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2012/02/06 (Mon) 09.7月8日(水)~7月12日(日)

名前:あいこ 日付:7月8日(水) 3時49分
いろんなところをうろついて、あなたはもういなくなってしまったんじゃないかと思ってた。しかしあなたは同じところにいて、俺は変わらずにあなたのことが好きだった。

名前:あいこ 日付:7月8日(水) 21時12分
これからの人生、「人生は無意味なんだから、この世界にある何もかもが無意味なんだから、生きてたって死んだって変わりはないんだから、おまえらさっさと死ね」ということを触れて渡りたいと思います。この世に生き残ってまで手にする価値のあるものなんて何もないということを、子供たちに伝えたいと思います。

名前:あいこ 日付:7月8日(水) 21時18分
世界って、なんでこんなに空っぽなんですか?胸の中が寒い。

名前:あいこ 日付:7月9日(木) 3時6分
俺は愛されることは殆ど求めていない。俺は、自分の中に、何かに対する愛を感じることが、最も自分にとって幸せを感じられる。胸の中が暖かくなることが。胸の中が、その好きな人で満たされることが。胸の中にその人の存在を感じられていれば、俺は孤独ではないし、何かに対して優しくもなれるのだろう。

名前:あいこ 日付:7月9日(木) 17時58分
なんかおれ、古着着た女の子とちちくりあってればいいや。古着着た女の子と一日じゅうセックスしてちちくりあってれば何の不足もない気がしてきた。古着着た女の子はどうすれば手に入るんだろ。

名前:あいこ 日付:7月10日(金) 1時5分
時間がすぐに止まってしまう

名前:あいこ 日付:7月10日(金) 17時2分
何も言いたいことなんてない
突き詰めれば、生きていたくなんかない
何もない
言われたことをやってるだけ

名前:あいこ 日付:7月11日(土) 17時18分
まずは女の子の知り合いをいろんなところで増やすところからだな。いま一人もいないからな。やっぱアルバイトしかないのかな。どういう所で女の子と知り合えるんだ?アルバイトなりで女の子と友達になって、その人の友達をいろいろ紹介してもらうとか?女の子の知り合いが50人はいないと、自分の好きな感じの子に出会えないでしょ。街中ではしょっちゅうそういう子を見るんだけど。下手すると一日に三回恋するしな。声かけられれば最高なんだけど。街中でそういう子を見掛けた時にどうすれば声をかけられるのかを考えないといけないな。いきなり「好きです」とか。可能性ゼロじゃないでしょ。っていうか、そういうことやんないと一生好きな人と付き合えないだろ。俺の場合、短い茶髪の女の子で、少し大きめの白ティーシャツ着てて、スニーカーがカラフルな感じで、ティーシャツのおっぱいのふくらみが最高だったら、好きになる。

名前:あいこ 日付:7月11日(土) 23時49分
っていうか、本屋なんかで、いいと思う子を見つけると、ビジュアル系好きであることが多い気がする。pati pati とか読んでるの。シドとか、ラルクのハイドとかが好きって言う。Tシャツにスニーカーとか、全然ビジュアル系と関係なさそうに見えるんだけどね。

でも、そういう子が、「あたしはラルクのハイドとかが美形でかっこいいと思うけど、Kくんはもっとかっこいいと思う」なんて言ってくれたら、それはそれでいいかもな。俺は全然ビジュアル系の顔つきじゃないのに、つまり彼女の好みのジャンルではないのに、彼女を惹き付けてしまったという。それはきゅんとなる気がする。ガゼットのポスター貼ってあるそのTシャツ彼女の部屋でセックス。悪くないかも。

名前:あいこ 日付:7月12日(日) 22時30分
ところで、私は先月、セロクエルという薬を処方されました。これは、効きました。

この薬が効いている間は、

極度に落ち込んだり、不安になったり、逆に舞い上がったりするような気持ちのぶれがなくなり、

落ち着いた、平穏な心持ちになりました。

マイナス思考もなくなり、安定してちょっと平和で穏やかな気持ちを持続することができました。

今までの私には、味わったことがなかった感覚です。

普通の人って、こんな感じだったんだぁ、って思いました。

この薬があれば、私は、普通に暮らしていけるんじゃないかなって思いました。

私は確か、それを求めていたはずでした。

名前:あいこ 日付:7月12日(日) 22時31分
でも、なんていうのか、気持ちのぶれがなくなり、

不謹慎な表現かもしれませんが、なんかつまんないの、って思ってしまいました。

さらに、自分のエネルギー、活力、意欲がガクッとが減少してしまいました。

何より、自分が自分でなくなったように感じられました。これは、私じゃない。

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2012/02/06 (Mon) 09.7月6日(月)~7月7日(火)

名前:あいこ 日付:7月6日(月) 22時53分
ぼくは、中途半端にポジティブな自分が嫌いです。じゃあ自分の望む人になれたら?どんな人になりたいのだろう?ぼくはもともとポジティブだったか?ポジティブというより、自分の心を引き付けられるものを見つけたら、それに縋り付いているだけだったな…ひきつけてくれるものならなんだっていい。縋り付いていなければ、ただ空っぽに過ぎていくでしょう?それが怖いからね…いや、この一年?何をしていたっけ?縋り付いていたものなんてあった?なんかごちゃごちゃとしたものが自分の頭の上を通り過ぎて行っただけだったような…何か残った?残ってない。縋り付いてるもの、それは愛。愛してれば、安心。というか、それしかないでしょ。その前はどのように生きていたっけなあー。おもいだせない。俺ってどんな人だったっけ。ここのにいるのは誰なんだろ。

っていうか、俺ってね、中身が何もないと思うの。「君は誰?」って言われて、誰なんだろう?誰でもいいじゃない。

自分ってものを、拾い集めていけたらいいですね!!

おわり

名前:あいこ 日付:7月6日(月) 23時11分
でもね、ぼくが世界が見えないのは、他の人の言ってることが全然わかんないのは、ぼくが耳栓をはめて生きているからなのです。世界に参加してないんだから、世界のことなんてわかんない。でも、世界って何?耳栓が取れればいいなあ。俺はどこにいるのかなあ。自分がどっかいっちゃった。いや、あったっけ?

名前:あいこ 日付:7月6日(月) 23時38分
瞬間とは永遠だ。

過去とか未来とかいう言葉のあるところには、永遠はない。

永遠はただ瞬間、その瞬間の中に自分が溶けてしまえばいい。

名前:あいこ 日付:7月6日(月) 23時51分
俺には時間は過ぎていないということだ。だから、俺はいない。今日一日が、明日一日が、時間であってくれるように。

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 1時19分
世界には入り口があって、出口がある。入って、出て行く。部屋の中の景色が、素敵であるように。

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 2時15分
なんにも痛くなんかないよ

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 3時54分
みんな、俺と違う人間なんだよね。いま初めて知った。いや、俺は人間でしょ。で、人間はたくさんいるじゃん。えー、あんたも人間?じゃあ、俺と同じだ。なんて思ってた。この世にはね、世界と人間の二つしかないと思ってた。おれ、知ってる人間一人もいない。でも、人間って日本だけで、一億人以上いるんでしょ。人一人見ても分かんないのに。いや、知る知らないじゃないよ。別に。知るって何よ。ははは、くだらねえ。

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 4時9分
ものすごく死にたい

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 4時10分
こわい

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 4時27分
なんで死にたいんだろう

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 5時41分
少なくともあの人はこの世に存在しているし生きています
ぼくはこの世に存在していないし生きていません
ぼくはどこにもいません

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 6時37分
その人がいれば、世界は空っぽではなくなるんだ。

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 6時52分
時間が正常に過ぎていかなくなったのはいつからだろう?時間が自分を追い越したのはいつからだったろう?いろんなものが約束されなくなったのは?自分が守られなくなったのは?

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 14時41分
もう今年は半分終わった。4月からの3ヶ月間はおれは何を手にしたんだろう?この半年、一本の映画も見ず、一冊の小説も読まず、一曲も曲をコピーせず、ろくに音楽も聴けず(身体化症状のため)、ただ、何もない場所から何もない場所への移動に費やした。

名前:あいこ 日付:7月7日(火) 15時19分
別に、他の人が何をしているとか、俺には関係ないし、興味ないんだよ。俺は別に焦りとかを感じたことはない。自分が間違っていることをしているとは思っていなかった、というか、間違ったことをすることを常に意識して避けようとしていたからね。去年の7月まではね。

「何をする」ということに興味はないんだよ。「何をする」というのは、結果的に自分を物として扱うから。人生を投げていない限り、そういう生き方は出来ない。

「何をするか」はわからないし、わかる必要もない。本当に興味がない。しかし、自称常識人は、このような「瞳孔の開いている」人たちを、病人として扱うんだな。「何をするか」「何を考えているか」ということについて具体的なことを何も話さない(話せない)から、それはいけないことだと勝手に判断して治療してくれようとするわけ。明確な方が優れていると考えているんだな。

俺は何も話すことなんてないの。話したいと思えば話すよ。なのに、そういう輩は、こっちに無理矢理に口を開かせようとするでしょ。すると、言葉にならないことを言葉にしなきゃならないから、それを分かりやすい言葉に置き換えようとすると、まったく意味合いが変わってきて、嘘になってしまうわけ。さらに、そいつは俺のことを、「哲学的な思考にはまり込んでいる人間」として嘲笑するわけ。そいつから話せとか言ってきた癖にね。言葉に出来ないことは話す必要(意義)はないし、それを無理に言葉に置き換えようとすれば「哲学的な」言葉になるのは当然のことだろうが。

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2012/02/02 (Thu) 09.6月15日(月)~7月6日(月)

名前:あいこ 日付:6月15日(月) 22時12分

「この人は俺を守っていてくれているのだろう」、そう思うことが、その人のことを信じているということでもあると思うけど、その人に対して、「あんたのことなんか信じていないんだ」と言うとする(本当は信じている)。そうすると、相手は傷つき、俺に対してよそよそしくなってしまう。以前にあったものは無くなってしまう。その人は俺を信じてくれなくなる。だからもうその人は俺を守ってくれない。いや、俺自身が、「その人によって守られている」と感じることが出来なくなる。俺自身が、他人の愛のようなものを更に感じられなくなる。助けてくれ。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 0時30分
4月あたりからあらびき団を見始めているんだけど(普段、特定のテレビ番組を見るという習慣はない)、なんでいままでこの番組を見ていなかったのか、と思う。せっかく出会えたのだから、しばらく終わらないでいて欲しいと思う(鬼太郎は面白さを発見した直後に終了した)。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 3時7分
俺は精神を犯されたのか。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 14時52分
そこに生活が見出されない音楽は俺は興味がない。インダストリアルだかなんだか知らないけど。要は歌謡曲だ。本来的な意味でのブルースと言ってもいいかな。あんたがどのようにして生きているのかが知りたい。あんたは何が欲しいんだ。何が悲しいんだ。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 15時44分
例えば、俺が誰かに殺されるとする。そこで俺の人生は終わり。周りの人間はこういうだろう、「もし、おまえが殺されることを不当だと思うのなら、殺されるその瞬間まで後悔しないように生きなかったおまえが悪いのだ」、精神障害など関係ない。というよりも、精神障害のために人生を満足のいくように生きることができていないことを、本人の責任であると考えている人間が大半なのではないか、と思っているのだけど。知らぬがホトケというか、知ろうとさえしなければ、「彼らにとっては」それは存在しないのも同じなのだ。実際、「精神障害など存在しない」と高をくくっている人間は多くいるのだ。それについてまったく考えたことがないということは、それが存在しないと見なしているのと同じことだからだ。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 16時3分
くだらん理屈を書いてみよう。

「やさしさ」というものが分からない(ろくに考えたこともないが)。「やさしさ」というものは「共感」に関係しているのかもしれない。そして、共感というのは「記憶の共有」であると思う。「同じようなものを見たことがあるか」、「同じような感情、感覚を経験したことがあるか」ということだ。

例えば、砂埃の多いところで育った人は、同じように砂埃の多いところで育った人に対し、砂埃に関することで共感できる部分を多く持つものだろう。その共感できる「能力」のことを「やさしさ」というのであると思う。

名前:あいこ 日付:6月18日(木) 17時7分
しかし、忘れることは怖ろしいね。俺は人間とは記憶であると思っているから、何か、大切なものを忘れていたことに気付くと、自分は自分の一部分を失っていたんだと思って悲しくなる。忘れていたことにすら気付かなくなるんだから。元々存在していなかったかのように。それが忘れるということなんだけどね。いま現在、これから先、絶対に忘れたくないと思うものなり感覚なりがある。俺が生きている間にしている努力の大半はそのための努力なんだろう。大切なものを忘れないでいるための努力。

名前:あいこ 日付:6月24日(水) 1時16分
コンビニのアルバイト、二件に絞れた。おめでとう!!これも連日昼と夜に数件の候補となっているコンビニをストーキングし続けたおかげです!!

その二件のうちの一つは、店員間のバリアが緩い感じ。結構わきあいあいと笑い合っていました。新入りらしき茶髪の女子高生がかわいかったです。その子の他に、明るい茶髪の肩までのストレートなロングな髪の毛の、身長150前半のBoAっぽい女の子も、雰囲気がかわいい気がしました。あと30代くらいのショートヘアーの茶髪のかわいい女の人もいました。男は、茶髪の高校生らしき人、黒と茶髪の交じり合った髪の毛のちょっとテニサーっぽい人がいました(いけめんではない)。

もう一つのコンビニは、店員間のバリアがもう少し強い感じです。働くだけ、というのならやりやすいのかも知れません。こっちの店では若い女の人は一人だけしか見かけていないのですが、ちょっと陰のありそうな人でした。今日ぼくが店に入ったときは、なんにも挨拶をしてくれませんでした。

名前:あいこ 日付:6月24日(水) 1時34分
この二件のうちのどちらにするか、いま考えているわけです。わきあいあいの方は、明るい雰囲気のため、ちょっと入りづらい気もします。でも楽しそうです。女の子も、こっちの方がかわいいと思います。

わきあいあいというのは嫌いではないのです。明るい雰囲気も、好きなのです。以前働いていたセブンイレブンは、わきあいあいとしていて、家庭的でした。仕事中に笑い合う感じでした。そんな雰囲気が好きでした。みんな暖かい感じの人でした。ぼくは暖かい感じの人が好きなのです。

名前:あいこ 日付:6月27日(土) 2時58分
愛が欲しい。自分の愛が

名前:あいこ 日付:6月27日(土) 13時13分
もう取り戻すことのできないもののために泣いているのか?しかし、泣いているということは、俺はこれから先も生きるのだろう。これから先もずっと、取り戻せないもののために涙を流し続けるのかも知れない。

名前:あいこ 日付:6月27日(土) 13時28分
そして、俺は、声なく、叫ぶ。それは何者かに対する感謝である。

名前:あいこ 日付:7月4日(土) 2時52分
自己愛性人格障害の被害は、受けた人にしか分からないし、自己愛性人格障害の被害を受けてない人間を見ると、「自己愛性人格障害の被害を受けていない」という理由のみにおいて、理不尽というか、恨めしく感じる。「なんでおまえらは被害を受けていないんだ」と思う。

名前:あいこ 日付:7月6日(月) 4時8分
俺があと一週間以内に死なないように祈ってください。希望というものがまた少しずつ戻って来るのなら、それにつれて自殺願望も強くなるでしょう。自分に何かを望む気持ちが戻って来たら、自分の人生が手遅れになっていることにも気付くだろうからです。そこで死ぬことになるか、持ち堪えることが出来るのかどうかは分かりません。

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2012/02/02 (Thu) 09.6月10日(水)~6月14日(日)

名前:あいこ 日付:6月10日(水) 15時44分
自分に「アドバイス」してくるやつは、みんな自分より馬鹿なんだということを覚えておかないといけない。「アドバイス」してくるやつは極まって自信満々で、自分は何でも知っているという態度で「アドバイス」をしてくるから、こっちもそいつの言ってることが正しいように感じられてしまう危険がある。常識的に考えて、よく知りもしない他人に対して「ああしろこうしろ」と軽率に発言することができるというのは、普通の人間だったらありえないことだろ。

名前:あいこ 日付:6月11日(木) 1時46分
アイコは「いっぺんに全部をやりとげようと思わなくていい。一つ一つクリアーしていけばいいと思う」って言ってたけど、俺なんかアイコのツアーパンフレットをすべて読み終えるのに、(思い立ってから)二年以上かかってるわけよ。

学校へも行かない、アルバイトもしないという環境を何故求めたのかというと、アイコと二人きりになりたかったからだろう。アイコのために不安になり、アイコのために苦しみ、アイコを見て胸を痛めていたかったのだろう。

名前:あいこ 日付:6月12日(金) 14時9分
アイポッドを見ると吐気がする。どこに行けば吐気を感じないで済むのだろうか?

名前:あいこ 日付:6月13日(土) 13時19分
俺のやっていることは、俺の責任ではないということ。俺がきわめて限られたものにしか興味を持たないのも、俺の責任ではないということ。俺にとって、世の中の大半の出来事は無意味であるということも、俺の責任ではないということ。

このようなことが理解できない馬鹿を相手にする時、どのように戦うのかということ。

俺は自分の意志にぴったりとくっついている間は不満はない。自分の意志と自分のとっている行動とが乖離している場合、不満を持つ。

名前:あいこ 日付:6月14日(日) 0時33分
この世界にあっていちばん厄介なのは人間なんだけどね。自分に侵入してきて破壊してこようとする人間といかに戦うか、ということと無縁でいられたら楽に生きていけるんだけどね。「人間は共に仲良く」なんてのは上辺だけの文言であって、実際は「いかに人間と戦うか」、こちらの方が現実的な問題。

「人間は仲良くやっていけるものなんだ」という思い込みをしている人間が、俺にとって脅威になることが多いんだな。「人のことは完全に理解できるものだ」と思い込んでいて、「ぼくも君もみんな同じ人間なんだ」と思い込んでいて、「君のことが好きだ」と軽々しく口にし、「さあ手を繋ごう」と言ってくる人間。そういう人間が俺にとってのいちばんの脅威だ。

名前:あいこ 日付:6月14日(日) 0時47分
「みんな仲良く。ぼくは君が好きです!さあ手を繋ぎましょう」とか言って、人間の持っている対外的な攻撃性に対して見て見ぬ振りをしている偽善者が許せないってこと。人間、そう簡単に他の人間を好きになれるわけがないんだしね。牽制し合う部分っていうのは生来的にそなわっているんだから。

会う人間すべてに対して、「殺すぞ、おまえ」とか言って日本刀振り回している人間の方が俺は余程信用できる。

名前:あいこ 日付:6月14日(日) 1時18分
ミッシェルガンエレファントのチバユウスケは、カネコアツシの漫画に対して「妄想、暴力、裏切り。これが現実。俺はリアルなものが好きだ。だからカネコアツシが好きだ」とか言っていたけど、俺はリアルなものが「好き」というよりも、単純にリアルじゃないものが「嫌い」なんだ。嘘くさいものがね。

名前:あいこ 日付:6月14日(日) 3時4分
俺は何も信じていない。人間にそなわっているのは信じる能力「だけ」だ。真実なんてものはない。本当だと思えば本当だし、嘘だと思えば嘘だ。「信じているそのこと」、それだけが真実だ。信じる能力を失うことは、すなわち生きる意志を失うことだ。自分の目に映る物事はすべて、嘘でも本当でもないことだ。

俺は去年の七月までは、常に一貫して自分は前進していると感じていた。自分の世界に対する認識は常によりよい方向へ進んでいると感じていた。だから生きることに何の不満も感じていなかった。完璧な人生だと思っていた。去年の七月以来、俺は少しも前進していない。世界に対する認識は、破壊された。去年の七月以前は、普通に理解していたような、世界の認識の仕方を、忘れてしまっている。自分にとっては当たり前だった理解が、今の自分には殆んどなくなってしまっている。当たり前で、自分にとって重要な理解、すなわち価値観が、なくなっている。「世界はこういうものだ」という理解が。去年の七月以来、俺は無駄に年を取っているだけだ。何の前進もない。当然助けてくれるやつなんていない。当たり前だ。去年の七月に俺が間違った方向へ引きずり込まれようとしている俺を止めなかった親も、所詮は他人事なのだ。他人事でないのなら、去年の七月に止めていたはずだからな。今更俺に対して心配しているようなそぶりを見せたところでそれが俺にとって何の助けになるというんだ?俺は死ぬ時には一人で死ぬ。結局、親だって、俺が「自分のとっている行動が自分の意志によるものだ」と信じながら生きることについてはどうでもいいと思っていた、つまり「意志に従って生きようが生きまいがどっちでも同じだ」と思っていたから、俺が間違った方向へ引きずり込まれようとしているのを止めなかったわけだ。「正しいも間違っているもない」と思っていたのだろう。親は、自分の息子はぎゃーぎゃー言っているけれども、息子が困っているのは一過性のもので、遅かれ早かれ息子は無事になるのだろう、と高をくくっているのがよく分かる。結局他人事なのだ。親の人生が変わるわけではない。

いまの自分にとって必要なことは、「いま自分のとっている行動は自分の意志によるものだ」と信じられるように生きられるようになることであると思うけれども、そこに至る方法を俺は知らない。「自分の意志」に至る手掛りが見付からない。

名前:あいこ 日付:6月14日(日) 3時26分
俺もあいつのように誤魔化しながら生き続けるようになるのだろうか?自分にとって本当に必要だったものを二度と見付けることが出来ず、この無意味な人生を、空疎な言葉を並べて世界をますます無意味にしていきながら、からっぽな人生を生きていくしかないのか?俺の人生はやはり終わったのだろうか?自分の言葉がどんどん失われていくのが分かる。自分の本心ともいうべきものが日に日に失われていくのが分かる。自分の書いていることは、自分の本当に思っていることではないと思う。生は無意味であると思う。理由は一つ、俺には本心がないから。思ってもいないことを書き、望んでもいないことを続けて、俺は自分が誰なのか分からなくなった。何かを話す場合、どこかから言葉を盗んでくるしかない。これではあいつと同じではないか…空疎な言葉。自分の本心をどこかに置いてきたまま生き長らえている人。俺は自分の「本心」を取り戻すこと以外にやるべきことは何もない。何を美しいと思うのか、何を信じているのか。「本心によるものではない」と思ったのなら、それを絶対にやってはいけない。俺は奴のいう「馬鹿になれば最高なのだ」「なんでも気の持ちようだ」「ポジティブに考えろ」とかいう洗脳から解けていないのだろう。つまり自分の本心に従うことを無意味なことと考える習慣が身についており、それからまだ抜け出していない、ということだ。俺はこの世界が夢でないのなら、俺の人生は既に終わっていると思う。親は楽天的に寝ている。俺が何を考えているのかなんて知るわけがない。俺が死ぬ時も、親は楽天的に寝ているのだろう。

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2012/02/01 (Wed) 09.6月4日(木)~6月8日(月)

名前:あいこ 日付:6月4日(木) 22時15分
俺の場合、ビデオデッキの位置を変えただけで、世界全体が変わっちゃうのね。こちらの世界の認識そのものが変わるから、俺の目標のようなものもそれによって覆い隠されたりする。すると行動も変わる。まず、世界の認識が定まっていないと、自分と世界の関係の認識が定まっていないと、何もできない。ただふわふわ漂うだけだ。その間は何も見えないわけ。墨で塗られたようにね。何もないところから何もないところへの移動に日々を費やすことになる。俺なんかの場合、結果的に、ビデオデッキの位置を変えただけで、死にかけるというようなことが非常によくある。世界の認識そのものがインベイドされるわけだ。「便利だから」という理由でテレビやビデオデッキを移動したりするんだけど。それで死にかけるわけ。理屈じゃねーんだよ、結局。

名前:あいこ 日付:6月5日(金) 1時26分
普通は自分の人生を自分で悪い方向に持っていくことには歯止めがかかる。けれど、自分の人生を壊すことになれてしまうと歯止めがかからなくなる。更に悪い方向に行きそうになっていても、現実味がない。だから止められない。更に悪い方向に行くと行っても、-8が-10になる、それだけのことだろう、というように、実感をまったく伴わず、ただの数値にしか感じられない。ゲームの中のことのようだ。実感が感じられないから、切迫することもない。いつまでも止められないのかも知れない、と思って恐ろしくなる。どこになったら俺は実感を感じるんだろう?「おれはやばい」と思うんだろう?痛みを感じない以上、俺は自分の身を切り続けるだろうし、例えば俺は線路に自分の身を横たえても痛みを感じないのではないか?失うことに慣れている。失うことに対して何も感じなくなった。自分の人生を自分で悪い方向に持っていくことに抵抗を感じなくなった。俺はこの年まで生きてきて何もしていない。大学に入って、気付いたら何もしないまま六年目になっていた。自分のいまの感覚は信じていない。「卒業したい」と切実に感じることはない。けれども、「卒業したい」と感じていた時の感覚の方が信用できる。いまは何を見ても何の感触もないのだ。何を食べても味がしないのだ。口の中でごそごそ言っているだけだ。物を食べていても触覚しか感じない。だから噛まずに飲んでしまうこともある。何を見ても切実に何かを感じることはない。勿論音楽も聴けない。こんな時に何を考えても、何も信用することはできない。将来のことなど決められるわけがない。今日やりたいことも何もないのだから。だから試験だと言って、勉強していても、自分が勉強していることそのことがどこかに繋がっているという感じがしない。繋がっているとして、それが自分にとって何を意味するのか…ただ機械的に勉強して機械的に単位が来て…現実のように感じられない。誰かが文章にして書いたことなのではないか?観念しか存在していないんだな…すべてが文章のようにしか感じられない。何を見ても自分の脳内にしか見えない。街を見ていても自分の脳内を見ているようにしか感じられない。

名前:あいこ 日付:6月5日(金) 18時39分
薬が必要、一秒を楽にする、一分間を耐えるための。一分間、一分間が地獄。いちばん安全なのは自分の家。世界でいちばんマシなのは自分の部屋だろうし、のたうちまわっていられるし、基地外みたいに叫びまくることもできる。外に出ている時は、のたうちまわれない。金切り声を上げられない。また、自殺する危険性もある。もちろん何にも興味を持てないし、何を前にしても、自分とその対象との間に大きな距離がある。大きく、空虚な空間が間にある。すかすかする。手応えをまるで感じない。胸が常に焼けるようなじりじりするような感じ。胸の中が常につまっている。呼吸がうまくできない。常に息苦しい。そして、この息苦しさが少しでも軽減する方法を知らない。何も考えられないし、頭には「死にたい」という言葉しか浮かばない。音楽も興味が持てないし、聴いても攻撃的で、神経に障るものでしかない。本も何も読めない。一つのところにじっとしているのが苦痛。だから歩き回っている。常に移動している。胸の詰まる感じ、息苦しさが少しでも軽くなることを期待して、移動する。動き続ける。時間が稼ぐことすら難しい。…やっと五分。息苦しさはどこに行けばなくなる?腹はすくことはすくが、胸が詰まっており、息苦しいので何も食うことができない。食っても味がしない。いまの俺にとっていちばん「楽な」時間の過ごし方は、息苦しさに、家の床をのたうちまわること。しかし、外に出ている間はそうはいかない。

名前:あいこ 日付:6月6日(土) 2時36分
生きている間くらいは明るい所にいたい。

名前:あいこ 日付:6月6日(土) 2時54分
人間にとっていちばん重要で、失うと危険なのは、「信じること」。信じるから生きていけるのだ。常に、「自分にとって何が一番信用できるのか」を考えなくてはならない。正しいことも間違ったこともない。ただ、信じられるかどうか、それだけ。

名前:あいこ 日付:6月6日(土) 15時18分
あとねえ、客観的に、冷静になるのが大事だとかよくいうけど、人間を動かしているのは理性ではなく、結局は感情、或いは欲求でしかないよね。感情や欲求が動いていないのに、理性や客観性なんて何の役にも立たないよね。「感情に振り回されて大変」とかいう前に、「そもそも感情が機能しなくなったらどうなるのか」というのを想像してみれば、感情に振り回されているのが恵まれていることのように思えるんじゃないの。

名前:あいこ 日付:6月8日(月) 16時5分
音楽を聴くと、まったく何も感じないわけだけど、「まったく何も感じていない」という事実に直面するのも、疲れることなんだよね。だから音楽を聴こうとすることをよすんだけど。或いは、「まったく何も感じていない」という事実を自分につきつけるために、わざと音楽を聴きまくることもある。どんどん音楽がゴミのように思えてくる。自分はいろんなものをゴミのように扱っている。そうしてどんどん自分が嫌いになっていく。

名前:あいこ 日付:6月8日(月) 21時55分
「自分が何かを見失っている」というのは判るんだけど、何を見失っているのかがわからない。それが何なのかわかった時には手遅れになっている。そういうのはよくあることなんだろうかね。

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