死にかけているというか、自分の吐く息が酒臭いわけよ。酒なんか飲んでないのに。疲れがある一線を超えると自分の息が酒臭くなるのは経験的に知っている。これは相当にまずいなと感じさせるものではあるんだよ。だって酒飲んでないのに息が酒臭いって、明らかに自分の体が異常事態になっているというのが判るでしょ。そういう「ここまでの警告のサインを出すほど、自分の体はやばいことになっているのか」という、精神的なダメージも大きい。まあ頭がのぼせていて(風呂に長く入っていたような感じ)、目がぐらぐらして、吐く息が酒臭くて、頭が痛くて、両側のこめかみを血管が脈打っているのがありありと感じられて(全身において、血管の脈動が激しい)、心臓はばくばく言っていて息苦しい。寒気がしてぞくぞくして、くしゃみが出る。目を開いているのがやっとなので、一応十時くらいに床に就くことは出来たのだけど(念願の十時)、ここ最近寝るのがずっと三時とか四時だったので、疲れているとはいえなかなか眠れない。そして疲れているために考えることは死にたいだとかネガチブなことばかり。相変わらず心臓はばくばく言っていて息は酒臭い。「自分は弱っているんだ」と自覚することも自分にはダメージである。現実の問題として、今週の木曜と土曜にはそれぞれレポートの提出をしなければならない。そして何故か両方ともまだ手をつけていない。つまり、
・今週レポート2本提出
・まだどちらにも手をつけていない
・風邪を引いて死にそうになっている
・今日からバイトが始まり、これから先何日間かは研修で仕事を覚えたり新しい環境に慣れていかなければならない
というような状況なのです。こんなに早くレポートの提出期限がやって来るのは想定外であり、風邪を引くというのもまったく予想していなかったのですよ。風邪を引いていて死にそうになっている時に慣れない物事が重なるのは、大変なんだよ。

名前:愛子 日付:1月6日(火) 0時39分
新しい仕事の店長は菅沼孝三みたいな顔をしてるんだけど。特に今週の土曜のレポートは書評とかいうやつでね、まあ1600字くらいなんだけど、まだその自分で選んだその課題図書を読んでいないんだ。200ページくらいの本なんだけど。「どんな本を選んで来てもいい」と言っていたので本多勝一の「はるかなる東洋医学へ」っていう本を選んだんだな。ずっと前にブックオフで買ってまだ読んでなかったやつ。東洋医学ならまあ自分にも読めるだろって思ったんだけど。まあでも普段から本なんて読まないし、常に本を読んでるなんていうタイプじゃないし、読むにしても村上春樹の小説か、買ってまだ読んでいない数百冊の漫画を読むくらいしかしていないから。学術的な本なんて読んでないんだよ。新書も読まない、文学も読まない。それらは自分のいまの選択肢の中に入っていないんだよ。「ゲーテとの対話」を二ヶ月前に読んだくらいか?あれだって芸術論だから俺にとっては読書って感じではないし。まあだからその本多勝一の本を読んで、四部構成くらいに分けて(書評の書きかたというものがあるらしい。まず作者が何故それを書こうとしたのかという、その本を書いた目的、次に本全体の構成の説明、次に自分のその本に関する意見、あとは忘れた)書かなければならない。手をつけてみないことにはどれくらい骨が折れるのかはわからん。だからヤバイんじゃないかと感じているのだよ。明日もバイトの研修である。まあ二時から五時だから時間的拘束という意味ではたいしたことではないんだろうけど…体調さえしっかりしていれば、だな。この世でいちばん大事なものを知っているか?それは「健康」だよ。よく「自分には生きている価値はない」とかそういう言辞があるだろ。「社会に貢献していないから自分には生きている価値がない」とか、仕事もしていないでずっと家にいる人が考えたりもするようだけど、しかしその「社会」ってなんだ?一人の人間が生きていて、健康に生きていて、健康に生きようと欲していて、そのことが例えばその人の親だとか家族にとって少しでも意味のあることであるならば、それだけで十分「社会」に貢献しているではないか。一人一人が生きていること、出来ることならばその一人一人が自分の希望に向かっていくこと、それこそが社会に対する貢献ではないか。よし、少し眠くなってきた。健康があれば、世界はたぶん良くなる。少しづつではあっても。健康第一。おやすみなさい。

名前:aiko 日付:1月6日(火) 23時2分
俺がいろんな女をかわいいと思おうが、常に重力として存在するものがある。胸の痛みを感じて生きていたい。
http://jp.youtube.com/watch?v=lLNd1jQikNw

名前:愛子 日付:1月6日(火) 23時30分
しかし、存在はしていても、その重力に気付かないで数週間を過ごすということもしょっちゅうだ。特に環境がいろいろ変わるとそっちの方に気を取られるからね。

名前:愛子 日付:1月7日(水) 14時27分
何がレッドツェッペリンだ。何がジミヘンドリックスだ。それらが如何に「音楽的にレベルが高い」と言っても、それらは俺にとってはなんの縁もないんだ。「質」の話をされるとうんざりする。

名前:aiko 日付:1月8日(木) 1時26分
木崎りのがアイコに似ていると言っている人がいるようだけど、奥二重でもなく蒙古ひだもなく目も離れていない女をアイコに似ていると言い張るのなら、きんとんの入っていないおせち料理をおせち料理と言い張るようなものだ。
http://www.japanesethumbs.com/japanese-av-girls/rino-kisaki/3/

名前:aiko 日付:1月8日(木) 2時40分
アクサク・マブール。これは凄まじい。
http://jp.youtube.com/watch?v=zpJrlAC7VNU&eurl=http://loosecube.blog94.fc2.com/

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時11分
戻って来るためには逃げる必要がある。それがいくら「大切」なものであるとしても、自分が関わるものをそれひとつに限定してしまえば世界に色はなくなる。だから逃げる。逃げたいと思うのは自分の意志であり、また逃げ飽きて戻ってくるのも自分の意志である。何かを「大切」なものだと判断するのはあくまで判断であり、真ではない。

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時22分
逃げてもいない、向かってもいないというのが問題なのだ。「逃げる」ということは、間接的に自分の向かうべき方向を知ることを伴う。比較が生まれるのだ。

名前:愛子 日付:1月9日(金) 16時27分
そして「自分」というものは「自分」と事物との関係性の認識の記憶の集合から想像されるものに過ぎない。「自分」というものは常に「他者」が照射するものである。

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